第二話:にげろ(レティセラ)
*本話は、レティセラ視点のお話です。
ガゴン、と重たい音を立てて錠が落ちた。
続いて、扉が鈍い音を立て、軋みながら開いていく。
明け放たれたドア。
その瞬間、部屋の空気が変わった。
重い。肺に入る空気そのものが、粘ついているように感じる。
まるで、泥濘に足を踏み入れた時のような、逃げ場のない重さ。
人影が、ゆっくりと部屋へと入ってくる。
衣擦れの音がする中世の法衣――いや、学者の服だろうか。
人の姿をしている。
そう、見える。
……なのに。
私の心が、理由もなく警鐘を鳴らしていた。
なぜかは分からない。説明もできない。
ただ、直感だけが叫んでいる。
――見てはいけないもの。
「……あの人、なんか、嫌だ」
「……」
ベルクートは答えてくれない。
油断なく男を見つめ槍を握り直していた。
「フフフ……アーッハッハッハ!!!」
男が笑った。
ひどく愉快そうに、どこか切なそうに。
顔を掌で覆い隠し、溢れ出る感情を押しとどめるように。
けれど、その感情は一切、こちらには伝わらない。
そこにあるのは、熱のない喜び。
人が人に向ける感情とは、決定的に違う何か。
「見ろ!!人型だ!」
観客は居ない。
それでも、男は、私達ではない誰かに向かって叫んでいる。
「私の理論は!正しかった!」
歓喜の言葉と共に、男の周囲にどろりと男から魔力が溢れ出る。
赤でも、青でも、緑でもない。
どれでもあって、どれでもない。
まるで、ドブ川の水面に浮かぶ油膜のような色。
目まぐるしく移り変わる色。
それは――
濁彩の魔力。
見ているだけで、目が疲れる。
焦点が合わない。
視線が、勝手に滑っていく。
まるで、世界そのものが「拒絶反応」を起こしているみたい。
あの魔力は。
私の中の何かに、直接触れてくる。
皮膚じゃない。
耳でもない。
心の、もっと奥。
名前をつけられない場所を、ぐちゃぐちゃとかき回される。
「――気持ち悪い」
ぎょろり。
私のつぶやきが聞こえたのか男の眼が、こちらを向いた。
「ひっ」
喉が勝手に鳴った。
自分の声だと認識するより先に、嫌悪と恐怖と畏怖が押し寄せる。
逃げなきゃ。
心は思っても足が震えて動かない。
男の視線を受けただけで、心が沈みそうになる。
感情が、底の見えない沼に引きずり込まれる。
その視線を遮るように、ベルクートがもう一歩、前に出る。
見慣れた背中。
何度も見てきた、頼れる背中。
それなのに――
男の視線が、ベルクートを貫いて、私に突き刺さる。
「言葉は通じるようだな……女、名前はあるか?何という」
「えっ?」
「名前はなんだと聞いている」
得体のしれない相手に、名乗るべきか、一瞬迷ってベルクートを見る。
彼は、わずかに首を横に振った。
「うん?邪魔をするな、ガラクタ。私は今、そこの女に話しかけているんだ」
ベルクートは黙ったまま、動かない。
男の視線は私を刺し続けている。
「お前はダメだ。
折角召喚してやったというのに、こちらの人間と魔力が変わらないじゃないか」
男は手にした書類束を振りながら、声を荒げる。
「だがな――女の方はすばらしい!」
楽しい時には、熱く。
「歴代でも上位の魔力量だ。最高の素材だ」
哀しい時には、冷たく。
「だから、早く名前を言え」
人が言葉を交わす時に、必ずあるはずの温度。
それを、この男からは一切、感じない。
「名前が無いと、お前を管理できないだろう」
人型?ガラクタ?素材?管理?
ありえない。人をなんだと思っているの?
人を、物みたいに言って。
……あの目が怖い。
人を人と思っていない目。
これは――
人の形をした、別のナニカだ。
逃げなきゃ。
とにかく、ここにいるのは絶対だめだ。
震える足を必死に動かす。
「ベルクート!にげよう!」
「あぁ、わかった!」
二人で同時に、扉へと駆け出す。
「あまり面倒なことはしないでもらおう。私は時間が惜しいのだ」
男が、軽く手を振った。
濁彩の魔力が、入り口をふさぐ。
油膜のような光が、壁のように立ちはだかる。
「ちっ……」
ベルクートの舌打ち。
扉を塞ぐ濁彩の魔力を槍で叩くが微動だにしない。
部屋の入り口は、たった一つ。
「ほ、ほかに逃げ道は?」
「探してる暇はないだろうな」
「時間が無いと言っているだろう、二度も言わせるな」
男が手を振り上げる。
濁彩の魔力が、蛇のようにうねりながら飛び掛かってくる。
青銀色の光が三日月を描くようにはしる。
氷の刃が濁彩の蛇を両断する。
「なんだ、それは?」
男の声に、ほんのわずかだけ、感情が混じった。
「答える義理は無い」
ベルクートの手にした槍が、青銀色の氷の刃を成していた。
「なるほどなるほど。
単なるガラクタかと思ったが――オモチャくらいにはなりそうだ」
男がニヤリと口角を上げ腕を振り上げる。
濁彩が腕に絡みつき、異様に肥大した巨大な腕になる。
「こんな感じか?」
笑みを浮かべながら濁彩の腕を振るう。
ベルクートが青銀色を増した槍で迎え撃つ。
鈍い衝撃音が響く。
「ふむ……この質量を受け流すか、器用なものだな」
「器用貧乏ってやつさ」
軽口を返すベルクートだが、その動きは重い。
防戦一方だ。私も加勢を――
「ベルクート!」
「構うな!さっきの炎だ、扉に向かってぶっ放せ!
全力だ!」
迷っている暇はない。
彼は選んだ、彼が防ぎ、私は道を拓くことを。
彼が言うならきっと成功する。
呼吸を整え意識を集中する。
後ろでは衝撃音がつづいているが、彼を信じてすべてを任せる。
「炎よ!!!」
杖から炎がほとばしる。
扉を塞ぐ濁彩にあたり、弾け、部屋の中を埋め尽くす。
「おぉ!?これが召喚英雄の炎か!何という威力だ」
感心するような男の声が聞こえる。
扉にまとわりついた濁彩が少しだけ形を変える。
まだだ、もっと絞り出せ!
「うあぁぁぁぁ!!!」
さらに強い炎が噴き出し、扉の濁彩を吹き飛ばす。
「やった……道が……」
「先に行け!」
ベルクートに言われるままに、先に部屋を出ようと足を踏み出す。
が、踏ん張りがきかない。足元がふわふわする。
転びそうになったところでふわりと体が抱きかかえられる。
「がんばったな」
顔を上げればベルクートの顔がすぐ近くにあった。
「ベルクート……」
彼の肩越しに部屋をみれば、部屋は業火で包まれていた。
熱で天井が崩れ落ち、爆発音が響く。
あの男の高笑いが、炎の向こうで聞こえた気がした。
だんだんと音が、遠ざかる。
ゆっくりと熱が、冷えてゆく。
――そこで意識が途切れた。
「……あれ、ここは」
目を開けると視界が揺れていた。
前に、彼の背中がある。
緑の匂いがする。
日の光も届かない鬱蒼とした森の中。
炎の熱も、何事もなかったように消え去り、先ほどの事が現実だったのか疑いたくなってしまう。
「レティセラ、気が付いたか?」
「私、気を……」
「……気がついてよかった、いきなり全力を出したから疲れたんだよきっと」
「ありがとう、守ってくれて」
「お互い様だ、君が道を開いてくれなけりゃ、逃げることも出来なかった」
ベルクートは私を背負って走り続けていたようだ。
一体どれほど走っていたのだろう。
「ベルクート……あの……」
言葉に出すのをためらった、あれはいったい何だったのか。
「アレは、俺にもわからない……ただヤバイやつなのは間違いない」
脳内に男の笑みがフラッシュバックする。
「夢じゃ、ないのね」
「残念なことに、どうやら現実らしい」
彼の言葉が重い。
何より、あの時感じた熱は紛れもない真実だ。
「……これからどうするの?」
「そうだなせめて、日が暮れる前に町とか安全な場所に……」
そこまで言いかけてベルクートが足を止める。
私を支える彼の腕が緊張を伝えてくる。
「ベルクート?」
「降ろすぞ、立てるか?」
「うん、大丈夫」
降ろされてすぐに理由に気づいた。
周囲の茂みが音をたてている。
だれかがいると思う暇もなく、鎧を着た人達が周囲に現れた。
「私達はリュミエル騎士団だ。
この先で不審な爆破があったと報告があり、この辺りを捜索していた」
凛とした声に、プライドと清廉さを感じられる。
「リュミエル騎士団……」
「君達はどこから来た?爆発を目撃しなかったか?」
「……私達は旅の者です。
森の中で道に迷っていました。
爆発音は聞きましたが、危ないと思って慌てて逃げたので、詳しい場所までは分かりません」
「ふむそうか、情報感謝する。……道に迷ったと言ったな、町への道はわかるか?」
「いえ、ここがどこかも分かっていません」
「それならば我々が保護をしようと思う。一緒についてきてくれるか?」
騎士は保護と言ったが有無を言わせない圧を感じる。
「……任意同行って所かな」
ベルクートがつぶやく。私もそう思う。
しかし断る理由もない、私はベルクートにうなずいてみせる。
「……わかりました、保護をお願いします」
「うむ。お前達は引き続き捜査を続行、火事になってないかを特に確認してくれ」
「はっ!」
残りの兵士は森の中へと再び入って行った。
「ではついてきてくれ」
騎士について森の中を歩いていくと、道に出て少し開けた場所に着く。
焚火を焚いているのが見えた。
焚火の前に座る人物に向けて、案内してくれた騎士が敬礼する。
「レオンハルト様、森の中で旅人を保護いたしました」
この人たちは敵か、味方か……
あの男の笑い声がまだ背中に張り付いて離れなかった。




