第644話
――そして俺達は、周囲を警戒しながら本当の目的地へと船を進めた。
島の周りの水面は穏やかで、大型の魔物の気配も全くせず、ダゴンのような想定外の気配も感じられない。
それは湖そのものだけでなく、遠巻きに『右眼』で観察した島の方も同じだ。
少なくとも船上から観察する限りでは、島に何かしらの異変が起こっているとは思えない。
「おい、ルーク。お前、その……『右眼』は大丈夫か? 目の周りのヒビ割れ、だんだん広がって来てるじゃねぇか」
「特に痛みや違和感はないと思うぞ。まぁもちろん、楽観的に考えていいものじゃないんだが、こういう大事なときに使わないなら、一体いつ使うんだって感じだからな」
さり気なく俺の心配をしてくれたガーネットに返事をしながら、目的地の島に目を凝らし続ける。
先に到着していたアンブローズの居場所も視えてきた。
どうやら、円形に近い島の中央付近で佇んでいるようだ。
何をしているのかまでは分からないが、何か大掛かりなことをしている様子も見られない。
現地のアンブローズが自衛行動すら取っていないということは、少なくともそうする必要があるような差し迫った危険はないというわけだ。
「団長、接岸しますか? また島の方に湖の水が流れてる感じはしますけど、さっきの奴とは違って表層的な流れ方ですね」
上陸を提案したユリシーズに頷きを返す。
「頼めるか? 今回は原因もちゃんと視えてるから、巨大生物が隠れてるってこともない。湖から島の中央に向けて川が流れ込んでいるんだ」
普通の地形であれば、島や陸地に振った雨水が川となり、水辺や海に流れ込んでいくのが当然のあり方だ。
しかしこの島は、湖の水が島の奥へと流れている。
とはいえ、重力を無視して傾斜を逆流しているわけではない。
岸辺から島の奥に向けて下り坂の溝が刻まれていて、島の奥には水面よりも低い盆地のような地形があり、傾いた水路に沿って盆地の底に流れ落ちている形である。
そして同じような水路が島の何箇所に設けられ、明らかに自然物ではない雰囲気を漂わせていた。
要するにあれは、ただの島などではなく人工的な取水施設なのだ。
「水路には水門みたいなものも見えるな。大掛かりな機巧で湖水の流入量を調節して、常に適量を下の階層へ送り込んでいるんだ」
「あー、水源地とかでよく見る仕掛けですね。さすがに水没した取水塔ってのは初めて見ましたけど」
アレクシアが横からひょっこりと顔を出し、機巧技師の観点から目的地の島に与えられた役割を評価する。
「湖の底に穴でも開ければ手っ取り早いんでしょうけど、それだとやっぱり湖底の泥なんかで詰まっちゃうんでしょう。人里みたいなものも周囲になくって、水質汚染とも無縁みたいですから、上澄みだけを効率的に集めたかったんだと思いますよ」
確かに河川や湖沼の底といえば分厚い泥の層が付き物だ。
底に近い辺りの土や泥を避け、メンテナンスのための足場を確保し、なおかつ周囲からの隠蔽まで考えると、自然とあの形に落ち着いてしまうのだろう。
まぁ何にせよ、ああいう形だったのは俺達にとっても好都合だ。
あれなら突入作戦――に見せかけた陽動作戦の前線基地も容易に作ることができる。
「ユリシーズ、接岸を。船は念の為に召喚解除してくれ。上陸は全員でやろう」
「了解。見張りを置かずに済むってのも、このスキルの強みですからね」
さっそくユリシーズは舵を切り、船を島の岸辺に停止させた。
そして全員が陸地に降り立ったのを確かめてから、スキルを発動させて船を元の場所へと送り返す。
「ふー……やれやれだ。やっとこさ一息つけますわ」
ユリシーズは溜息を吐きながら腰を押さえ、疲れを解そうとするように肩と首を動かしている。
激しく揺れる船上で踏ん張って、力の限りに舵を切り続けるのはなかなかに重労働だったようだ。
「おいおい、やるじゃねぇか、おっさん! 大したもんだぜ!」
チャンドラーが嬉々とした様子でユリシーズの背中を叩く。
本人としては親愛表現だったのかもしれないが、ユリシーズの体には少しばかり威力が強すぎたようで、上ずった悲鳴を上げてつんのめってしまった。
「痛たたたた。勘弁してくれよ。あちこちガタが来てんだからさ」
「おっと、悪ぃな」
「それに信賞必罰は本部に戻ってからだ。家に帰るまでが遠征ですってね。帰り道にとんでもない大ポカやらかすことだって有り得るんだから」
ユリシーズは含蓄のあることをチャンドラーに言いながら、横目で俺の方にも視線を向けた。
「それに突入作戦こそが本番なわけで。これくらいで体力の限界になってたら、むしろ力不足だったりするかもですよ?」
「……いや、反省会は帰ってからでもいいけど、褒める分にはすぐにやっておかないとな。帰るまでに万が一のことがあったら言えずじまいだろ?」
「あはは、怖いこと言いますねぇ。現実を見ていただけるのは、部下としては大助かりですけど……おっと、別の騎士団の団長がそうだってわけじゃないですからね、念の為」
前々から思っていた通り、どうもユリシーズは話をずらしてはぐらかそうとする癖があるようだ。
年甲斐もなく……いや、年長者だからこそ、率直に褒められたり称賛されたりするのがくすぐったく感じてしまうのだろうか。
それでいて評価を得られなかったり、やりたい仕事ができないことへの不満は健在なので、何とも言えない複雑な心境に陥ってしまうわけだ。
正直、俺も武器屋の若い子達に似たようなことを感じてしまうので、気持ちも分からないわけではないが、だからこそ言うべきことは言っておかなければ。
「ありがとな、ユリシーズ。お前のおかげで助かった」
「そいつはどうも。満足いただけたようで何よりですよ」
気のない態度でひらひらと手を振りながら、ユリシーズは島の奥に向かって歩いていく。
しかしその口元には、確かに笑みのようなものが浮かんでいた。




