入江
「ねえ、蒼ちゃん。私4月から留学するから、代わりに誰か大学で探してきてよ」
聖夜の夜も近い師走の掻き入れ時。バイトが終わり、今日はめちゃくちゃ忙しかったなと思いながら厨房の片隅で賄いを食べている入江にいきなりそんな話をしたのは、洗い物をしている「宵の明星」のバイトの中で最古参のアラサー女子、アカネさんだった。
「マスター達にはもう言ってあるんだけど、2月で辞めるんだ。4月からワーキングホリデーに行ってくる!」
ワーキング…?なんだそりゃ?いや、それよりも、もっと切迫した大問題がある。
「アカネさんが辞めたらめちゃくちゃシフトに穴が空きません?」
新たな旅路に胸を踊らせる女子に向ける言葉とは思えない事を言った入江だったが、アカネはそんな事気にする様子もなく、
「それは何とかなるみたい。でもそろそろ新しい人にも入ってもらいたいともマスターが言っていたから。蒼ちゃんは大学に入ったら他で働くんでしょ?」
そうなんだ。
中学生の頃から手伝いでこの店で働くようになって5年。世間知らずの小僧を一端の青年にしてくれたのは他でもない叔母夫婦だ。
最初は、繁忙期に母が手伝いに行くのについて行っただけだった。
だが、思っていた以上に仕事が楽しく、自らもっと手伝いたいと申し出た。両親も色々と勉強させてもらえと大賛成。叔母夫婦も学業を疎かにしないという条件で許可してくれた。
なお、学業に関しては、アカネさんを始めとするアルバイトのお兄さん・お姉さん方が大変な力になってくれたため、成績は寧ろぐんぐん上がっていった。
だが、もう5年。元々保守的ではなく、変化を好む入江は新しい事をやりたくなった。大学生になるんだし、ゼロからの環境で働いてみたい。そう思ったのだ。
両親よりも、お世話になっている叔母夫婦にその話をする方が覚悟がいるものだった。それを相談したのがアカネさんだ。推薦入学で大学進学が決まった11月の事だった。
「じゃあ蒼ちゃんは一生ここで働くつもり?」
長々と今まで受けた恩義を語る入江に、じっと話を聞いていたアカネさんはその一言だけ返して、入江の目を見つめてきた。そして入江は決めた。
アカネさんと話して気持ちを整理できた入江は、思い切って叔母夫婦にその話をした。2人は大賛成で新たな門出を祝うと言ってくれた。
どんな仕事が合うかな。ここでの経験を活かして…なんて呟いていたら、職業に貴賎なし。だからやりたい事をやれ。そう言ってくれた。何とかしてここまで成長させてくれた恩を返したいと思った。そんな折に、
「アカネも辞めちまうし、1人くらい雇わないとな」
なんて話をマスター夫婦がしているのを耳にしたアカネが入江に人材探しを命じたのだ。
「慌てなくていいよ。もしやってくれるならマスター達には蒼ちゃんが動いてるって言っておくから。5年も働いてればどんな人が適材かわかるでしょ?」
そんな無茶な。って思ったのも束の間。この店が大好きな入江は、どうせなら自分の気に入った、信頼できそうな奴に新たに入って欲しかった。
「いいかもしれないですね。入学してから少し時間がかかるかもしれないけど、探してみようかな」
そう言う入江の広い背中をバシバシ叩きながらアカネは満面の笑を浮かべながら続けた。
「じゃあたしから伝えておくね!っていうかあたしがどこに行くか聞かないの?」
なんて若干長くなりそうな話を振ってくるアカネに苦笑いしながらも付き合った。
そんなやりとりから随分と時間が経った気がする。高校卒業前にも実家から通学する友人を一通り眺めてみたが、みんないい奴だけど店を任せたくなるような感じではなかった。かなり上から目線だけど、週に1、2日とはいえ5年もの間、社会を経験した入江は同級生よりも大人びちゃったのだ。
3月末にアカネと入江の送別会が催された。その際にアカネから改めて「例の件、頼むね」と改めて言われた。絶対納得いくまで探してやると思った。それが叔母夫婦や兄さん・姉さん(他の従業員)方への恩返しになると思った。
そんなこんなで入学した入江は、この1週間の間にできるだけ色々な場所に顔を出した。サークルの説明会、入学式後のクラス会、そして今回のツアー。
そこで入江は出会った。息をするように当たり前の事を当たり前にやっている奴に。
気を遣っていたり、緊張していたり、逆に無理やりテンションをあげたり、猫被ったりしている人はすぐに分かる。だてに職人気質バリ強のマスターの元で5年間働いていない。
こいつはこうやって育ってきたんだ。
入江は真白の一挙手一投足をみてそう確信した。静かにすべきところで静かにする、声を張るところでは声を張る、公共の場での立ち居振る舞い、そして参加したからには何かを持って帰ろうという気概。
こいつなら…そう思った。もし叔母夫婦のメガネに適わなかったらそれはそれ。でもこいつならうまくやってくれる気がする。
多摩御陵で鳥居などの建造物に目が入っている面々をよそに大木の下に立ってそれを見上げる真白は満面の笑みだった。
あいつなら叔母さんやマスターとうまくやれるはず!そんな変な確信が入江にはあった。
そして、それは的中していた。




