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恋のシグナル  作者: 多田羅 和成


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第二話 恋人ごっこ

 カーテンの隙間から、日差しが差し込む。


 七子《ななこ》はまだ寝たいと、布団の中に包まっていた。


 そんな甘えは許さないと、一階から母の声が響く。


「七子ー! そろそろ起きないと学校に遅れるわよ!」


「……はーい! ちゃんと起きます!」


 観念したように、勢いよく起き上がる。ベッドから出れば、パジャマからセーラー服へと着替えた。


 自慢の黒髪をポニーテールにしている最中、昨日のことを思い出す。


「そういえば、宙太《みちた》は約束覚えているかしら……。破ったら針千本飲ませるんだから」


 少しの期待と不安が顔を覗かせた。


「ダメダメ! 約束したんだから信じないと……」


 鏡で変なところがないかと、念入りに確認する。


「よし、今日の私もかわいい。せっかく恋人ごっこするんだから、ちゃんとしないとね!」


 大事な呪文を唱えた後、リビングへ向かった。


「おはよう七子。今日行けば夏休みなんだから、朝ごはん食べてしゃきっとしなさい」


「おはようお母さん。今日はヨーグルト付きじゃん! ありがとうー!」


 席に座ると、手を合わせた。


「いただきまーす」


 いちごジャムをたっぷり塗った食パンを頬張る。


 甘酸っぱい味が口いっぱい広がり、自然と頬が緩んだ。


「んーっ! やっぱりいちごジャムはケチっちゃダメよね!」


 最後の一口を食べ終わると、心もお腹も満たされていく。


 ――ピンポーン。


「あら、こんな朝から誰かしら。七子ー! 出てちょうだい!」


「はーい!」


 鞄を手に取り、そのまま学校へ行くつもりで玄関へ向かった。


 扉を開けた先に立っていた人物を見て、七子の目はまん丸くなる。


「……えっ、宙太《みちた》ー! なんでアンタいるのよ!」


 あくまで会えるとしたら、学校だけと思っていたからこそ、朝から迎えにくるとは予想していなかった。


 本当に約束を守って迎えに来てくれたことに、驚いたのだ。


 いつもより心臓が早く鼓動している。その理由が七子には分からなかった。


 宙太は七子の反応を見て、気まずそうに目を逸らす。


「い、いや、住所を調べるなんて、いつもの調査に比べれば簡単だし……」


 恥ずかしくなったのか宙太は唇を尖らせ、言い返した。


「てか約束守らないと、針千本飲ませるって言ったの七子だろ! 俺はちゃんとしただけでなんだよその態度!」


「仕方がないでしょ! 今までこんなことなかったんだから! 驚いたというか、その……」


「さっきからなんか騒いでいるけど、一体誰が来たの?」


 母は七子達の声が、気になったのか玄関の方を見る。


 そして宙太の姿を見ると、手を口に当てて笑みを零す。


「もしかして彼氏ー? 七子が男の子を連れてくるなんて初めてじゃない!」


「ちょっと、お母さん! 恥ずかしいから! もう行くわよ!」


 七子の頬に熱が籠る。


 母の優しげな眼差しから逃れるように、宙太の体を押し家から出ていく。


「えっ! えっ! おい、押すなよ!」


「いってらっしゃーい」


 宙太は押されるまま外へ押しやられる。閉まりかけの扉から母の声が聞こえたが、七子は返事が出来なかった。


 ******


 七子達は通学路を歩いていた。微妙に空いた距離。友達として見てもぎこちない。


 俯いたままの七子に、呆れた様子の宙太が口を開く。


「いきなり迎えに来たのは確かに悪いかもしれない。恋人ごっこをすると言ったのは、七子じゃん。その態度はよくないと思うんだが?」


 七子はビクッと肩を震わせる。恐る恐る顔を上げると、瞳が潤んでいた。


 宙太は一瞬目が見開いた後、拳を握り締める。


「えっ、なっ、泣くほど嫌だったのかよ! 資料には恋人らしい行動の一つと書いていたのに嘘だったのかよ! くっそ、あの資料書いたやつ許さねぇ!」


「……違うの。宙太がしたことは恋人として正しいわ」


 七子は弱々しく首を横に振った。


「ちゃんと恋人らしいことをしてくれたことが嬉しかった。だけど、どう反応したらいいか分からなくなっちゃったの。恋愛小説でいっぱい勉強したのに、可愛らしい反応を出来なかった自分が嫌だっただけなの。……ごめんなさい」


 七子は居心地が悪そうに体を小さく縮こまる。


 その姿は、恋に振り回される少女そのものだった。


 暫くの間、二人の間に沈黙が流れる。


 宙太は自分の頬を掻き、ぶっきらぼうに告げた。


「人間ってそんなもんじゃないのか? 最初からそれが出来るなら、クラスメイトから氷の女なんてあだ名つけられないだろ。お互い分からないことだらけなんだから、少しずつ学習すればいいじゃん。それの何が問題なんだ? ……俺だって恋人初めてだし」


 七子の心に宙太の言葉が、キラリと星の如く輝く。キュッと鞄の紐を握りしめると、無邪気な笑みを見せた。


「なーんだ。宙太も恋人ごっこ初めてなんだ。……ちょっと安心した。もしかして調査でしたことあるのかなと思うぐらい慣れていたから」


「俺は高校生の生態調査担当だ。恋愛は調査対象じゃなかったし、興味もなかった」


「あら、もったいないわね。好きな人の一言で頑張れたり、ちょっとしたことで嬉しくなったり……。恋をするだけで、味気なかった世界が変わるの。それってとても素敵なことじゃない?」


 七子の黒髪に陽光が反射し、宙太は眩しそうに目を細めた。


「恋で世界が変わるなんて信じられないけどな」


 七子は不満そうな表情を浮かべる。そして自分の鞄から恋愛小説を取り出した。


「勉強不足なだけよ。特別にこの恋愛小説貸してあげるわ」


「えぇ、別に見たくないんだが……」


「ダーメ! 契約とはいえ恋人なんだから、お互いのこと知らないと始まらないでしょ? ……だから教えてよね? 宙太のことをさ」


 七子は宙太の胸に小説を押し付ける。その顔は返されると微塵にも考えていなかった。


 宙太は観念したように、小さなため息を吐いて本を受け取る。


「分かったよ。これから知っていくよ。恋愛についても、七子についても」


「あら、宙太について教えることも忘れているわよ?」


「揚げ足取りが上手だなぁ! そんなんだから氷の女なんだってば!」


「はぁ? ちゃんと可愛くしてきたんだから! 氷なんかじゃないわ!」


 ――キーンコーンカーンコーン……。


 響き渡るのは学校が始まるチャイムの音。


 二人は静かに顔を合わせた。


「七子のせいで終業式遅れたじゃん!」


 七子は宙太の手を握れば、焦りを滲ませながらも楽しげな声で急かす。


「そんなことより走るわよ! 絶対に間に合わせるんだから!」


「俺走るの嫌なんだけどー!」


 チャイムが鳴り響く中、二人は周りの生徒の驚いた表情も気にせず、無我夢中に走り抜ける。


 ゴールテープを切るように、学校に辿り着く。七子は宙太に向かって自慢気に告げた。


「ほら、大丈夫だったでしょ? 私、昔から走ることは得意なのよ!」


 宙太は息を切らしながら、噴き出すように笑い出す。


「あははっ、あっりえねー! 普通諦めるじゃんかよー! 絶対間に合わないと思ったのにさー!」


 呼吸が落ち着くと、宙太は白い歯を見せ得意気な表情を見せる。


「これで一つ七子のこと知れたってことだよな」


 七子はキョトンとした後、宙太の表情を真似し返す。


「えぇ、私は優しいの。アンタに氷の女だなんて言わせないわ」


「いやー、その表情は下手したら氷の女王だぞ」


「なんでグレードアップしているのよ! ふざけないでちょうだい!」


 二人はじゃれ合うように、言い合いをし続けた。


 教室へ辿り着くと、一斉に視線が二人に向けられる。


「あの二人手を繋いでいるけど、もしかして付き合っている?」


 クラスメイトからの一言に、二人は繋いでいる手を離した。


 そして、いそいそと自分の席へと向かっていく。友人らしき人に弄られる宙太と、視線だけの向けられる七子。


 ほんのりと赤く染まる頬だけは、お揃いだった。

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