再会3
「今日は薔薇の花が綺麗に咲いていたから、君に見せたくて持ってきたんだ。どうか受け取って欲しい。香りも良い品種だと庭師が言っていたよ」
「……ソウデスネ」
そりゃこんな豪奢な薔薇はそんじょそこらの花屋では売っていないだろう。きっと、彼の家の庭から切ってきたのだ。沢山の庭師たちが日々丹精込めて世話をしている、国で一番広大な庭から……。
こんなものを店に飾っていたら、他のお客様たちから何を言われるか分からない。詳しい薔薇の品種については分からないけれど、その場所にしか咲かない特殊なものだったりすれば勘付く令嬢だっているかもしれないのだ。これほど美しい花束を独り占めするのは少々贅沢だけれど、いただいてしまったのだからありがたく自室に飾らせていただこう。いや、そもそも手持ちの花瓶には入りきらない気がするし……この狭い家では香りが芳醇すぎて、少し酔ってしまいそうだ。……早々に花びらを毟ってジャムにしたら、流石に失礼だろうか?
抱えてきた薔薇とよく似た赤い瞳を輝かせるその人は、自らの帰国を祝う夜会が開かれた日から十日くらい経った頃にふらりと店へ現れた。深くかぶったフードを外してにっこりと笑ったその顔を見て、私の喉からはビャッとおかしな声が漏れたのだった。
最初は、貴族街にあるという人気の店の焼き菓子だったと思う。バターと砂糖がたっぷり使われており、昔の私が食べたらお腹がびっくりして倒れそうなぐらい美味しかった。それから、美しいリボンや小さなブローチ、ガラスでできたペンや隣国で有名な染め物のスカーフなど……なんやかんやお土産を持って彼は度々この店を訪ねて来るようになったのだ。
もちろん幾度も断った。私にはそんなものを貰う理由がないからだ。けれど、私が受け取らなければ捨てるしかないと言われると断り難く……なぜかこの方に強く押されると弱いのだ。絶妙に他のお客様の予約と重ならない時間を選んで来ているようで、仕事の邪魔になるから来ないで欲しいと断ることも出来ない。これまた最初の頃にいただいた香り高い茶葉を使って淹れた紅茶を一杯飲む間だけ、あれこれ楽しそうに話をして店を後にする。
もしかすると、急遽留学先から戻されて城に住むことになった彼にとっても気を抜ける休憩時間になっているのだろうか。そうだとしたら猶更、私には彼を拒否することが出来ない。
貴族の籍を抜かれ平民としての自由を味わっている私と、決して逃げられない運命をその背に背負う王子様。全く違う立場でありながら、私たちはただ偶然生まれた家という枠組みに翻弄され続けているからだ。
「……どうぞ」
「ありがとう。ああ、いい香りだね。君はお茶を淹れるのがとても上手だ」
私の腕がどうこうではなく、茶葉の質がとびきり良いのだと思うけれど。確かにお茶の淹れ方もフロラに習いはしたが、それだってごくごく一般的な作法でしかない。
「お城の使用人さんたちの方がよほどお上手でしょうに」
「……俺は自分で飲むものは普段から自分で用意しているんだ。留学先でもずっとそうしていたしな」
苦笑を浮かべるその顔を見て、はっとした。幼い頃からずっと、正妃様から毒を盛られ続けてきたこの方は……そういった危険を少しでも減らすために、自分で飲み物の準備をするようになったのではないか、と。
息を呑む私を見て、気付いたのだろう。
「好きな時に気を遣わず茶を飲めるのは、案外気楽でいいんだ。本当に、やり方を覚えてよかったと思っているよ。ただこの味に慣れてしまったら、自分で淹れる茶に不満を感じてしまいそうだな」
今度コツを教えてもらおうかななどと、柔らかく目を細めてそう言う彼の笑顔はとても自然で、きっかけはどうあれ今はそれが本心でもあるのだなと少し安心した。
それよりも、私が出したものを毒見役もなしに躊躇いなく口にするその信頼に焦っていいやら喜んでいいやら複雑な思いだ。
「ふぅ……落ち着くな。出来ることならずっとここで君と話していたいと思ってしまう」
「最近はお仕事がお忙しいのですか?」
「そうなんだ。南部の長雨で作物の生育に問題が出そうでね。先日まで少し視察に行ってたんだ」
「南部の作物というと確か……小麦と薬草でしたか」
かつて姉の家庭教師たちから教わった国内の地図を頭に浮かべる。我が国の南部地域で育てている小麦はそろそろ穂が出る時季だろうが、このタイミングであまり雨が続くとカビが出てしまう。薬草はもっとシビアで、雨量や気温によって収穫後の薬効に大きな差が出てしまうと聞いた。
私の言葉を聞いてふわりと笑みを浮かべた彼は、こくりと頷き優雅な仕草でカップを置く。
「その通りだ。相変わらず君の知識量には驚かされるな……そこらの貴族令嬢たちよりよほど優秀だよ」
「気になると何でも調べるのが趣味のようなものなので」
「ふふっ、それはいい趣味だ。小麦の国内消費分は他地域から回してなんとか間に合わせるとして……輸出で得ていた利益がなくなるのは少々痛い。なにより現地で必死で作業している農夫たちもいるしね、彼らの為にもなんとかしてあげられるといいのだが」
「……貴方のような方が気にかけて下さっていることで皆の心も随分救われるでしょうね」
食糧の供給や税収までは分かるけれど、農夫のことまで考えてくれる統治者はそういないだろう。マルタン殿下がどのような方だったのか私は知らないけれど、今の様子を見るだけできっとフェリックス殿下は良い君主になるのだろうなと思えた。
「……そうだと良いのだけどね。現実的には収入がないと食いつめてしまう者も出てきてしまうから。最近は王都近郊でも人攫いの被害が報告されている。君も出来ればひとりで出歩かず、十分に注意して過ごして欲しい」
「まあ、そうなのですね。買い物は明るいうちに行くようにしますわ」
「うん、そうしてくれ。残念だけど俺もまだしばらくの間は忙しくなりそうだから」
その言い方では、彼自身が私の買い物に付き合う気があるようではないか。冗談なのかもしれないけれど、冗談とは思えない真剣な表情でこういうことを言ってくるから反応に困ってしまう。そもそも街の仕立て屋に王太子殿下がお忍びで現れるのだって、きっととんでもないことなのだろうが。
「ええと、またどこかへ視察に行かれるのですか?」
「いや、今度は城に詰める予定だ。実はレニエ侯爵の動きがどうにも怪しくてね、前々から目を着けてはいたんだが……いよいよ証拠が揃いそうだから、一気に追い詰めて片を付けるつもりなんだ。その下準備といったところかな」
「レニエ侯爵──海岸線で貿易が盛んな領地でしたか。……というか、私にそんな大事な話を聞かせたら駄目でしょう……っ!」
「ふふっ、そうだったね。でもまあ君が誰かに情報を漏らすとは思っていないから大丈夫」
「──っもう、言いませんけれど! 本当に、気を付けてくださいね……!」
うっかり話してしまった日には、私の命が危ういような気がする。仕立て屋というのは案外社交界の秘密を知ってしまう立ち場でもあり、常日頃からお客様の個人的な情報を漏らさないよう細心の注意を払っているけれど。それにしたってこの人ときたら、ここへ来るたびぎょっとするような話をさらっと聞かせてくるのだ。揶揄っているつもりなのかもしれないけれど、この調子では心臓がいくつあっても足りないではないか。
「ああ、もうこんな時間か。あっという間だったよ……今日も付き合ってくれてありがとう。くれぐれも身辺には気を付けて、落ち着いたらまた会いに来るから」
「……貴方様もどうかお身体に気を付けてお過ごしください」
最敬礼で見送りたいところだけれど、お忍びで来ているのだからとそのような振る舞いは止められている。名前で呼ぶよう求められた件に関しては、未だ聞こえなかった振りをして誤魔化しているけれども。
カラランと軽やかに音を立て閉まる扉を前に、私は長く息を吐いた。
緊張からくる疲れも確かにあるけれど……彼と過ごすこの時間を、純粋に楽しんでしまっている自分に気付いているからだ。
本当は、もう来ないで欲しいと言うべきなのだと思う。だって頼まれた色変えは既に済んでいるし、次代の王である彼の服を私のような平民の仕立て屋が作るわけもない。街中にあるこんな小さな店に足を運ぶことで尊い方の身に危険が及ぶかもしれないし、他の誰かに見つかって混乱が起きるのも良くないだろう。彼の為にはきっと、もう私なんかと会うべきではないのだ。
けれど──話題が豊富で話し上手な殿下と話すのはとても楽しい。これまで知らなかった知識や新しい視点が広がるようで、もっと色々なことを聞いてみたいと心が求めてしまうのだ。




