第3話 二人で世界最強になろう
帰り道、バスの中で肩の痛みが戻ってきた。
応急処置はしてもらったが、革鎧の下で布が貼りついている感覚がある。左腕を上げると引っ張られる痛みがあった。膝も少し腫れていた。
バスを降り、住宅街を歩く。見慣れた道だ。表札の並んだ細い道。電柱。自転車の置かれた玄関先。何も変わっていない。
変わったのは僕の肩だけだった。
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玄関を開けると、台所から母親が出てきた。
何か言う前に、目が肩口で止まった。
怒鳴ることを予想していた。
でも母親は黙った。
その沈黙の方が重かった。
僕は靴を脱ぎながら「ただいま」と言った。母親は返事をしなかった。台所へ戻っていく背中を見送って、僕も部屋へ向かおうとした。
声がした。
「行ってほしくない」
台所の入り口から、母親が言った。
僕は立ち止まった。
「聞こえてる」
「じゃあ」
「分かってる」
「分かってないから行くんでしょう」
答えられなかった。
母親は僕を見ている。怒っているのではない。何かをこらえているような顔だった。
「死にたいわけじゃない」
僕が言うと、母親は少し目を伏せた。
「それは分かってる」
それきり何も言わなかった。
僕も何も言えなかった。
母親は台所に戻った。夕食の音が聞こえ始めた。
僕は廊下に立ったまま、肩を押さえていた。
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部屋に戻って、制服の上着を脱いだ。
押入れの奥に、古い箱がある。訓練場に通っていた頃の道具が入っている。木剣。ナイフ。使い古した手袋。
その横に、写真が一枚ある。
十二歳の陽と、九歳の僕が写っている。訓練場の前で撮ったやつだ。陽は笑っている。僕はなんか口を尖らせている。
訓練場での最初の日を思い出した。
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あの頃の訓練場は、近所の体育館の一角を借りた小さな場所だった。地元の子どもたちが週に何度か集まって、受け身や剣の基礎を習う。そういうところだった。
陽は最初から別格だった。
指導員が動きを一度見せると、次には自分のものにしていた。二度目には指導員が黙った。三度目には子どもたちが声を上げていた。
天才、という言葉があんなに似合う人間を、僕はあれ以来見たことがない。
剣に愛された少年、と指導員が言った。
僕はそれを聞いて、嫉妬はなかった。
ただ、すごい、と思った。そして、隣に行きたいと思った。
陽は練習の後、帰り際に僕の方へ来て言った。
「お前、さっき三回転んでも四回来たな」
「転んだから来た」
陽は笑った。
「普通は転んだら帰るのに」
「帰る理由がない」
陽はまた笑った。今度はもっと大きく。
「こいつ、まだ負けたと思ってない」
それが最初の言葉だった。
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僕と陽はそのまま友達になった。
陽は三つ上だったが、関係なかった。陽は誰にでも同じように話した。年上にも、年下にも、上手い奴にも、下手な奴にも。
訓練場での話が多かったが、帰り道を一緒に歩くうちに、いろんな話をした。
冒険者になりたい、と陽が言ったのは、何年目のことだったか。
冒険者は危ない、と親に言われる前に、陽は笑って言った。
「だから面白いんじゃないか」
僕も同じことを思っていた。
陽が中学を卒業する前の夜、二人で訓練場の前にいた。夜だったから中には入れなかったけれど、外の壁に寄りかかって話をしていた。
「蓮」
「何」
「二人で世界最強になろう」
陽は笑いながら言った。
軽い言葉のように聞こえたかもしれない。でも、本気だと分かった。
「なれるの」
「お前となら、なれる気がする」
僕は少し考えてから言った。
「なろう」
それだけだった。握手もしなかったし、誓いの言葉も言わなかった。
でも、約束になった。
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陽が死んだのは、それから一年後だった。
任務中の事故。それが公式の説明だった。詳細は非公開。
僕は報告書を三回読んだ。読むたびに何かがおかしいと思った。陽は死なないやつだった。引き際を知っていた。無謀な場所には近づかなかった。
それが、なぜ。
分からなかった。
分からないまま、二年が経った。
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現在に戻る。
僕は登録証を取り出した。
```
宮前 蓮
LV:1
スキル:なし
討伐履歴:
2026/04/24 14:32 ゴブリン
```
たった一体。
ほとんど相討ちで、最後は逃げてきた。肩は今も痛い。登録証の数字は動かない。世界最強どころか、初心者ダンジョンの一層で満身創痍だ。
でも、一体倒した。
陽はいない。
二人でなれるはずだった場所に、僕は一人で行くしかない。
蓮は登録証を握りしめた。
「だったら、僕が一人で行くしかない」
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リビングに戻ると、テレビがついていた。
母親が夕食の準備をしていて、ニュースが流れていた。
アナウンサーの声がした。
「……海外の深層ダンジョンで、探索者部隊同士の衝突が発生。Sランク探索者の国際移籍問題を巡り、複数国が抗議声明を発表しています。この件について五家側は――」
母親がチャンネルを変えた。
バラエティ番組の笑い声が流れ始めた。
僕はテレビを見ていなかった。
今の僕にとって、世界はまだ遠い。




