第6話 御堂鈴音は、笑っていなかった
宍戸に名前を聞いた夜、何度も寝返りを打った。
眠れなかったのは怖いからじゃない。ただ頭の中で、霧島迅、という三文字が止まらなかった。
Bランク。
今の僕が目指している場所とは、距離が遠すぎて笑えない。でも遠いなら近づくしかない。そのためにすることは、もう決まっている。潜って、倒して、強くなる。
寝られないなら早起きしたことにすればいい。
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台所へ行くと、母親がコーヒーを飲んでいた。
今日は僕の顔じゃなく、腕を見た。昨日、受付で巻き直してもらった包帯が肘の下に見えていた。
何か言おうとして、止めた。
僕も何も言わなかった。
冷蔵庫を開けて麦茶を出した。コップに注いで飲んだ。
母親が言った。
「また行くの」
「うん」
返事は来なかった。
皿を洗う音だけがした。
僕は部屋に戻って、短剣を腰に差した。
玄関で靴を履いていると、台所から声がした。
「帰ってきなさいよ。ちゃんと」
「うん」
扉を閉めた。
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センターに着いたのは朝の七時半だった。
受付の職員は昨日とは別の顔だったが、こちらを見る目は似たような顔をした。登録証を差し出すと、記録を取って黙って入退場の処理をした。
出入り口をくぐった。
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入ってすぐ、ゴブリンが出てきた。
最初の日、あれだけ怖かった相手だ。
踏み込んでくる前に体が動いた。考えるより先に間合いを詰めて、短剣を腹に押し込んだ。
黒い煙。石。
三秒もかからなかった。
石を拾って、通路の奥へ進んだ。
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左の通路の先に、ゴブリンが二体いた。
戻るかどうか、一瞬だけ考えた。
一体ならもう安定して倒せる。二体はまだ倒したことがない。でも霧島迅まで届くには、今できることの外側へ踏み込み続けるしかない。
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二体が同時に動いた。
左が先に来た。いつもの踏み込みだ。ゴブリンの肩が上がり、肘が外へ開く。
体を右へ半歩ずらした。短刀が空を切った。
ただ、ずれた先に右の一体がいた。
タイミングが悪かった。向き直ろうとした瞬間、短刀の腹が脇腹に入った。重い。革鎧が衝撃を逃がしたが、それでも吹き飛ばされた。壁に背中をぶつけた。昨日の傷が引きつった。
立つ。
左の一体が追ってくる。右の一体はまだ立っている。
同時に相手にする体力はない。どちらかを先に潰す。
近い方は左だ。
左の一体が踏み込んできた。避けなかった。
むしろ踏み込んだ。間合いを消した。ゴブリンの短刀が振りかぶれない距離まで入り込んで、短剣を腹に押し込んだ。
一体目が崩れた。煙になった。
振り向く前に、右の一体が来ていた。上から短刀を振り下ろしてくる。
右へ転がった。刃が床を削った。
立ち上がるより先に横薙ぎを振った。体勢が崩れたまま振ったが、短剣の刃先がゴブリンの首筋を捉えた。
二体目が崩れた。
黒い煙。石。石。
呼吸が荒い。脇腹が熱い。
口の端が上がっていた。
なんで笑ってるんだろうと思ったが、止め方が分からなかった。
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「あなた、死にたいの?」
振り向いた。
少し離れた通路の曲がり角に、女が立っていた。
年は同じくらいか、少し上か。装備が違う。中古品ではなかった。帯刀していない。魔法使い系の装備だと思った。表情がなかった。
「違う」と僕は言った。「強くなりたいだけ」
女は少し間を置いた。
「斬られながら笑ってた」
女が言った。声は怒っていない。ただ、おかしいものを見たときの声だった。
「あなた、自分で気づいてた?」
「……気づいてなかった」
女は少し目を細めた。どう判断していいか迷っているような顔だった。
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出入り口まで一緒に歩いた。
女が言い出したわけじゃない。なんとなくそうなった。
受付の前で、女が手を出した。
「登録証、見せて」
理由は聞かなかった。差し出した。
女は表面を見た。名前。レベル。スキル欄。討伐履歴。
レベルを見た時点では何も言わなかった。
討伐履歴の時刻を目で追った。
止まった。
「初日からゴブリン一体で、二日目に四体、三日目の今日に二体同時」
「そうなりますね」
「スキルなしで」
「はい」
女が登録証を返した。
何かを言おうとして、一度口を閉じた。
「装備、ちゃんとしてる?」
「中古です」
「中古の革鎧で二体同時に行ったの」
「はい」
女のため息が短く出た。
「怪我してる。腕」
見ると袖口が赤くなっていた。さっき吹き飛ばされた時にずれたらしい。
「受付で処置してもらいます」
「してもらいなさい。絶対に」
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処置を受けている間、女はロビーの電子掲示板を見ていた。
センター掲示板に、ニュースの見出しが流れていた。
——海外探索者チーム、日本近海の未登録ダンジョンへの無届け侵入が確認。政府、対応を協議。五家側はコメントを控える——
僕は見ていなかった。
霧島迅のことを考えていた。今日二体同時に倒した。それは分かった。でも、倒した後で笑っていた理由はまだ分からない。脇腹が今も熱い。痛い。なのに何かが収まっていない。
女だけが掲示板の文字を少し長く見ていた。
その顔を僕からは見えなかった。
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処置が終わって椅子から立ち上がると、女がこちらを見た。
「帰りなさい。今日はもう」
「帰ります」
「本当に?」
「本当に」
女はしばらくこちらを見た。信じているのか信じていないのか、分からない顔だった。
それから踵を返して、センターの奥へ歩いていった。
名前を聞かなかった。
でも、あの笑っていない顔だけが、少し頭に残った。
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外に出ると、日差しが強くなっていた。
登録証を見た。
宮前 蓮 LV:2 スキル:なし
討伐履歴
2026/04/24 14:32 ゴブリン
2026/04/25 10:18 ゴブリン
2026/04/25 10:46 ゴブリン
2026/04/25 10:51 ゴブリン
2026/04/25 11:03 ゴブリン
2026/04/26 09:44 ゴブリン
2026/04/26 10:17 ゴブリン
2026/04/26 10:21 ゴブリン
まだLv.2だった。
脇腹は歩くたびに疼く。昨日より戦えた。でも、霧島迅まではまだ遠い。




