再会
カラランとドアベルが鳴る。
「はぁい、少しお待ちください!」
針をクッションに刺し、スカートに落ちた糸くずを払う。足早に作業部屋から出ると、そこには私とそっくりな栗色の髪に同色の瞳の青年が立っていた。
「──っ、貴方は……」
「やあ、久しぶり。その顔は……覚えていてくれたみたいだね。変わらず君がここで店を続けていてくれて助かったよ、おかげで探す手間が省けた」
三年前にここへ来た時には、どこか愁いを帯びた雰囲気を纏っていた気がするけれど。今私の目の前に立つ彼は、体格も一層逞しく研ぎ澄まされたようなオーラが全身から滲み出ていた。
ただはくはくと息を吐く私に対し、ゆったりと口元に笑みを浮かべた青年が言う。
「事情が、変わったんだ。君が変えてくれたこの姿を、元の色に戻してもらえるだろうか」
その事情とは、先日イリス様から聞いた話に繋がるのだろう。新聞でも大々的に報じられたヴィクトリアの凶行と、マルタン殿下の大怪我。結果他国へ留学されていたという第二王子殿下が急遽呼び戻され、英雄王オーギュスタンと同じ色を持つ彼が新たな王太子に据えられるのだ、という。
彼が持つ本来の色は、つまり──
「──黒髪に、赤い瞳……でしたね」
「ああ、その通りだ」
背中に冷たい汗が伝う。かつて物を知らない私が頼まれるがままにスキルを使い、その尊い色を変えてしまった。自分がどれほど大変なことをしでかしたのか、今更理解しても遅いのだけれど。
震える膝を押さえ、ふらつく身体をカウンターに手をついて支える。そんな私の様子を確認した彼は、長い脚であっという間に数歩の距離を縮めて私の手を取った。所々に肉刺ができ、皮膚が固くなった剣を握る者特有のがっちりとした手。あの日もこうして同じように手を取って触れたはずだけれど、記憶の中のそれよりももっとずっと大きくなっているように感じるのは気のせいだろうか。私は成人と同時くらいで身体の成長も止まってしまったのに、男性というのはいくつになっても身長が伸びたりするのだろうか。鍛えることで筋肉は厚みを増せど、手のひらも同時に大きくなったりはしないだろうに。
心臓の音まで聞こえてしまいそうな距離感に、そっと上を見上げてみる。鋭い顎のラインに薄い唇。綺麗な鼻筋に、澄んだ栗色の瞳がじっと私を見下ろしていた。
三年と少し前に一度だけ、半刻にも満たない間しか会ったことのない相手だというのに……彼が元々纏っていた色を鮮明に思い出す。
艶やかな黒髪を持つ人間は、この国においてとても珍しい。遠い地からはるばる旅をしてこの地にたどり着いた、英雄王オーギュスタンが持ち込んだ色と伝えられている。王族の血を持つ高位貴族の中には数代に一度現れることもあるそうだけれど、ここ数年は生まれていないと聞いた。それにもまして彼の赤い瞳は稀少だ。光の当たり方や感情の昂りでもその輝きを増すというルビーのような鮮やかな色。
あの日の私は予想だにしない依頼に混乱してしまい、彼の色が示す真実に気付くことが出来なかった。その後はスキルの検証に夢中になった結果昏倒し、バタバタしているうちに記憶も曖昧になってしまっていたけれど……。
繋いだ手から力を流せば、私と同じ栗色に変えた髪の毛が記憶のままの黒へと戻る。時が止まったかのようにじっと私を見つめる澄んだ茶色の瞳は、瞬きと共に神秘的な赤へその色を変えた。
先ほどまでの姿でさえ、滲み出るオーラは隠しきれていなかったのに。元の姿を取り戻した彼の特徴的な色彩は、これ以外ありえないと思えるくらいにしっくりと馴染んでいた。
「でき、ました」
「ありがとう──助かったよ」
力が抜けたようにふっと小さく微笑んだ彼は、勝手知ったる様子で壁の鏡を確認して戻ってきた。少し手を伸ばせば触れられる距離に、どくんとひとつ胸が高鳴る。相変わらず小柄な私を見下ろすその視線に感じる熱は、鮮やかな赤がそう誤解させるせいだろう。彼に見つめられると、何故だか私は捕らえられたように目を離せなくなってしまう。何も言えないでいる私の手をもう一度取り、ほんの少し痛いくらいの力できゅっと握りしめられた。
「また会える日を楽しみにしている」
その言葉の意図が分からなくて口を開け閉めするしかできない私を置き去りに、さっと踵を返した彼はあっという間に店を出て行ってしまった。
軽やかなドアベルの音も止み、しんと静かな空気が流れる店の中。
ただ茫然と閉じられた扉を見つめ続けていたけれど、ようやく動き出した思考に震える指を一本ずつ剥がして開く。私の荒れた手のひらの中には、自分の体温ですっかり温まった金色の硬貨が一枚握られていた。
また、断る隙も無くこんなものを貰ってしまうなんて……。
ワンピースの中、胸元に下げたネックレス。トップには革で作った小さな丸いチャームがついていて、円形に縫い合わせたその中にはあの日彼が置いて行った金貨を詰めてある。こんな小さな店に置いておくのも怖すぎるし、かといってそうやすやすと使えるものではない。金貨だなんて莫大な価値のある硬貨を、侯爵令嬢だった頃ならともかく今の私のような一般市民が持っていると知られればトラブルの元にしかならないのに。
「また……増えちゃった」
ふぅぅと長いため息を吐く。これは一度縫い目を解いて、もう一枚もチャームの中に封印してしまおう。
硬貨が持つ実際の重さ以上に、肩にかかる負担がぐっと増したような気がした。




