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真白-ましろ-  作者: 格之進


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あの日の高揚感をもう一度

「いやー、田坂さん、よく走ったね。まさか7本目まで付いてくるとは思わなかったよ。私も最後の1本は違いを見せてやろうと思って本気出しちゃった」


さっきまでの雰囲気はどこへやら。声をかけてきた時の気さくな会坂に戻っている。


2人の練習後にせっかくだからと真白と浅川も加わって4人でダウンをする事になり、トラックの内側をゆっくり逆回りに走っていた。


「あのメニューは会坂さんにとってはどれくらいの強度だったんですか?」


田坂が恐る恐る聞く。


「強度的には動きの確認に近い設定かな。でも今日は精神的に良く追い込めたからこれで終わり。田坂さんが後ろから煽ってくれたからね」


田坂がため息を吐く。


あれで全然本気じゃないなんて…凄過ぎてよく分からない。


「あと浅川さん、動画を撮っていた人に注意して下さってありがとうございます。100歩譲って私だけだったらまだしも田坂さんが一緒だったので…消すように言いに行こうと思っていたんです」


「走りながらでも気づいていましたか。管理人さんが動画も消去させてくれましたのでご安心下さい。撮っていた本人も謝っていました」


「助かります。皆さんは同じお店で働いていらっしゃるのですか?」


「ええ。高尾にある宵の明星という…」


会坂は浅川や真白ともすぐに打ち解けた。オンとオフは明確に切り替えるタイプらしく、凄い人なのに身近に感じた。


次の予定があるからと会坂は先に上がった。競技場の更衣室でシャワーを浴びて直接待ち合わせ場所に向かうらしい。


田坂は会坂とずっと話していた。話の内容は専門的過ぎて真白にはちんぷんかんぷんだったが、田坂にとっては得るものが多かったらしく、別れの際には大満足した顔で丁寧に挨拶をしていた。


競技場を去っていく会坂を見送ってから3人は各々着替えを済ませて帰路に着いた。


駅まで歩いて行く道すがら、田坂が口を開く。


「浅川さん、真白くん。9月の記録会では1,500mだけじゃなくて5,000mにも出る予定だったけど、1,500mだけに集中することにする」


「いいんじゃないかな。田坂さんは良い刺激を受けたみたいだね」


浅川にそう言われた田坂は嬉しそうに「うん!」と言ってスキップしていた。



暑さがピークに達する前に帰宅した真白は、シャワーを浴び、昼食を摂って洗濯を終えると、ベッドに倒れ込んで爆睡した。


目が覚めると体が異常に重たかった。午前中の練習は相当負荷が高かったらしい。


ベッドに寝転がったままスマホを弄り、動画サイトで昨年の世界陸上を見返した。


会坂が自らが持っていた日本記録を再度更新したレース。女子5,000m決勝。


序盤から5人の選手が世界記録ペースで飛び出した。その中の1人が会坂。解説者は


「勇気ある走りだ。どこまで維持できるか分からないが、調子が良さそうなので行けるところまで行けば日本記録更新も見えてくるのでは」


興奮してそう言っている。が、その口調からは最後まで付いていく事は難しいという感じがある。解説者が悲観的なわけではない。会坂の自己ベストタイムから考えても過激な走りだった。


しかし周を重ねても会坂は離れない。中盤になっても5人の先頭集団は世界記録ペースを維持している。先頭を走る2人の選手が示し合わせてるかのように交互に前に出てハイペースを維持しているのだ。それでも会坂は5人の集団の一番後ろで耐えている。


残り4周でレースは動いた。先頭2人がロングスパートをかけたのだ。世界記録ペースで走っている中でのペースアップに解説者は信じられないと大興奮している。残りの3人は付いていけずに先頭2人からじわじわと離され、ペースも少しずつ落ちて行く。


先頭2人は競り合いながらゴール。最後の2周でペースが落ちて世界記録には僅かに届かなかったが、2人とも歴史に残る驚異的な走りをした。


しかし世界中の陸上ファンを熱くしたのはその2人だけではなかった。


第2集団の3人は最後まで3位争いを演じた。ラスト300mで1人が遅れたが、会坂ともう1人の選手は互いに譲らず、カーブではインコースを走る会坂とその前に入り込もうとする相手で体をぶつけ合う場面も。そしてラスト100mのスプリント勝負に。短距離選手のようなフォームで走る2人の選手。ほぼ同時にフィニッシュラインにダイブするかのように突っ込み、そのまま仲良くヘッドスライディング。勝敗の行方は写真判定になった。かなり長い時間をかけて精査された結果、会坂は4位だったが、3位の選手と健闘を讃え合うシーンは大きな反響があり、日本のAisakaというアスリートが世界の陸上ファンに明確に認知された日だった。


14分15秒98というこの記録は日本記録であるだけではなく、自身が持っていたアジア記録も塗り替えた。


さっきこの選手と一緒に走ったんだよなぁ。


なんか今になってすごい体験をしたという実感が湧いてきた。みんなでダウンをしている時に真白がした質問「走っていて楽しい時ってどんな時ですか?」そんなベタな質問に会坂は真摯に答えてくれた。その言葉が忘れられない。


「これは陸上に限らず、いや、スポーツに限らず全ての事に共通する事だけど、やっぱり今まで出来なかったことが出来るようになった時だよ。走る事ならタイムを縮められた時とかレースで目標達成した時とか」


「でも会坂さんのレベルじゃ中々そんな思いはできないんじゃ…」


「当たり前だよ。ゲームでもレベルが上がるほどレベル上げは大変になるでしょ。私はゲーマーだからね。むしろワクワクしてやる気が上がるのよ」


すげぇなぁ。この人。


浅川はその言葉を聞いてクスクス笑っていた。"それ分かるなぁ"と呟きながら。


「きっと私は競技として走るのを辞める時が来たら他の事をやるんだろうね。引き出しが増えていく快感を知っちゃったから。もう停滞している事に我慢できないよ」


それを聞いた真白はハッとした。


高校まで続けてきた水泳。


小学生の頃、スイミングスクールに通っていた真白は壁にぶち当たっていた。月に一度ある進級テストでビート板を持って平泳ぎの足だけで進む動きに挑んでいたが3回連続で落ちたのだ。水泳を始めてから3年以上一度も停滞する事なく進級してきた真白にとって最大の試練となっていた。


しかしある日の練習中に友人の泳ぎを見ていた際に、改善すべき動きに気付き、指摘した。指摘しながら、その友人は自分の鏡だと気付いた。話しているそばから「あ、俺もそうだ…」ってなった。それを改善したらその月に進級テストに合格。その後、平泳ぎが真白の一番得意な種目になった。


あの時、友人と共に進級テストに合格した時の喜びは忘れられない。それから暫くは練習メニューに平泳ぎがあると嬉しくて仕方がなかった。できなかった事ができるようになった時の高揚感は何事にも変え難いと知った。


水泳をもっと好きになった瞬間だった。


今、真白は新しい事にチャレンジしている。


まだ初心者だから何をやっても成長しかないが、そのうちにまた壁にぶち当たるだろう。


その時は今日の出来事を。そして平泳ぎが得意になったあの日を思い出そう。


今からどれだけやれる事が増えるのだろうか。


まずは来月末の甲斐駒ヶ岳登山とその先の初めてのレースに向けてこの夏は走り込もうと思う。


カーテンを開けるともう夕方だというのに外は昼間のように明るかった。夏の太陽はまだまだ元気いっぱいに街を金色に照らしていた。

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