第一話 落ちたのは?
綾瀬七子は宇宙人に会ったことがある。
彼女が七歳の頃、近所の裏山で運命的な出会いを果たした。
灰色の肌。大きな黒い目。細長い体。
十年経った今でも七子は、裏山で宇宙人にシグナルを送り続けている。
奪われた恋心を返してもらうために……。
******
七子はいつものように、裏山に来ていた。
真面目な顔で、両手を頭の上に上げる。そして指先同士を合わせ、三角を作った。
「ベントラ・ベントラ、スペース・ピープル。こちら地球の綾瀬七子。近所の裏山にいます。いい加減応答せよっ!」
静かに茜色の空を見つめ続ける。
――カァッ……カァッ……。
返事したのは、カラスだけだった。何も起きない光景に肩が落ちる。
「もう十年もしているのに、どうして来ないのよっ!」
休憩をするため、近くの木に座り込む。鞄から取り出したのは、今流行りの恋愛小説だった。
栞を挟んでいたページを開くと、甘酸っぱそうな恋愛描写が目に飛び込む。
「好きな人からキスされるとかいいなー。きっと幸せなんだろうな」
子どもの頃、夢中で読んだおとぎ話のような描写に、思わず吐息が漏れる。
あの頃との違いがあるとすれば、ときめくことを忘れてしまっただけだ。
「もし恋心が奪われていなければ、私も恋が出来たのかな。手が当たってドキマギしたり、嫉妬をして胸を締め付けられたり、名前呼ばれただけで喜んだり……」
クラスメイト達が話す恋バナは、宝石のように煌めいていた。
恋を知らない七子は、最初は混ざれても共感することが出来ず、いつの間にか仲間外れにされる。
恋をすれば友達が出来るかもしれない。
そんな淡い期待に縋るしかない自分が嫌で、軽く唇を噛む。
「もう一回したら今日は帰ろう! 諦めないことが大事だもの!」
落ち込んだ気持ちを奮い立たせるため、立ち上がり声を張り上げる。
手にしていた小説が地面に落ちても気にせず、再び両手を頭に上げた。
そして苛立ち交じりのシグナルを飛ばす。
「ベントラ・ベントラ、スペース・ピープル。こちら地球の綾瀬七子。近所の裏山にいます。誰でもいいから応答せよっ!」
虚しく七子の声だけ裏山に響いていく。
カラスにすら見放されたような気持ちになり、腕を下した。
「そんな上手くいくわけないか……」
グッと溢れそうになる涙を堪え、耐えるような笑みを作る。
今日は諦めて家に帰ろうと、鞄を手に取った。
――ガサガサガサッ! ……ドサッ!
茂みが大きく揺れ、その向こうから何かが落ちる音がした。
「えっ! なっ、なにっ?」
「いってぇなっ! 誰だよ! こんなところでベントラコールしたのはよ!」
七子の心臓はドクンと脈を打つ。衝動に身を任せ、声がした方へと駆けていく。
「見つけたわよ宇宙人! 私の恋心を返しなさ――風間……? なんでアンタみたいなヤツがここにいるのよ」
茂みを掻き分け、今までの鬱憤を晴らすかのように大声を出す。
しかし、目の前にいたのは、クラスメイトである風間宙太であった。
七子の記憶では、彼はクラスの中心であり、裏山よりもゲームセンターを好む男だ。
いつも誰かしらいるからと周りを見渡すも、宙太ただ一人だけだった。
そんな宙太は、狼狽えているのか目を泳がせている。
「ゲッ、な、なんでこんなとこに氷の女がいるんだよ!」
「誰が氷の女よ! 本当に失礼な男ね!」
七子は不服に思っているあだ名で呼ばれ、声を荒げた。
しかし七子は、宙太の姿に違和感を覚える。
「アンタ……。触覚つける趣味あるっけ? しかも耳尖がっているし。ハロウィンは三ヶ月先よ」
宙太は最初キョトンと目を丸くした。
確かめるように頭の上を触ると、一気に顔が青ざめる。
「……えっ、あっ、嘘だろ! 変身が解けてる!」
「変身?」
七子は宙太にある触覚と尖った耳を交互に見つめた。
そして――ある一つの答えに辿り着く。
「アンタ、もしかして宇宙人?」
辺り一帯が静寂に包まれた。
宙太は咄嗟に頭の触覚を隠し、口をもごもごと動かす。その様子が、答えを教えていた。
七子の目は一番星を宿したように、眩いほどの輝きを放つ。
「やっと宇宙人に再会したわ!」
長年の願いを叶えられた喜びを抑えきれなかった。手を上げて、溢れ出す感情に瞳が潤む。
――ガチャ。
不意に重たい金属音が聞こえた。
「……えっ?」
宙太から見たことのない銃のような機械を、向けられていることに気付く。
七子は一瞬で、息が止まった。
「仕方がない。記憶を改ざんするしかないな。痛みはないから、大人しくしてくれ」
「ちょっ! 嘘でしょ! そんなのないって! 人でなし!」
「人ではないからね」
――バキュン!
逃げようとした七子の左胸を、青白い光が貫く。
七子は胸を抑えるも、痛みはない。
恐る恐る目を開けると、何も変化がないように見えた。
「いっ、生きてる……? てか、撃ったアンタがなんで驚いているのよ! 驚くのは私の方でしょ!」
「な、なんで、記憶改ざんが出来ない? いつもなら気絶するはずなのに!」
「……もしかして宇宙人から恋心を奪われたせいで効かなかった?」
「もう他の宇宙人からやられているのかよ! そんなのってアリなのか!」
宙太の戸惑いを見て、七子は勝ち誇ったような表情をして近づいていく。
「まっ、待て! ここは穏便に話し合いをしよう! なっ? 俺達クラスメイトじゃん!」
宙太は七子との距離を取るように、後ずさりをする。しかし背後の木に当たってしまい、引きつった笑みを見せた。
「あら、可愛らしいクラスメイトを撃ったのは誰かしら?」
「ごめんって! こっちも地球の調査を言い渡されていて! 頼むから言いふらすとかしないでくれよ! ……ひいっ!」
七子は鼻先が触れ合いそうな程に顔を近づける。
そして薄っすらと笑みを浮かべた。
「ある条件を飲むなら、言わないであげる」
「本当か……? 条件って?」
誰にも言えない二人だけの秘密を結ぶため、七子は囁く。
「――私に恋を教えてよ」
「……えっ、俺が恋を教える?」
宙太は七子の言っていることが分からないとばかりに、口をぽかんと開けていた。
間抜け面を見せる宙太の左胸に、七子はそっと人差し指を当てる。
「私は小さな頃に、宇宙人から恋心を奪われたの。でも、いつかは誰もが羨むような恋をするのが夢なのよ。アンタは地球の調査に来てんでしょ? 特別に私を使って人間の恋を調べさせてあげるって言っているの。簡単でしょ」
「なんでだよ! 俺の惑星の技術なら何とかなるけど、明らかに違う宇宙人の仕業じゃん! 俺には関係ない!」
「アンタだって宇宙人でしょ! 宇宙人の責任は宇宙人が取りなさいよ! 恋人ごっこに付き合うだけで、言わないであげるんだからいいでしょー! 返事はハイかイエス以外認めないんだから!」
「理不尽だー! そんなんだから周りから、氷の女と言われるんだぞ!」
宙太の言葉に、七子は言葉が詰まってしまう。
先ほどの勢いは萎んだように、茜色の残照で出来た影が瞳に映る。
「し、仕方がないじゃない。私だって皆と恋を共有したいのに、奪われちゃったもん。……漸く掴んだチャンスを逃したくないのは、なにもおかしくないでしょ」
震える声は自分が聞いても情けないと思えるほど、弱弱しいものであった。
「……そうね。アンタからしたら、関係ないもの。さっき言った事は忘れてちょうだい。大丈夫よ。私が言いふらしたって、誰も耳を貸しはしないから」
宙太を抑えつけていた人差し指は、力なく降ろされる。涙が溢れる前にその場を去ろうとした。
その時、宙太が七子の左腕を掴む。
「あー、もう! 分かった! 分かった! どこぞの知らない宇宙人の責任は俺が取ってやるよ! 綾瀬の恋人ごっこ付き合うから、そんな顔するな!」
七子は宙太の方へ、ゆっくりと振り返った。
降参だとばかりに困り果てた彼の顔に、心がキュッと締め付けられる。
「……本当?」
「本当だよ。地球のなんだアレ。そう! ゆびきりをしてもかまわない!」
「……ふっ、なにそれ。子どもの約束みたい」
思わず鈴のように可愛らしい笑い声が噴き出した。
宙太は慌てたように、七子の腕を離すと早口気味に言い返す。
「俺の知っている資料では、ゆびきりは約束をするものだと書いてあったからで……」
「そうね。約束をする時に使う傾向があるものね」
七子は零れそうになった涙を拭うと、小指を差し出した。
「ゆびきりしようよ。私は風間が宇宙人だということを誰にも言わない代わりに、風間は私の恋人ごっこに付き合って」
あどけない微笑みを浮かべる七子。
宙太は一瞬、固まっていたが小指を絡ませる。
「ゆびきりげんま。嘘ついたら針千本のーます。ゆびきった」
「ゆ、ゆびきった」
七子から小指を解くと、自分の鞄を手に取った。
「そろそろ帰るけど、絶対恋人ごっこのこと忘れないでよねー! 本当に針千本飲ませるんだから!」
「えっ! 宇宙人だからって痛覚ない訳じゃないけど!」
「あははっ、私しーらない! また明日ね宙太」
宙太は驚くように目を大きく見開く。そして控えめに手を振り返す。
「また明日な。えっと、七子」
七子は宙太の体温が残る小指を見つめ、頬がピンクに染まっていく。
「ふふっ、初めてゆびきりしちゃった」
明日から始まる恋人ごっこに、知らない高揚感を感じる。
七子は軽い足取りのまま、家へと帰っていった。




