外食 2
わざわざ一緒に行く必要もないだろうと、店で待ち合わせになった。
八王子駅から徒歩10分弱。メインストリートから少し路地に入った場所にある、隠れ家的な居酒屋「陸」。真白はその飾りっけのない店構えに妙に親しみを感じた。
扉を開けて中に入ると、「いらっしゃい」とカウンターの中にいる優しい顔をした板前さんが笑顔で迎えてくれた。向かいのカウンターでは浅川がグラスを片手に手を振っている。
「日向くん。いらっしゃい。カウンターにしちゃったけど良かったかな?」
そう言いながら和服を着た瀬尾がやってきた。髪がきっちりセットされているだけでなく、真白を案内する所作も洗練されていていつものラフな雰囲気がカケラもない。
「はい。予約ありがとうございます。あの、料理はお任せとの話でしたが」
そういう注文をしたことがなかった真白は少し不安だった。出してくれた料理が、真白や浅川の支払い能力のキャパを上回る可能性もある。予算とかを伝えておくべきだったなんて思っていた。
「うん。大将がメニューに載ってないやつも含めてその日の気分で作った料理を出してくれるよ。金額は浅川さんがさっき話していたから心配しないで」
真白の不安を見抜いたのか、いつもと違って落ち着いた雰囲気の瀬尾が笑顔で説明してくれた。
「真白くん、俺は先に始めちゃってるからまずは飲み物を頼みな。では大将、お願いします」
浅川が声をかけると、
「はい。かしこまりました」
と大将が返事をした。なんか大人だ…真白の憧れていた理想の大人なやり取りを目の前で見た!
「日向くん、飲み物は決まった?」
カウンター内から瀬尾が身を乗り出して聞いてきた。まだお客さんは真白達しかおらず手持ち無沙汰らしい。
「はい。ジンジャーエールをお願いします」
「はーい。大将、私が作りますね」
「ああ。お願いね。浅川くんもおかわりどうですか?」
「そうですね。料理が来るタイミングでおススメの日本酒をグラスでお願いします」
「はい。瀬尾さん、声かけるからそっちも頼むね」
「はーい」
カウンター越しにやり取りをするこの感じ。某人気ドラマで主役の変わり者が仕事後に通っている飲み屋の雰囲気そのものに感じた。
「瀬尾さんはいつからここで働いているの?」
真白のジンジャーエールをカウンター越しに「お待たせー」と置いてきた瀬尾は、浅川からの不意の質問に少し慌てた様子。
「大学1年の秋からなので、もうすぐ2年になります」
「2年か。飲み物を作るのがすごく手慣れているもんね。じゃあ日本酒は瀬尾さんのおススメにしてもらおうかな」
にっこりと笑う浅川。この人は間違いなくこういう店…というか、女性と話す店に慣れている。いや、女性慣れしている。
瀬尾は顔を真っ赤にして「は、はい!お任せください!」なんて言ってアワアワしている。
「瀬尾さん、日本酒の用意を」
大将はそう言って真白達の前にふた皿の料理を置いた。
「豆腐のサラダと刺身の盛り合わせ、こちらは鯵のなめろうです」
見た目から美しい。野菜の上に丸い豆腐が乗っているだけなのに。
「さあ。直箸でいいから早速食べよう。自分の分は自分で盛るでいいね?」
「はい。頂きます」
真白が豆腐のサラダをむしゃむしゃと食べていると、浅川の前に升とグラスが置かれた。
「浅川さん、こちらが私おすすめの日本酒です。秋田のもので知名度はありませんが、刺身などのさっぱりした料理にはぴったりだと思います」
瀬尾がそう言ってグラスになみなみと注ぐ。
浅川はグラスを摘んで顔の高さまで上げると少し見つめた後、クイっと一口飲んだ。
「ありがとう。うん。強いけどフルーティで甘みがある。いい酒だね」
ソムリエみたいだ。
「はい。日本酒が初めての方から飲み慣れている方までこのお酒を苦手という方はいないのではないかと思います。味が濃い料理には負けてしまいますが、前菜に合わせるならこれが最善かと」
瀬尾は酒に詳しいらしい。その後も刺身をぱくつきながら日本酒をあおる浅川と酒の難しい話をしていた。
「浅川さんとは職場が同じなんですか?」
なめろうに手をつけた真白に大将が話しかけてきた。本当に穏やかに話す方だ。
「はい。俺は4月から働き始めたので若輩者ですが、日々楽しく働かせてもらっています」
カチカチに緊張して答えると、
「気楽に話してもらっていいですよ。あ、僕はこういう口調だから気にしないで下さい。瀬尾の後輩と伺いましたが?」
「はい。大学ではお世話になっています。雰囲気がまるで違うので違和感しかないのですが…」
「そうですか。うちでも仕事中はスイッチが入るみたいであんな感じだけど、休憩中とか営業時間外はお兄さんがいつも見てる感じだと思いますよ」
「あ、申し遅れました。日向と申します」
お兄さんと言われ、自己紹介をしていない事に気づいた。いや、普通飲み屋で店員さんに自己紹介ってするか?まぁ浅川もしたみたいだしいいか。
「ご丁寧にありがとうございます。私は手塚と申します。日向さん、今日はよくお越しくださいました」
そう言ってカウンター越しにコトンと料理を置いた。
「だし巻き卵とぼんじりスモークです」
だし巻き卵は分かるけど、ぼんじりスモーク?
「お!マスターがイチオシしていたぼんじりスモークだ。いただきます。うん、すごく美味しい。真白くんも、ほら」
「はい。あ!これはまた…」
口に入れた瞬間に燻製特有の香ばしい香りが広がる。噛むと弾力のある歯応えに旨みがジュワッと溢れ出す。これは絶品だ。
「どう?うちの自慢のぼんじりスモーク。この味は他じゃ食べられないよ」
ドヤ顔をしながら空いた皿を下げにきた瀬尾に素直に感想を述べる。
「これは凄いです。毎日でも食べたいくらい」
「ありがとうございます。こちらはナスの油味噌と特製塩唐揚げです」
じゃんじゃん料理が出てくる。ナスも唐揚げも真白の好物。
その日はお客さんも少なかったらしく、大将も瀬尾も余裕があったので終始歓談に花を咲かせた。お店は大体2人〜3人体制でやっており、瀬尾の他にホールはあと1人スタッフがいるらしい。
「まぁこの店の規模だと、いざとなったら1人で回せちゃうので。宵の明星には何度か行きましたよ。ハンバーグが絶品でした」
そう言ったマスターがコトンと料理を出した。
「豆腐ハンバーグです。味付けは恐れならがら宵の明星の味を参考にしました。ご賞味下さい」
「大将はねぇ、宵の明星でハンバーグを食べてからすごい研究したんだよ。あれは凄かったって。何回も食べに行ってね…」
楽しそうに話す瀬尾。
「瀬尾さん、恥ずかしいからそれくらいで」
苦笑いをした大将に止められて、ちょっぴりバツが悪くなったのか話題を変えてきた。
「大将、今日の〆は何にしたの?」
「今日は牛すじ丼を作りました。8時間煮込んであります。自信作です」
絶対に美味いやつだ!俄然テンションが上がる。
「瀬尾先輩はお酒に詳しいですね」
真白が上がりきったテンションを落ち着けようと瀬尾に話を振る。あ、確かにこのハンバーグはよく食べているような安心する味がする。
「うん。うちは実家が酒造だからね」
当たり前の事のようにサラッと答える瀬尾。ピクッと反応する浅川。
「地元はどこ?」
「新潟県の新潟市です。子供の頃から身近で酒造りを見てきたので。みんな教えたがりだから、その辺の呑兵衛よりも子供の私の方が酒に関しては詳しかったですよ」
「"門前の小僧、習わぬ経を詠む"って言いましてね。瀬尾の知識は大したもので助かってますよ」
そう話した大将は瀬尾の実家で作られたという酒を出してきた。
「これが瀬尾の実家オリジナルの銘柄[朝行月]です。名前の通り月のようは仄かな味わいが料理を邪魔せずスッキリと残ってゆっくりと消えていきます。決して濃くはないのに後を引く味わいが癖になります」
大将はこの酒を新潟で飲んだ時に一発で虜になって、その場で総監督をしている瀬尾の祖父に店に置かせてくれと頼み込んだらしい。希少なため、飲食店に卸していないどころか、ネットで限定数を販売していただけだった上に、その酒の知名度が上がるのを好ましく思っていなかった瀬尾の祖父は断ったが、大将は何度も瀬尾家を訪れて粘りに粘った。ついには祖父が折れて、年間50本という数量限定で契約した。その縁で瀬尾もここで働き始めたらしい。
「これは…味わいが料理に負けずに残って、料理の余韻と共にスーッと消えていく。名残惜しさすら感じさせる。何杯でも飲みたくなりますね」
「そうでしょう。でもこれは1日5杯までしか出せないんです。完全裏メニューで。一見さんにはお伝えしません。出している方にも他で吹聴しないよう釘を刺してあります。それくらい信頼できる方のみに出しています」
「今度うちの上司を連れてきても良いでしょうか。2人とも日本酒が大好きなので」
大将がにっこり笑って、口を開こうとしたタイミングで瀬尾が割り込んできた。
「もちろん!その時は浅川さんも来てくださるんですよね?」
「うん。この酒を飲みにくるよ。また瀬尾さんからお酒の事を教えてもらいたいし」
グラスを掲げて笑顔で答える浅川。
「じゃ、じゃあ、その時は実家から朝行月を宵の明星の皆さんように送ってもらいます!」
「瀬尾さん、それは…」
大将はそんなことしたら店の信頼が…みたいな顔をしている。瀬尾の祖父は孫をとても可愛がっており、大将が孫を使って酒を取り寄せようとしているなんて思われたら取引を打ち切られてしまう。そんな大将の懸念もなんのその。
「大丈夫!じいちゃんには私がしっかり話すから!」
「まぁいいでしょう。ぜひ皆さんでお越しください。私もマスターご夫妻とゆっくり話がしてみたいので」
それは楽しみだ!いや、そうなると田坂も来るよな…まぁそれはそれで外野としては楽しいのか。
真白があれこれ考えていると、最後の品が置かれた。
「〆の牛すじ丼です。卵黄は味変にどうぞ」
ジャイアントサイズの大皿にボリューム満点の料理が盛られている。もう夢中で食べた。気づけばあの量の牛すじ丼が消えていた。
「お会計を」
浅川が瀬尾に声をかけた。
「はい。こちらです。ではお預かりします」
お金を受け取った瀬尾がお釣りを持って帰ってきた。
「こちらは次回も使えるクーポンです。その、皆さんとじゃなくても、個人的にでもまた来てください」
勇気を振り絞っているのだろう。震える手でクーポンを渡している。
「ありがとう。今度は僕にご馳走させてよ。よかったら連絡先を交換しよう」
はぇ?なんて変な声を出した瀬尾。もちろんですなんて言ってスマホをとりにスタッフルームにダッシュ。連絡先を交換している瀬尾は顔も耳も真っ赤だった。その様子を見ていた真白。不意に大将と目が合う。
「今後も瀬尾の事をよろしくね。浅川さんは深い意味はなさそうなのが…なんとも…ね」
「はい。浅川さんには全く他意はないでしょう。でも瀬尾さんにとっては一歩前進ですね」
手招きされて大将の元に行った真白はそんな話をして2人で笑った。
本来は手をブンブン振りたいところを我慢しているらしき瀬尾が上品にお辞儀で見送ってくれた。
「あの、浅川さん、本日はご馳走さまです」
「うん。良い店だったね。真白くんからマスター達に声をかけておいてよ」
「分かりました。みんなで行くのも楽しみですね」
「そうだね。早くまたあの酒を飲みたいなぁ」
帰り道も浅川は相当気に入ったらしき日本酒の話が止まらなかった。
さて真白は帰宅したらすぐに連絡しろと言われていた。誰からって?田坂だ。
とりあえずシャワーを浴びて、コーラをコップに注いでからメッセージを送った。すぐに電話がかかってきた。
一連の流れを話した。浅川が瀬尾の実家の酒をいたく気に入った話では、「なにそれ!ずるい!」とギャーギャー喚いた。2人で酒の話で盛り上がっていたという話では、「わ、私だってお酒ならたまにお姉ちゃんと飲むし!」とか論点がズレた反応をした。最後に連絡先を交換していたから近いうちにまた会うかもという話では、「べ、べ、別にいいんじゃないかな。私も一緒にご飯食べに行った事あるし。3回くらいあるし!」と微妙にマウントをとってきた。
あぁそうですか。おやすみ。と電話を切ろうとすると、
「次にそのお店に行く時は私も行くから!絶対に行くから!じゃあおやすみ!」
最後は何故か軽く怒られた真白。
そうは言っても真白は中立だ。田坂も瀬尾も真白にとって大切な人に違いはない。この先どういう流れになろうと中立の立場は変わらない。みんなで行った際にも今日みたいな楽しい時間が過ごせると良いと思った。
最後に瀬尾に今日のお礼の連絡をして眠りについた。




