再会4
昔から勉強するのが好きだった。五歳で色変えスキルを授かった段階で、いつか貴族籍を抜ける日が来ると薄々察していたからだろう。唯一私に着いて来てくれたフロラが、私に勉強の大事さを教えてくれた。身に着けた知識はいつか必ず私の力になるからと。
実家では姉の家庭教師にこっそりと勉強を教わっていたけれど、家を出てからはお金を貯めて図書館に通っている。刺繍の図案やドレスのデザインの参考になるものなどから読み始め、料理のレシピや娯楽小説なども休憩中に楽しんでいる。それから最近では、殿下から聞くシャルク王国を中心とした近隣諸国の文化についても興味を持ち始めていた。
他国で名産になっている染め物や、各地の伝統民族衣装なんかについてももっと知りたいと思う。お土産で頂いた美しいスカーフには目を奪われたし、殿下の口から聞く現地の風景はその香りさえ感じるほどに色鮮やかだったから。
ある程度の固定客も増え、色変えのスキルと針を動かす指先の技術さえあれば仕立て屋としてはそれなりにやっていけると思う。けれど、神話に描かれた祭事の場面を知っているからこそ再現できるデザインがある。染料の知識があるからこそ、季節や天候に合わせた生地や色選びを提案できる。夜会のシャンデリアの下で最も美しく見えるよう計算したドレープの作り方、目の錯覚を利用して女性の身体を美しく見せる方法。それから特定の出身地方で好まれる織物や、原住民族の間で伝わってきた相手の健康と幸福を願う図柄の刺繍……。
いつかの私が身に着けた知識によって、今たくさんのお客様に喜んでもらえる店になっているのだという実感があった。この世の誰しもが十分な教育を受けられるわけではない。私は親から捨てられてしまったけれど、そういった機会を与えられた分恵まれていたのだとも分かっている。
学びたいことを自由に学べる環境があり、好きだと思える仕事がある。ずっとそれだけで、十分だと思っていたのに。
──それ以上の幸せがあるのではないかと、欲深い夢を見た代償だったのだろうか?
その日届いた新聞を捲り、世間で起きている事件や情報に目を通す。どうしても視線は「第二王子」「フェリックス殿下」「王太子」などの文字を追いかけてしまう。彼は今どこで何をしているのだろうか。しばらくは城に詰めて忙しいと言っていた。前回ここへ来た時は少し疲れた顔をしていたけれど、無理はしていないだろうか。周囲から向けられる期待に重圧を感じたりはしていないだろうか。未だ根強く残る第一王子の派閥から嫌がらせを受けてはいないか。なんとか彼を追い落とそうとする敵対勢力から弱みを握られてはいないか……。
そこまで考えて、唐突に思い至ってしまった。彼がなぜ、この店にしばしばやってくるのか。お茶をしながら何気ない会話を交わし、帰っていくあの時間が何だったのか。
──私は、監視されていたのではないか……?
考えてみれば当たり前のことだろう。約三年前、フェリックス殿下の特徴的な髪と瞳の色をスキルによって変え、逃がす手伝いをしたのは他でもない私だ。あれがただの留学ではなく、正妃様の暗殺から逃れるための亡命だったというなら尚のこと。
仕立て屋としてただ布の色を変えられるだけであれば問題なくても、人が持つ色まで変えられるとなれば話は別だ。この国の人々は英雄王オーギュスタンを心から敬い愛している。フェリックス殿下が今民衆から大きな支持を得ているのは、やはり英雄王と同じ色を纏っているという理由が大きいのだ。
ではもし私が、むやみやたらに同じ色味の人間を生み出したらどうなるだろう? きっと彼の治世は混乱すると思う。滅多にいないから貴重な存在として扱われたけれど、その希少性が失われれば今のような優位な立場ではいられない。
私のスキルが、彼の敵対派閥に知られてしまったら……。ただのハズレどころではない。私は彼にとって、災厄をもたらす存在になってしまうのではないだろうか。
彼と過ごす時間は楽しいなどと、呑気な事を考えていた自分を恥ずかしく思う。ずっと気付かないままでいられたら良かった。そうすれば──もっと一緒にいられたかもしれないのに。
カラランと軽やかにドアベルが鳴る。
なんとなく、そろそろ来るのではないかと思っていたので驚きはしない。
「──いらっしゃいませ」
「やあ、久しぶりだね。……顔色が悪いな。急ぎの予約が詰まっているとは聞いていなかったけれど……体調が悪い? 少し座ろうか」
客足が途絶え、予約もぽっかり空いた昼下がりの時間。慣れた様子でやって来たフェリックス殿下の姿を見て、胸の奥がぎゅっと痛んだ。いつもと違う私の様子を見て心配そうに眉を顰め、そっと支えるよう添えてくれた手があまりにも温かくて。
未練を断ち切るように首を振り、その赤い瞳を真っすぐに見つめる。
「──フェリックス殿下。これまで私が鈍いせいで、お手間をおかけして本当に申し訳ございませんでした。かつて私が殿下に使ったスキルは、決して他の人間には明かさないと誓います。お望みでしたら王都の外でも……必要であればこの国からも出て行きます。私は……貴方の邪魔になるようなことはしたくないと、本当にそう思っていて……信じて、いただけるかどうかは分かりませんが……私は、私…………」
「……クロエ、一体君は何を……?」
俯いて瞬きをした拍子に、一粒涙が零れ落ちた。
私が馬鹿みたいに楽しんでいたあの時間、彼は一体何を考えていたのだろう。使い方によっては危険なスキルを持つ平民の為人を探り、利用できるか邪魔になるかと見極められていたのだろうか。
いや、そんな風には思いたくない。私を信じて欲しいし、彼のことも信じたい。
でも──そうでなければ、彼のような立場の人間がここへ来る理由が分からなかった。この方と過ごす時間の温かさを知ってしまったからこそ、失うのが怖い。学ぶということは、己の立場を知ることなのだ。知らなければ傷付かずに済んだのに……それでもやっぱり、この胸の中に生まれた気持ちを忘れたいとは思えなかった。




