エルデハイムの異常
――憎しみで人が殺せるのだとしたら、この学園に居る者全員を殺すことができるなと、考えていた。
本当は俺一人でも大丈夫だったが、ジオニスがどうしても一緒に行くというので、ベルクント父上に許可を得てエルデハイムに向かった。
ベルクント父上は「もうすでにお前にルーゼの力は譲渡した。即位前ではあるが、お前は既に皇帝。お前の思うようにするといい」と言っていた。
「万が一、俺がエルデハイムを要らないと判断した場合は?」
「遠い昔に皇帝の姫が、エルデハイムに嫁いだ。同盟関係はそこからはじまったが、我らがエルデハイムを守る理由はもうない。共に歩むことができる国だと判断できなければ、それはそれで構わない」
「父上は理解が早い」
「お前は無駄な命を奪わない。そう信じているからな」
そう、言われた。
父上の言葉はありがたかったが、ルーゼの幻惑の力を使い、身分を偽り入学をした貴族学園で――数週間後にはすでに、俺は人の命を奪いたい憎悪に駆られていた。
「一体何なのだ、この国の貴族は。馬鹿ばかりなのか?」
貴族学園では、俺はアル・ジスクルトという架空の貴族を演じた。
分厚い硝子の眼鏡をかけて髪を乱れさせて瞳を隠すと、俺の顔を知るラウルでさえ俺のことには気づかないようだった。
もし気づかれるようなら幻惑の力を使おうと思っていたが、思ったよりもラウルという男は馬鹿――というよりは、女に心を奪われて、周囲に対する関心が薄れているようだった。
会談の場でもフェデルタ語を理解せず、エルデハイム語しか話そうとしなかった男だ。
王太子としていかがなものかと思うが、エルデハイムの有様を肌で感じれば、それは理解できた。
エルデハイム人は、フェデルタ人を見下している。
冷酷な軍人ばかりいる野蛮な国であり、エルデハイムの方が優れていて美しい国だと、街の人々は言っていた。
民がそう感じているということは、王や貴族はさらにそう思っているということだ。
王や貴族は民の見本のような存在である。彼らがフェデルタを見下せば、エルデハイムの民も同様にフェデルタ人を見下す。
「ずいぶんご立腹のようですね、アルベール様。今は、アル様でしたか。あなたが怒っている姿を見るのは珍しい」
学園寮に戻るたびに怒っている俺の話を聞きながら、執事に扮しているジオニスが言う。
「心が静まるハーブティーでもお入れしましょうか?」
「要らない」
「今日は何にお怒りになっているのです、アルベール様。エルデハイムの民については、早々に見限っているでしょう」
「見限ったわけではない。一部の民の言葉が全てだとは思わない。王族や貴族が愚かだとは理解していたが……貴族学園とはなんなのだ。愚か者のあつまりか? クズどもめが」
「怒ると口が悪くなる。その癖、まだなおっていなかったのですね」
「どうせお前しか聞いていない。クズだ。クズ。クズの集まりだ。全員殺してやりたい」
寮の部屋には防音の結界をはっている。
フェデルタ語で罵りの言葉を口にしていても、誰にも聞こえないだろう。
腹を立てながら、どかりと椅子に座った俺に、ジオニスはすかさず心を落ち着かせるためのハーブティーとやらを出してきた。要らないと言ったのに。
俺はそれを一息に飲み干すと、ソーサーに戻した。
「……熱いですよ」
「ルーゼの力で俺の舌はどんな熱さも辛さも受け入れられる。問題ない」
「幻獣様の力を無駄遣いして……」
「無駄遣いではない。そのように体が変化しているのだ。勝手にな」
「そうですか。……それで、貴族学園では何を見ましたか?」
「……ラウルは明らかに、出自を誤魔化している嘘つき女と浮気していて、婚約者の女性を悲惨な目にあわせている。学園の連中も、ミリアという女の嘘に先導され、リリステラを悪しざまに罵っている。意味が分からん」
「残念ですが、私も意味が分かりません。貴族と王族が、揃いも揃って?」
「あぁ。だから分からんのだ。……どうなっているんだ、この国は。あの女はなんだ。……リリステラが哀れだ」
言葉を交わしたわけではないが、リリステラは時折図書室に逃げるようにしてやってくる。
真剣に分厚い本を読むその横顔を、それとなく見ていた。
貴族学園にいる貴族たちは、俺をさえない男爵家の次男だと考えていたから、あきらかに小馬鹿にする言動も見られた。
相手にするのが面倒だったので、授業や学園内の探索以外の時間は図書室で過ごすことも多かった。
「弱い者を、寄ってたかっていたぶるとは。それでも貴族か、王といえるのか?」
「エルデハイムは駄目ですか、アル様」
「あぁ。駄目だな。……だが、もうしばらくは、ここに。ジオニス。ミリアという女と、リリステラの家を調べろ。どうせ暇だろう、お前は」
「暇です」
「では、頼んだ。俺はしばらく、リリステラを見ておく。何か、嫌な予感がする」
俺の嫌な予感は当たるのだ。
フェデルタの神に等しいルーゼが、エルデハイムを知れと俺に伝えた理由は――これなのだろうか。
この国と、貴族の現状を知れ、と。
リリステラは公爵令嬢という尊い身分にありながら、何故皆から罵倒されているのだろう。
誰も手を差し伸べる者はいないのだろうか。
弱き者に手を差し伸べず、強き者に阿ることは――貴族として恥ずべきことだ。
俺は怒りに満ちていて、今すぐ貴族学園とやらを嵐を起こして吹き飛ばしてやりたい気分だったが、我慢した。
もう少し、見極める必要があるだろう。
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