第9話 一層奥
翌朝、センターへ向かった。
出入り口をくぐると、鈴音がいた。こちらを見て、少し目を細めた。
「また来た」
「はい」
鈴音は短く息をついた。宍戸のことは聞かなかった。こちらも言わなかった。
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「二層に行きます」
受付を済ませながら言った。
「駄目」
鈴音は即答した。
「なんで」
「一層もまともに歩き切ってない人間が、二層に行くのは早すぎる」
「でも一層のゴブリンは——」
「一層を、まだ抜けてないでしょ」
鈴音は受付の端末を操作して、一層の簡易地図を表示した。
見慣れた通路と分岐路が画面に出た。そこに薄く色がついている。
「これ、あなたが歩いた範囲」
思ったより狭かった。
入口付近と、いくつかの分岐路。一層全体から見ると、端の方だけだった。
「奥にはまだルートがある。奥の方が敵の密度も上がる。二層に行きたいなら、まずここを歩き切ってから」
言い返せなかった。
二層へ行きたかった。
でも、一層の奥にまだ踏んでいない場所があるなら、そこを飛ばして二層へ行く理由がないことも分かる。
「奥って、ゴブリンスカウトが出るんですよね」
「出る。記録上は」
「通常ゴブリンの少し速いだけのやつ、ですよね」
「そう思ってるなら、なおさら行った方がいい」
鈴音は端末の表示を閉じた。
「知ってることと、戦えることは別だから」
少し面倒だった。
でも、二層に行くために必要なら仕方ない。
「……分かりました」
鈴音はそれだけ聞いて、通路の方へ歩いた。
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一層奥は、これまで歩いた場所とは空気が違った。
通路が細い。壁と壁の間が狭い。発光石の間隔も広く、影が多かった。
しばらく進むと、ゴブリンが来た。
いつもと同じだった。踏み込んで、短剣を押し込んだ。
黒い煙。石。
続けて一体。また一体。どれも同じだった。
そう思ったとき、前方の通路で何かが動いた。
ゴブリンだった。ただし、いつものとは違った。
体格は小柄で、通常のゴブリンより細い。短刀を片手に持ち、通路の壁際に張り付くように立っている。
名前は知っていた。
ゴブリンスカウト。
通常ゴブリンより少し速いだけのやつ。
そう思っていた。
目が合った。
正面から来なかった。
壁を使って横へ走った。速い。しかも足音が軽い。気づいたとき、もう視界の端にいた。
腕を庇った。
短刀が腕の外側を裂いた。革鎧の袖が切れた。
振り向いたとき、もう向こう側にいた。
「追わないで。追ったら回り込まれる」
鈴音の声が飛んできた。
「止まって、来る方向を見なさい」
止まった。
ゴブリンがまた動く。今度は反対側の壁へ回った。
速い。
でも、見えないわけじゃない。
足の向きを見ていた。次に曲がる直前、踵が外へ向く。
口の端が上がった。
「いいな」
後ろで鈴音が、また何か言った。聞こえなかった。
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そのまま二度、腕と脇腹を浅く裂かれた。
でも、足の向きは分かるようになってきた。
次の突進で、少しだけ先に動いた。半歩だけ。短剣の刃が引っかかった。深くは入らなかった。でも止まった。
もう一度。
今度は深く。
黒い煙。石。
呼吸が荒い。腕と脇腹が熱い。
後ろで鈴音が近づいてきた。腕を見て、少し顔をしかめた。
「センターに戻る」
「もう少し——」
「戻る」
有無を言わせない声だった。
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受付で処置を受けながら、登録証を見た。
宮前 蓮 LV:2 スキル:なし
討伐履歴の末尾に、新しい行が増えていた。
ゴブリンスカウト。
名前は知っていた。
でも、登録証に載ったその名前は、昨日まで見ていた攻略情報の文字とは違って見えた。
速かった。横から来た。最初は全然見えなかった。でも最後には、次の動きが分かった。
霧島迅まで、まだ遠い。
でも、一層にもまだ、ちゃんと越えるものがあった。
それだけで、今日は十分だった。
鈴音は隣で、処置を受ける僕を見ていた。
「……勝ったからいい、って顔してる」
言われて、顔を上げた。
「違うんですか」
「違う」
鈴音の声は、静かだった。
怒っているというより、何かを抑えている声だった。
「その話は、明日する」
それだけ言って、鈴音は視線を外した。
僕はもう一度、登録証を見た。
ゴブリンスカウト。
新しい名前が、そこにあった。




