乙女、運命の人と出会う
リリステラ嬢のことを、俺はよく知らない。
知っているのは公爵家の令嬢ということ、それからラウルの婚約者。
今は──ミリアの嘘により虐められているということ。
銀の髪に青い目をした美しい女性だが、少々痩せすぎている気がする。
あまり食事がとれていないのかもしれない。心労のせいで食事が喉を通らなくなる場合もある。リリステラ嬢の状況を考えれば、そうおかしいことでもないだろう。
図書室で読んでいる本の趣味が多岐にわたることも知っている。
歴史書から、言語学の本、植物や動物の図鑑に、哲学書。物語の類は少ない。
現実的な本が好きなのだろうか。フェデルタの言語学の本や、歴史書についても読んでいる姿を見た。
学園に来てから一度も、貴族たちがフェデルタの話をしているところなど見ていないというのに。
リリステラ嬢は、王妃になる者として同盟国についても学んでいるのだろう。
真面目で、聡明。表情は常に硬く、冷静――という印象だが、きつく結ばれたその唇や、作り上げられた仮面の下にはいつもある種の緊張が滲んでいる。
度を越した暴力が彼女に向けられるのなら、助けようと考えていた。
けれどよい機会でもあった。ラウルの行動を見ていれば、あの男が正真正銘の馬鹿者なのかどうかが計れるというものだ。
リリステラ嬢が図書室の奥で泣いている姿を見てしまったのは、そんなある日のことだった。
今まで、そこまで感情をあらわにしている姿は見たことがなかった。
いつでも表情を硬くひきしめて、感情を出さないようにしているような女性だ。
よほど苦しいことがあったのだろう。
今日は確か――そう、髪飾りを燃やされたのだと、ミリアは騒いでいた。
ミリアはリリステラ嬢にしたことを、自分がされたことのように話す。
どういう意図なのかはわからない。リリステラ嬢を混乱させて、追い詰めたいのだろうとは思うが。
つまり、リリステラ嬢は髪飾りを燃やされた、ということだろう。それもきっと、大切な。
声をかけようかどうしようか一瞬悩んだ。
俺はこの国から、近々いなくなる。もう八割方、エルデハイムについては見限っていたが、あとの二割についてをリリステラ嬢とミリアをラウルがどうするかで、見定めたいと考えていた。
ミリアとリリステラ嬢の家についても、ジオニスに調べさせている最中である。
そんな俺が、リリステラ嬢と交流を持つことはあまり、よいことではない。
だが、あまりにも哀れで、立ち去ることができなかった。
可哀想だと、哀れんでいた。
弱者に対する同情と、正義感からの憤りである。
それは、捨て猫に向ける感情に似ている。相手が弱いからと――そう、俺は、リリステラ嬢を弱い女だと考えていた。
声をかけたら、助けてと、泣いて縋ってくるものだと思っていたのだ。
だが、そうではなかった。
リリステラ嬢は――強い女性だった。
俺の立場を考えてだろう、自分と関わってはいけないと、真っ先に言った。
涙に濡れた顔を隠そうとして、泣いていたことを忘れてくれと言った。
残酷な目にあって、一人で泣いていたのに――助けてとすら言わないのかと、驚いた。
もう少し、話がしたいと思ってしまった。
リリステラ嬢は、罪をなすりつけられて、ラウルに頬を叩かれたことを、遠慮がちに話してくれた。
けれどそれを話している時の彼女の表情は絶望に沈んでいる様子はない。
やはり、髪飾りを燃やされたことで、彼女は泣いていたのだろう。
けれど、リリステラ嬢はそれを俺に話さなかった。
――助けてと、一言言ってくれたらいい。
そう、思った。
苦しい辛い、助けて欲しいと。そうしたら俺は、おそらく彼女に手を差し伸べただろう。
けれどリリステラ嬢は、俺を巻き込みたくないと言う。
苦しいほどに頑なで、聡明で優しい女性だ。
もう少し――話したいと思った。
そして彼女に同情していた自分を恥じた。可哀想だと哀れんでいいような存在ではない。
リリステラ嬢は、弱者ではない。
この学園にいる貴族たちよりもよほど、強い。
強いから、孤立してしまっても、誰にも救いを求めないのだ。
リリステラ嬢の立場は悪くなる一方だった。
ミリアはリリステラ嬢に暴力を振るわれたと嘘をつき、瞬く間にその話は学園中へと広まった。
リリステラ嬢に対する虐めは残酷さを加速させて、リリステラ嬢はおそらく、俺に迷惑をかけまいと思ったのだろう。図書室から足を遠ざけるようになった。
そして、長期の夏季休暇が訪れた。
ジオニスの報告では――リリステラ嬢は、父親に暴力を振るわれているということだった。
母親は後妻で、妹がいる。
リリステラ嬢との家族仲は、あまりよくない。父親は肉親だが、リリステラ嬢を『商品』といい、王太子との仲がこじれていることを詰り、背中を打つのだと。
ルーファン公爵家に勤めている侍女の一人とよい仲になり、聞きだしてきた。
俺はずっと、落ち着かない気持ちでいた。いますぐルーファン公爵家に乗り込んで、リリステラを助け出したい。
感情を抑えつけなければ、ルーゼの力があふれだして、エルデハイムを炎の海へと沈めてしまうかもしれない。
――助けて欲しいと、一言、言って欲しい。
けれどリリステラがそれを言わないだろうことを理解していた。
俺は、どうするべきなのか。この感情は哀れみなのか。正義感からの怒りなのか。
もう一度、リリステラと話をしたい。
ルーファン公爵家から王都に戻るリリステラの姿を影から見ていた。
路地裏で襲われそうになったところを助けたが――やはりリリステラは、助けてとは言わなかった。
俺の手を取ってくれたら、そのままフェデルタに連れて帰っていたのに。
「……それは、恋なのでは?」
「哀れみだろう」
「アル様は、哀れむのは失礼だと言っていました。リリステラ様は強い女性だと」
「それはそうだが、……あまりにも悲惨だ」
「悲惨な女を全て助けるほどに、お人好しでもないでしょう、あなたは」
ルーファン公爵家を見張っていたジオニスが王都に戻ってきたのは、それからしばらくしてのことだった。
王都であったことを話すと、ジオニスは肩を竦めながら言った。
「やはり、アル様のお察しの通り、裏がありました。ミリアはルーファン公爵家の奥方の駒です。顔立ちと男を篭絡する手管に長けた若い娼婦を雇ったようですね」
「何のために? 気に入らない前妻との子供を虐めるためにか?」
「娘のためです。奥方の娘は、王太子と結婚したいと夢のようなことを言っているそうですよ。ミリアとの話では、リリステラを断罪し消したあと、ラウルを篭絡したミリアは――リリステラが生前ミリアの持ち物に仕込んでおいた毒で死ぬ――予定だそうです」
「リリステラとミリア、二人を失ったラウルが、ルーファン公爵家の娼婦の娘と結婚するのか? あり得ないな」
「夢を見てしまったのでしょう。娘はそれで、幸せになることができると思い込んでいる」
「……そうか。ジオニス、先にルーファン公爵たちを捕縛しよう。リリステラが断罪をされるというのなら、俺が愚か者どもを全て、断じてやろう」
――全て断じて。
それから、どうするつもりなのだろう。
リリステラを救って――俺は、どうするのか。
フェデルタに連れ帰りたいと考えていた。フェデルタは安全な場所だ。少なくとも、今の環境よりはずっと。
だが連れ帰ったところで、リリステラは他国の公爵令嬢。
後ろ盾もない。家族もない。友人も知人もいない。
どうやって生きていくのだろう。城の侍女でもさせるのか。
それこそ、余計なお世話というものだろう。
リリステラはそれを望んでいるのか。――フェデルタに連れ帰ったところで、再び辛い思いをするのではないか。
俺は、どうしたいのだろう。
彼女を傷つけた者たちに、怒りと憎しみはある。
ラウルはリリステラを犯そうとした。ミリアはリリステラが破落戸を雇い、自分を犯して殺そうとしたと吹聴した。
リリステラは――断罪の場に現れた。
そのあまりの美しさに、その覚悟に――心が震えた。
リリステラが欲しい。心底そう思った。
エルデハイムの貴族たちやラウルへの憎悪とともに湧き上がる愛しさに――これは運命なのだと、俺は初恋を知った。
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