新しい生活
ルーゼという神様のような獣の背の上はふわりとしていてとても居心地がよく、空に飛び上がると王国を全て見下ろすことができる。
手を伸ばすと触れられそうなほどに、雲も空も間近にある。
まるで、空に抱かれているみたいだった。
「……私は、夢を見ているのかもしれません」
アルベール様の腕に抱かれながら、私は呟く。
本当に夢の中にいるようだった。
皆を呪った私は、死ぬ間際に呪いの幻想を見ているのかもしれない。
皆の苦しむ幻想を。
そして、アル様にもう一度会いたかったという欲望を。
私の脳が勝手にそれを形作って、幸せな微睡の中で揺蕩っているのかもしれない。
空を飛ぶ獣も、アルベール様も。私の、救いを願う我儘ではしたない、妄想。
「夢?」
「……アル様との時間は、私にとってただ一つだけの、優しく穏やかで幸せなものでした。だから、……最後に、夢を。あなたに会えた、夢を、見ているのですね」
「リリステラ! 夢などではないぞ! 俺はここにいる。君を攫って俺の嫁にするのだから、夢で終わらせなどしない」
黄金の瞳が、太陽みたいに輝いている。
生き生きとした、生命力に満ちた力強い声と、自信に満ち溢れた表情が、眩しい。
それは──図書室で話をしたアル様とは少し違う。
違うけれど、同じだ。
私はその口元を、声を、知っている。
その優しさを、気遣いを知っている。
哀れな私を、哀れと言わない優しさを。同情も憐憫も表に出さずに、そっと寄り添い前を向かせてくれるような、たくさんの言葉を。
「ふふ……私の知っているアル様と、少し違います。でも、優しさは、同じ。……ありがとうございます」
なんだかとても、眠たい。
張り詰めていた緊張の糸が、ふつりと切れてしまったみたいだ。
私はアルベール様の腕に抱かれながら、目を閉じる。
ずっと眠ることができていなかった。
もう、眠ってもいいのだと言われている気がした。
そして私の意識は、深く暗いところへとゆっくりと落ちていったのだった。
──とても、よい香りで目を覚ました。
芳しい花の香りがする。甘さと少しのスパイシーさが混じる、蠱惑的な香りだ。
けれど押し付けがましくなく、嫌な感じもしない。
香料の混じった洗髪料を使って洗った、洗い立ての髪の香りに、それは似ている。
「ん……」
さらりとした肌触りの掛け物が、気持ちいい。
白い掛け物と、柔らかく大きくて立派なベッド。
天蓋には美しい蝶が水辺で遊ぶ絵が描かれている。
よい香りは、クッションやシーツや、着せられている上質で愛らしい寝衣から漂ってきている。
私の銀の髪はベッドに広がっていて、目をこすりながらそろりと起き上がると、さらさらと肩に落ちた。
首に触れてみる。
つるりとしていて、そこにあるはずの傷はもう、ない。
私のナイフは私の首を傷つけたはずだったのに。痛みもない。
私は夢を見ていたのだろうか。一体どこからが夢で、どこからが現実だったのだろう。
「ここは……」
「おはようございます、リリステラ様!」
明るい声がする。私の国の言葉ではない。フェデルタ語だ。
ベッドに座る私の前で優雅なお辞儀をしている若い女性の姿。
見慣れない侍女服を着ている栗色の髪に翡翠色の瞳をした女性は、顔をあげるとにっこりと微笑んだ。
「あなたは……?」
「レベッカと申します。本日より、アルベール様の命で、リリステラ様の侍女となりました。よろしくお願いいたします」
「レベッカ、様」
「レベッカですよ、リリステラ様。私は侍女ですから」
「……レベッカさん。……ここはどこか、聞いてもいいでしょうか」
「リリステラ様、そんなに丁寧にお話ししなくても大丈夫です」
「ここはフェデルタ皇国なのでしょう。ここでの私は、ただのリリステラです。公爵家の娘であったのは、エルデハイムでのこと。ですので」
「リリステラ様はアルベール様の大切な方なのですから、私たちにとっても姫様です! だから、遠慮する必要なんて一つもありません。というか、私、先ほどからずっとフェデルタ語でペラペラ話していますが、大丈夫ですか? エルデハイム語はわからなくて。申し訳ありません」
「いえ、大丈夫です。話すのは、少し、難しいのですが、言葉を聞くことは、得意です」
「リリステラ様、ありがとうございます! エルデハイムの方なのに、フェデルタ語がわかるなんて。すごいです」
「……大したことではないです、そう、教育を受けただけですから」
素直に褒められたのは──はじめてかもしれない。
勉強を頑張っても、試験の点数がよくても、私を褒めてくれる人なんていなかったから。
レベッカさんが尊敬の眼差しをむけてくれるので、私は俯いた。
嬉しい。けれど、それは王妃教育の一つだった。
誇れるようなものでもない。
「私、ペラペラ話してしまいました。申し訳ありません。どちらかというとおしゃべりな方で、よく侍女長にも、喋りすぎだって言われて……! リリステラ様が目覚めたら、お目覚めの後のお支度をするのでした」
「あの、ここは……」
「あぁっ、申し訳ありません! 質問にも答え忘れていて……! ここは、フェデルタの王宮です。王宮の中でも、王族の方々と選ばれた方しか入れない、後宮と言われる場所ですね」
「後宮。アルベール様の?」
「そうですね。アルベール様の即位はもうすぐですから、アルベール様の後宮です」
レベッカさんはそういうと、私に手を伸ばした。
私はその手を取って、ベッドから起き上がる。
後宮とは、皇帝の妻たちのいる場所だ。
私もここにいるということは、アルベール様は私を何番目かの妾にしてくださるということだろうか。
よくわからない。まだ頭がうまく働かなくて、考えることが難しい。
私はレベッカさんに手を引かれるままに、浴室へと向かった。
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