第五話 忘れられない光景
あれから夏が終わりを告げ、半袖から長袖へ衣替えをする頃クラスメイトは、七子たちへの好奇心も薄れていった。
テスト終わりの教室には、七子と宙太しかいない。七子は授業ノートを纏めるために、黙々とシャーペンを動かしていた。
「……なぁ、今から宇宙に行かない?」
ノートから宙太の方へと視線を動かす。以前、約束した宇宙デートを思い出し、ノートを閉じる。
「いきなり急ね。いいけど……。あの海以降よね。あの後、お互い学校が始まるまで連絡だけだし、暫くデートは無理だと思っていたわ」
「中々時間作れなかったからな。……早く行こう。どうしても一緒に来て欲しいんだ」
「急かさないでよ。私は逃げたりしないし、そもそも明日も学校で会えるでしょ」
拗ねたように唇を尖らせた後、鞄に筆記用具をしまっていく。
宙太は困ったように、眉を下げて笑う。
「ごめんごめん。確かに七子は逃げないよな」
「いいわよ。私を宇宙に連れて行ってくれるのでしょ。早く行きましょ」
教室から出ていく時、どこからか金木犀の香りが漂う。一瞬、宙太の背中が消えそうな気がして、鼻の奥がツンと沁みた。
******
裏山へとたどり着くと、潜水艦のような機械が目の前に現れる。
「なんか想像してた宇宙船と違うわね。円盤型だと思ってた」
宙太は見たことのない装置を操作していく。
「それは隣銀河の宇宙船だな。俺達の惑星は、陸地がなくて全て空みたいなものだから、こっちの方が都合がいいんだ」
「へー、やっぱり惑星によって違うのね」
「全然違う。人間だって同じ種族だけど、肌の色も違うだろ」
――プシュー。
宇宙船から空気が抜ける音が響くと、緑色の光が二人を照らし出す。
七子は眩しくて思わず目を閉じる。その時、刹那の無音に包まれた。
「目を開けても大丈夫だぞ。もう着いたし」
「えっ! 宇宙に着いたなんて、そんな早く着く訳……」
ゆっくりと目を開けると、目の前の光景に息を飲む。先ほどまで木々の緑が広がっていたのに、一面、銀河に染まる。
遠くには図鑑で見たことのある地球。星々は地上よりも鮮明に輝き、あまりの大きさに目を奪われる。
「……きれい」
この胸の震えこそが、神秘に触れるということなのだと知り、息することも忘れかけていた。
宙太は微笑ましそうにしながらも、遠くを見るような瞳をする。
「よかった。自分もこの光景好きだから、七子と一緒に見たかったんだ。……もう見れないかもしれないから」
機械音と二人の呼吸が混ざり合う空間の中、七子は誤魔化すように笑おうとした。しかし引き攣ったような顔しか出来ない。
「……えっ? それってどういう事?」
「俺、惑星に帰還するように命令が下った。だから帰らなきゃいけないんだ。……今日で恋人ごっこは終わり」
突然のお別れに、見えない針が心に突き刺さる。何とか立てているが、足はふらついた。
湧き出す感情が怒りからなのか、悲しみなのかも分からないまま、衝動のまま吐き出していく。
「っ、そ、そんないきなり言わないでよ! 約束破ったら針千本飲まなきゃいけないのよ! 今なら冗談で終わらせてあげるから、撤回しなさいよっ!」
七子は宙太を睨みつける。
その時、悲しげに微笑む顔が、無理だと静かに告げていることに気が付いた。
瞳に溜まった涙が、幻想的な光景を歪ませる。
宙太は壊れものを触るような手つきで、七子の目元を拭う。
「……嘘つきでごめんな」
初めて聞く優しすぎる声に、溶かされた氷のように感情が溶け出していく。
ボロボロと零れ落ちる涙と、溢れ出す声が、心の痛みを教えていた。
「なんで、なんでなのよっ! 返しなさいよっ! 私の……」
言葉が詰まる。七子は今更気付いたのだ。
ずっと宙太に恋をしていた。
そして愛する宇宙人の手により、本当の意味で恋心を奪われる。
宙太は黙って七子を抱き寄せた後、慰めるように頭を撫で続けた。
七子は離れたくないとばかりに、宙太の服に力強くしがみつく。
銀河の中、誰にも知られず二人の恋は終わりを告げる。
******
地球へと戻る頃には、七子の目元は朱に染まっていた。
宙太は小さな子どもに、聞かせるように囁く。
「そろそろ帰らないと、お母さんが心配するんじゃないか?」
「嫌よ。だってもう宙太と会えなくなるんでしょ? そんなの嫌よ」
七子は首を横に振り、一層握り締める力は強くなる。
困らせていることは分かっていても、ワガママを言わないと離れてしまう。
飛行機や船で行ける距離ならば、我慢が出来た。
だが彼は銀河という果てしなく遠い場所に行ってしまうのだ。そんなこと耐えられるはずがない。
七子の悲しみが分かっているようで、無理やり突き放す真似を宙太はしなかった。
代わりに彼は胸ポケットを探り、小さな箱を取り出す。中を開けると、透明度が高く白の石がついた指輪が姿を見せた。
石の中では様々な光が生まれては消え、まるで小さな宇宙のようだった。
宙太は七子の左手を手に取ると、薬指に指輪を通す。
「俺たちの星では、この石を好きな人へ贈るんだ。……今はこれしかあげられない。だから地球に帰るその日まで、俺に恋心預けてくれない?」
黒い瞳は淀んでおらず、真っすぐで何よりも綺麗だと感じた。
七子はきゅっと唇を噛み締めたが、観念するように視線を合わせる。
「……なら、キスしてよ。それで信じてあげる」
宙太から息を飲む音がした。覚悟をしたように、黙って近づく距離。
重なった影、自分以外の温もり。夜風の冷たい風。触れあうだけのキス。
二人は二度と忘れないように、目に焼き付けた。
合図を送るように、七子から一歩離れる。
「……私が三十歳になるまでに来なかったら、許さないから」
「うん、分かっているよ。もたもたしていたら、そっちから来そうだもんな」
また一歩、二人は離れていく。
「当たり前じゃない。大人しくいられるほど、か弱くないの」
「知ってる」
緑色の光が宙太を照らし出す。
「っ! 今度こそ針を千本飲ませるんだからね!」
「それも困るけど、七子が泣く方が嫌だな」
宙太の体が薄れていく。七子は手を伸ばしかけたが、名残惜しそうに引っ込めた。
「ずっと愛してるよ」
言葉だけを残して、宙太は地球から旅立っていく。
七子は最後に涙を流すと、愛おしそうに夜空を見上げた。
宙太の姿は、もうどこにもない。
銀河の果てにいる彼へ、渡しそびれたシグナルを放つ。
「……私もずっと愛しているわ」
左手の指輪だけが、この星に風間宙太がいたことを証明していた。




