第645話
――草木に覆われた水路沿いに島の奥を目指していく。
島自体は普通の地形と大差なく、奥に向かうほど山なりに盛り上がっているが、水路は奥に近付くほど地下に向かって下っている。
結果として、水路の左右は次第に切り立った崖のようになっていき、水路と壁の狭い通路を歩いていくことになってしまう。
通路はとてもじゃないが二人並んで歩けないほどに狭く、足元に生えた草や苔が湿っていて滑りやすくなっているので、ただ歩いているだけでもやたらと集中力を使ってしまう。
「大丈夫か? 落っこちても引き上げてやる自信はないぞ」
後ろを歩くトラヴィスに振り返って声をかける。
トラヴィスは巨体が仇となって狭い道を通りにくくなっていて、しかも魔力を使い切って回復待ちなせいで、普段ほど脚に力が入っていない。
あの巨大魔獣をこれだけの消耗で撃破できたのは幸運だったが、完全に無視できる負担でもない。
念には念を入れて気にしておくに越したことはないだろう。
「さすがに心配いらんさ。魔力を使い果たしても体力は残っているからな」
「だったらいいんだけど……っと、そろそろ終点だな」
水路の終点は静謐とした神秘的な光景となっていた。
島の中央に深く掘り抜かれた円筒形の縦穴。
そこへ断崖に挟まれた水路が何本も放射状に流れ込み、縦穴の中心にぽっかりと口を開けた地下への孔に、大量の水がまるで滝のように落ち続けている。
何気なく空を仰げば、草木の枝や蔦が屋根のように縦穴を塞ぎ、ほのかな木漏れ日のきらめきが注いでいた。
パーティーの面々が揃って目を奪われる中、ヒルドが特に心を奪われた様子でポツリと呟く。
「まるで森の中の神殿みたい……それにこの柱の様式は古代魔法文明の……ハイエルフが建設に携わった……? それとも単なる模倣……?」
ただ美しいというだけの評価を越えた、研究者を本業とするヒルドらしい観点だ。
このダンジョンに、ダークエルフではない普通のエルフがいるという話は聞いたことがないが、最初にダンジョンを作る段階で既に設けられていた施設なら特に違和感はないだろう。
まずアルファズルがこの『元素の方舟』を作り、他の連中が模倣品のダンジョンを作り、その後に地上の各種族がダンジョンに逃れたという流れなのだから、ここが作られた段階では別の種族が出入りしていてもおかしくはない。
「おい、アンブローズの野郎はどこだ? オレ達より先に来てたんじゃねぇのか」
「ここだ。何もせずに待ち続けているはずがないだろう」
ガーネットが周囲を見渡しながら声を上げると、直後にアンブローズが枝葉の隙間を通り抜けて着地した。
「周辺の索敵をしてきたところだ。しかし、気色が悪いくらいに何の仕掛けもなかったな。大方、魔獣以上の迎撃は第三階層に踏み込まれてからにする計画なんだろう」
アンブローズはそう言いながらダゴンのメダリオンを放り投げてきた。
片手で受け止めたそれは、ものの見事に折れ曲がって原型を失っていて、トラヴィスが叩き込んだ一撃の強烈さが窺えた。
メダリオン自体に直撃したわけではないだろうに、肉体の一部が吹き飛ばされる巻き添えになっただけで、強固な金属の塊がこの有様だ。
しかし、あくまで物理的に形状が歪められただけなので、こうして【修復】スキルを掛けてやればすぐ元通りになる。
「これでよしっと。さて、アレクシア。ここから船を下ろせそうか?」
「うーん……てっきり地下に流れ込む川みたいな形だと思ってたんですが、これ完全に滝の類ですよね。孔の大きさ自体はさっきの船くらいなら軽々降ろせる程度ではあるんですが」
アレクシアは大穴の縁に膝を突き、持ち込んだ機材で簡単な測量と計測に取り掛かっていた。
そしてロープの先に発光する照明用の魔道具を取り付けて起動させ、穴の底にそのロープを下ろしていく。
ロープには長さを測定するための目盛りがあり、魔道具が水面に達して光の具合が変わったところで降下を止めることで、穴の縁から水面までの大まかな長さを図れる仕組みになっていた。
「ちょっとした滝壺なんで、水面はだいぶ荒れてますね。でもこれくらいの高さなら、この広場に収まるくらいのクレーンを使えば、さっきの船程度の大きさなら余裕で水面まで降ろせると思います」
「本当か? そいつはよかった」
「そこから先がどうなってるのかは未知数ですけど。セオドア卿がいれば空中を歩かせて偵察に行ってもらったんですが……召喚系とはいえ、船をぶっつけ本番で孔の底に飛び込ませるわけにはいかないですしね……」
未知の領域の探索プランに頭を悩ませるアレクシアの口元は、どこか楽しそうな笑みを形作っていた。
それはようやく活躍の機会を得たことの喜びのようであり、心弾む難題を前にした楽しさのようでもある。
きっとアレクシアの頭の中では、機巧技師としての知識と技術、そして冒険者としての経験を総動員して解決策が練られているのだろう。
「とりあえず、ロープ降下で孔の下部の様子を見に行きましょうか。ルーク君も『右眼』をお借りしたいのでついて来てください」
「分かった。それじゃあ、護衛もそれぞれ一人ずつ付けた方がいいな。ガーネットとチャンドラー、頼めるか?」
現時点での主要戦力二人を持っていくことになるが、地上に残る面々も決して無力などではない。
俺達が戻ってくるまでの安全確保には充分過ぎる面子だろう。
「よしっ! それではアガート・ラムの玄関先を覗かせてもらうとしましょうか!」
「玄関先というか、広い庭先のそのまた端っこくらいだろうけどな」
眼前の孔には四方八方から水路が流れ込んできているが、水路と水路の間にはそれなりの間隔があり、ロープを垂らして壁伝いに下りていけるだけのスペースはある。
腰回りにロープを絡め、地上側にしっかりとロープの端を固定した上で、崖を降りるときの要領で懸垂降下を開始する。
滝のように落ちていく水の塊の横を降下するのは、長い冒険者生活の中でも滅多になかった経験だ。
大抵、そういう場合は安全を考慮して滝から離れた場所を選ぶため、手を伸ばせば水の塊に指が触れそうな距離を下りるのは新鮮である。
「んーっと、少なくとも孔の真下に足場はありませんね。水が流れていく先はどっちやら……」
アレクシアは片手と金具でロープを固定し、壁に両足を踏ん張った状態で、空いたもう片方の腕で掌大の発光魔道具をゆっくり動かしていく。
数歩分ほど上で付き添っているチャンドラーは、アレクシアの大胆な動きに気が気でない様子だったが、冒険者としての経験を積んでいるアレクシアにとってこれくらいは朝飯前だった。
「……おやっ? 孔の水面間際に横穴があるみたいで。溜まった水はそこから横向きに流れていくと。ふふふ……これはこれは好都合。孔の底まで船を下ろしてあげれば、後は地下水路を航行していけそうですね……!」




