デート3
ぐらぐらと揺れる心に俯く私の耳に、かすかな物音が届いた。殿下がもう戻って来られたのだろうか。それにしては、少し軽い足音にも思えるけれど。
気配がした背後を振り返ってみれば、そこには豪奢なレースを使った黒いドレスを身に纏うご令嬢が立っていた。豊かな金髪は光を受けてキラキラと輝き、赤く大ぶりな宝石をあしらった髪飾りを付けている。サファイアのように澄んだ碧眼が、私を鋭く睨み付けていた。
「──貴女が噂の平民ね? 殿下も趣味が悪いわ、こんな地味な娘……」
「……え?」
「最近下級貴族の間で話題になっている仕立て屋でしょう。嘘をついても無駄よ、もう全て調べてあるの」
胸元から取り出した扇子をぱっと広げ、口元を隠した令嬢が不愉快そうに言う。
名乗られもしていなので必要ないかとも思ったけれど、見るからに高貴な身分であろう女性を前に私は席を立ち、膝を折る礼をした。
「……私が仕立て屋を営んでいることは事実でございます」
「嫌だわ、卑しい者がこんなところまで入り込むなんて本当に嘆かわしい。そんな色のドレスまで着て……しかも何かしら、妙な形ね。奇を衒ってあの方の気を引こうとでもしたのかしら。まあ少しばかり殿下に興味を持たれて浮かれてしまったのかもしれないけれど、あの方はお優しいから勘違いをしてしまったのでしょうね。そもそも貴女のような者とは住む世界が違うのだから、さっさと引き返すのが身のためよ? 殿下も少しばかり外国にかぶれていらして……私という者がありながら、少々戯れが過ぎますのよね」
私は今日フェリックス殿下から正式な招待を受け、彼のエスコートでこの場に来ている。誰に文句を言われる筋合いはないし、今着ているドレスだって他でもなくフェリックス殿下から贈られたものだ。私自身のことならともかく、この美しいドレスを貶されるのは正直に言って悔しかった。彼が優しいことは十分理解しているし、住む世界が違うのだって分かりすぎるくらいに分かっている。
それでも──この一瞬だけ、夢を見ることさえ私には許されていないのだろうか。
目の前に立つ令嬢の、その毛先まで隙なく整えられた豪奢な金髪は日の光を浴びてキラキラと輝いている。日々沢山の使用人の手によって、高級な香油を塗りこめられているのだろう。私も、五歳のあの日まではきっとそうだった。
長い髪を美しく保つには、お金がかかるし手間暇もかかる。本邸を追い出された後フロラが性質の悪い風邪を引いてしまった際、薬を買うお金が必要になり髪の毛を売ったことがあった。快癒後彼女には散々泣かれてしまったけれど、自分のことは自分でしなければならない環境においては遅かれ早かれそうしていただろうと思う。姉の豊かな赤髪に憧れた日も確かにあるけれど……。今はだいたい肩の下くらいの長さで毛先を整え、あまり伸びすぎないように保っている。仕事の邪魔にならないよう手早くまとめるのにもすっかり慣れたし、これが平民からしたら普通の姿だ。
けれど私にとっての普通は、彼女たち貴族階級の人間からするとみすぼらしいものに見えるのだろう。確かに彼女の美しい金髪は、殿下の黒髪と並ぶとさぞ見栄えがするだろう。ダンスなど踊れば、ターンと共に長い髪がふわりと広がって皆の目を引くかもしれない。扇子を持つその手は荒れなど知らず、細く真っ白で滑らかだ。今は人払いをしているのか令嬢ひとりで立っているけれど、少し離れた場所にはこちらを伺うお付きの侍女が日傘を持って待っている。
あの日私が授かったスキルがデュラン侯爵家に相応しい火魔法だったなら──きっと今も私は貴族令嬢として、このご令嬢と同じように過ごしていたのだと思う。美しいドレスを身に纏い、洗練された立ち居振る舞いでフェリックス殿下の横に堂々と並び立てたのかもしれない。
確かに、住む世界が違うのだろう。私は日々自分の暮らしを賄うため、汗水垂らして働いている。手を荒らし、肌を焼き、必要ならば頭も下げるし膝も突く。平民は、プライドだけで生きてはいけないからだ。
「学のない者には、はっきり言わないと伝わらないようね。いいこと、次代の王たるあの方に相応しいのは私なの。だから、貴女のような者がちょろちょろと側にまとわりついていては邪魔なのよ。殿下の輝かしい未来に影を落とすような真似はしないで頂戴」
フェリックス殿下はあの日、私の手を握って待っていて欲しいと言った。その言葉がどういう意味を持つのか、ずっと考え続けている。
彼の色である赤いドレスを贈られて、自らエスコートして城の庭園に連れてきて貰って。期待しなかったかと言えばやっぱり嘘になる。
私はきっともうとっくに、彼のことを好きになってしまっていた。
もしかしたらこの方の隣に立てる未来があるのかと。他でもなく彼がそう望んでくれるのならば、許されるのかもしれない……などと。
「──お嬢様の、仰せのままに」
「……ふん、素直なのはいいことね」
私が選ばなかった未来の中にあったかもしれない光景は、夢のまま時間が忘れさせてくれるだろう。
好きだから。好きだからこそ、私は彼の近くにいてはいけない。足を引っ張ってはいけない。彼女の言う通り──私のようなハズレの存在が、彼の輝かしい治世を脅かすわけにはいかないのだ。
膝を深く折り頭を下げる私の元から、令嬢が去っていく。そっとその背中に視線を送れば、風になびく金髪が美しく輝いていた。
あのように一点の曇りもなく素晴らしい女性が側にいたならば、国民だって皆喜ぶはずだ。英雄王の再来とも名高い黒髪赤目の王子様と、由緒正しい家門の後ろ盾を持つ金髪碧眼の美しいお后様。
あっけないほど簡単に、二人が並び立つ姿を瞼の裏に思い浮かべることが出来た。




