第646話
「とりあえず『右眼』で見える範囲に異常はなし。だけど第三階層までずっと安全って保証はないぞ」
円筒形の孔の縁からロープで垂れ下がりながら、水路の奥を『右眼』で見据える。
魔獣ダゴンを退けてから現在までの間に、アガート・ラムが仕掛けた防衛システムらしきものには全く出くわさず、その痕跡すら視界に入ってこない。
ただ単に、ダゴンの次の防衛システムはもっと奥にあるだけかもしれないが、何とも言えない不気味さがあるのは否めなかった。
「どうする、アレクシア。もっと奥まで見ておくか?」
「私の仕事は、侵入経路に船を入れる手段の確立ですから、ここから先は担当の外……とは言っていられませんよね。途中で別の機巧が必要になるかもしれませんし」
入り口が見つかったから万事解決とはいかないのが面倒なところだ。
ここはただの給水用の水路なのだから、人間が快適に船で通過することなど想定されていない。
あちらに気付かれない範囲で可能な限り偵察しておく必要がある。
「これはノワールを連れてくるべきでしたね。使い魔との視覚共有があれば安全に偵察できたと思うんですが」
「同じ理屈でロイも適任だな。あいつの精霊獣には水中を移動できる奴もあったはずだ」
どんな探索でもそうだが、人選の全てが必ずしも正解だとは限らない。
役に立つはずだと選んだ奴が強みを活かせないこともあるし、逆にあいつを連れてくればよかったと後悔することも日常茶飯事だ。
今回のように初めて足を踏み入れる場所なら尚更であり、俺もアレクシアも最適解の適任者を選べなかった点については、ごく当たり前の反省点として冷静に受け止めていた。
「一旦、上に戻りますか。簡易のクレーンで船を降ろせる見込みと、底から先の移動ルートを見つけられただけでも収穫です」
「そうだな。ガーネット、チャンドラー。一度引き上げよう」
護衛担当の二人にも指示を出して、ロープを頼りに垂直の内壁をよじ登っていく。
その途中で、アレクシアが何気ない疑問を口にした。
「……そう言えば、魔法使いは白狼騎士団にもいますよね。ヒルド卿とアンブローズ卿は使い魔とか使えないんですか?」
「使い魔は黒魔法系の領分らしいからなぁ。属性魔法使いのメリッサもそうだけど、ヒルドは使えないって話だったはずだ。アンブローズは……何をどこまでやれるのか未知数だな」
「あー、魔法使いの秘密主義……機巧技師みたいに成果は共有した方が効率的だと思うんですけどねぇ。もちろん特許的な仕組みもセットですけど」
雑談感覚でそんな会話を交わしながら壁を登り続け、水路が流れ落ちる孔の外へと這い上がる。
そして『右眼』を解除してすぐにアンブローズを呼び、使い魔か何かで水路の奥を索敵できないかと相談した。
「まぁ……それくらいならいいだろう。視界のリンクは僕自身としかできないから、ここは任せておいてくれ」
アンブローズが片腕を胸の高さまで上げると、長い袖から大きな鷹のような鳥がのそのそと現れて、力強く羽ばたいて辺りを旋回し始めた。
一体どうやって呼び出したのかというのは、聞いたところで答えてくれないだろう。
なのでスキルなり魔法なりを使ったのだと解釈することにして、地下水路奥の偵察をアンブローズに任せ、俺達は水路の地上部分の合流地点付近で一息つくことにした。
しかし、まさにそのときだった。
これまで静かだった湖畔の方から、凄まじい大波が弾けるような音が響いたかと思うと、島の中央まで伝わってくるほどの地響きがした。
まるで巨大な生物が湖畔を這い回っているかのような有様だ。
「……ッ! 白狼の! まさかダゴンが生きてやがったのか!」
「メダリオンは回収済みだ! 少なくともダゴンじゃない! とにかく様子を見に行くぞ!」
俺は護衛としてガーネットを引き連れて、大急ぎで音のした方へ駆け出していった。
想定外の事態とはいえ、いきなり全戦力を投入するわけにはいかない。
まずは『右眼』を使える俺が状況を確認しに行くべきだ。
咄嗟にそう判断して行動に移したはいいものの、俺はすぐにこの慎重策を軽く後悔することになってしまった。
緩やかな斜面の水路脇を駆け上がり、切り立った左右の壁も低くなっていき、島の地表にまでたどり着いた俺達の視界に飛び込んできたもの――それは巨大な蛇の塊であった。
一つの胴体から何本もの首と尻尾が枝分かれしている――こう表現することもできるだろう。
人体を丸呑みにしてなお余りある巨体。
俺が培ってきた魔物の知識の中にも該当はあったが、しかしあまりにも大きすぎる。
「ヒュドラか! だけど、こんなに馬鹿でかい個体、中立都市が把握していないはずが……!」
「おい、ルーク! あいつ魔物なのか? オレの目にはさっきの魔獣の下半身にしか見えねぇぞ!」
ガーネットの発言を聞いて、俺は一瞬だけ思考を停止させ、そしてすぐに恐ろしい発想に至ってしまった。
即座に『右眼』を発動させて巨大なヒュドラを見据える。
先程の戦いでは、知性や悪意のようなものを垣間見せたダゴンの上半身ばかりに気が行っていて、湖面の下に沈んだ下半身については、絶え間なく伸ばしてくるサーペントの首くらいしか注意していなかった。
だが、改めて言われてみれば、あのヒュドラが生やした何本もの首は、ダゴンの下半身から生えていたそれと酷似している。
更によくよく思い出せば、メダリオンを奪われたダゴンが崩壊して消滅していったとき、下半身が崩壊していくところまでは目視できず、その前に湖の底へと沈んでいってしまった。
つまり俺達は、ダゴンの下半身の消滅を確認していなかったのだ。
「やっぱり……そうだったのか……」
俺の『右眼』が伝えてきた真相は、当たってほしくはなかった仮説が正しかったのだと、否応なしに実感させてくるものであった。
「……マザーヒュドラ。あれもメダリオンの魔獣……俺達がダゴンという単体の魔獣だと思っていたのは、二体の魔獣を結合させた代物……!」
「んだとっ!? じゃあ、まさか!」
「俺達が倒したのは防衛システムの半分だけだ! もう半分が侵入者を背後からすり潰しにかかってきたんだ!」
8月というちょうどいい節目ですので、2つほど嬉しいお知らせをさせていただこうかと思います。
まず1つ目としまして、白泉社公式サイトにてコミカライズ版第2巻の情報が公開されました。
https://www.hakusensha.co.jp/comicslist/58224/
発売日も公開済みで2020年の9月29日が予定されています。
それともう1つ、書籍版第5巻の刊行が決定いたしました。
こちらはまだ詳細をお伝えすることはできませんが、連載を追っていただいている方にも新鮮に楽しんでいただける内容になるかと思います。
後で活動報告とtwitterの方でも同様の内容を告知しておきたいと思います。




