田坂の青春 5
料理が来るまで高校の後輩達の現状を聞いた。
「あいつらは強くなるよ。都道府県対抗駅伝に出場する事が決まった奴もいるんだぞ。東は何度か指導に来てくれてな、あいつら私よりも東に教わってる時の方が真剣な顔しやがって」
尾白が楽しそうに話すから田坂の顔も自然と綻ぶ。
「東が来ているんですか」
ちょっと意外な気がした。
「ああ。実業団のウェア着てな。練習の時にはこれを着ないと気合いが入らなくて…とか言ってさ。一丁前によく似合ってたよ」
尾白はスマホを操作して写真を見せてくれた。画面には肩を組んで満面の笑みを浮かべた2人が写っていた。
「田坂はあいつらとは会ってないのか?」
その言葉に田坂は少しビクッとした。
「お待たせしました。こちらがチキン南蛮で、こっちがハンバーグ…」
そのタイミングで坊主頭の少年と30代くらいの小柄な女性が料理を運んできて、話は一旦打ち切られる。
「マルちゃん、私のトンカツ一切れあげるから、ハンバーグ一口頂戴」
「いいよ。あ!ちょっとお姉ちゃん!取りすぎ!」
「私の一口だから。ほら、この大きいのあげるから」
「本当に美味しい…」
2人のやり取りを見ていた尾白は、フッと笑った。
「本当に仲良しだな」
3人が料理を楽しんでいると、入り口のドアが開いた。
「いらっしゃいませ」と案内に向かった少年は入ってきた客の顔を見ると、「あ…」と知り合いに会ったような反応をした。
「蒼ちゃん、尾白さん達はもう来てる?いたいた!尾白さん、桜子ちゃん、お待たせー。あなたが桜子ちゃんの妹さん?うわー!話に聞いていた通りそっくり!凄い美人姉妹だ!」
「あ、あの…」と何か言おうとした少年を押し退けると、スタスタと田坂達が座るテーブルに向かってきたその客は、捲し立てながら尾白の横に座った。
「蒼ちゃん、私はカツカレー!」
水とおしぼりを用意していた少年にそう告げて、田坂の顔をジッと見つめてきた。
「あ、えーと…」
戸惑う田坂の様子を見た尾白は、彼女の背を叩くと、
「自己紹介しろ」と命じた。
「初めまして!あたしは尾白さんの大学時代の後輩で、ここで働いているアカネです。よろしく!」
また賑やかそうなのが来たな…ハンバーグを頬張りながらぺこりと頭を下げた田坂はアカネの強烈さに若干胸焼けしそうだった。
2人と姉は顔見知りらしく、他愛ない会話で盛り上がっている。田坂も大学での生活の話や、姉との共同生活での家事分担の話などをした。アカネのカツカレーが来た頃には3人は食べ終わっていたが、さっき料理を運んできた女性がコーヒーをサービスしてくれたので、それを飲みながらアカネが食べ終わるのを待っていると、
「で、桃子ちゃんはいつから働くの?」
いきなりアカネがカツカレーをがっつきながら尋ねた。
「え?」という顔をしたのは残りの3人。
その反応に「え?」という顔をするアカネ。
「その手があったか…」と尾白が呟いた。
「働くも何も、私はまだ1年ですよ。就職はまだです」
田坂がブンブン手を振りながら答えると、
「灯さん、バイト募集してませんか?」
テーブルを片付けていた女性に尾白が尋ねる。どうやら彼女は灯という名前でこの店の経営者らしい。
「ん?あと1人くらい欲しいなと思っていたけど、週末含めて週に3回くらい働ける?」
どうやら枠はあるようだ。バイト先を探していた田坂にとっては渡りに船。しかも初めて来たが、この店の雰囲気は良い。姉が仲良くしているのだから、この灯さんと呼ばれている女性も信頼に値する人物だろう。
「はい。でも、よろしいのですか?その、面接とか履歴書とか」
「いいよいいよ。いつから来れる?」
「明日からでも大丈夫です」
「あはは!やっぱり桜子ちゃんから聞いていた通りの子だね。慌てないでいいよ。じゃ、今日が金曜日だから、来週の火曜日は?時間は15時」
「はい。大丈夫です」
「じゃその時にトレーニングもやっちゃうから、仕事のことを予習してきてね。今資料持ってくるから」
なんかバイト先が決まってしまった。
初のアルバイトの日まではあっという間だった。
特に準備することもないが、灯に貰った資料でメニューとテーブル番号は頭に入れた。あの日、マスターにも挨拶をしたが、ちょうどお客さんが増えて忙しくなったタイミングに重なってしまい、ほとんど話せなかった。
今日のトレーニングでは実際に接客をするらしい。
ちゃんと慣れたスタッフが付くから安心してね。と灯が言っていた。おそらくアカネさんが教えてくれるんだろうなと思った。
お店に着いて店内に入ると、お客さんはいなかった。代わりに奥のテーブルで灯が食事をしており、マスターは厨房で料理の下拵えをしているようだった。
「あ!田坂ちゃん!今日からよろしくね」
「おう、よろしくな。灯、先に服を渡して着替えて貰えば?」
「そうだね。田坂ちゃん、これがうちの制服。サイズが合わなかったら言ってね。こっちが更衣室だよ」
田坂は一言も発していないが、トントンと話が進んでいく。とりあえず渡された制服が入った紙袋を受けとり、手招きする灯について行った。
「着替え終わるまでにはこっちも準備をしておくから。貴重品や携帯は持ち歩くと無くすからロッカーに入れて鍵をかけてね。じゃまた後で」
そう言って灯は戻って行った。作務衣を着るのは初めてだったが、灯が着ているのを見ていたので着方はなんとなく分かる。メモとボールペン、書類を持って灯のもとへ向かう。
「はい。書類はオッケー。じゃ今から始めるよ。どれくらい覚えてきた?」
「メニューは一通り目を通してきました。テーブル番号も覚えました」
「よし、早速接客に入れるね。私が店員役、田坂ちゃんがお客さん役。まずは見本を見せるから入り口から入ってきて」
「はい」
そんな感じで1時間くらい接客の流れを練習した。
「さすが物覚えが早いね。そろそろお客さんも増えてくるから、ここからは実際に接客をするよ」
「はい。よろしくお願いします」
田坂がそう返事をしたタイミングで1人の男性が入店した。
「いらっしゃいませ!」
田坂がすぐ反応した。研修中もお客さんは来る。灯からは研修中はマスターが全て対応してくれるけど挨拶だけはしっかりするようにと言われていた。
「浅川くん、こちらが今日から働く田坂桃子ちゃん。今日は指導よろしくね。あたしは今から厨房に入らないといけないから」
「はい。分かりました。田坂さん、浅川です。今日は僕に付いてもらいます。よろしくお願いします」
浅川はにっこりと笑って挨拶をすると着替えのため奥に入って行った。
「は、はい…よろしくお願いします」
ワンテンポ遅れて挨拶をした田坂。胸がドキドキする。これは初めての仕事に対する緊張?
すらっとした長身、整った顔、清潔感のある髪、何回でも聞きたくなる美声、新人の田坂に対しても謙虚な態度。
この人は何歳なんだろう。落ち着きというか貫禄があるからかなり上にも見えるし、見た目からは20代後半くらいにも見える。
とにかく今日はアカネではなく、あの浅川というスタッフが色々教えてくれるらしい。迷惑をかけないように頑張らないと。そんな事を考えながらトレーニングで学んだ事を書いたメモを見直していると、今度は本当にお客さんがやってきた。若い女性2人だ。
「い、いらっしゃいませ」
って言ったはいいけど、次の言葉が出ない田坂。
えーと…まず何を聞くんだっけ…
「いらっしゃいませ。2名さまのご利用でよろしいですか?」
後ろからスッと浅川が現れた。
「はい。2人です」と答えたお客さんに、「ご来店ありがとうございます。こちらにどうぞ」
そうだ。人数を聞いて、案内するんだ。
すべきだった事を思い出してオロオロする田坂。そんな彼女に浅川から声がかかる。
「田坂さん、最初は僕の後ろにずっと付いていて。途中から田坂さんに少しずつやってもらうから」
手際よく水、おしぼり、メニューを用意してお客さんのもとに向かう。
「失礼します。メニューです。決まりましたらお声がけ下さい」
お客さんはそう言ってにっこり笑う浅川を見て、ほわーっとした顔をした。
その後も次々とお客さんが訪れ、案内、注文を聞く、それを厨房に伝える、料理を提供する。の作業が続いた。最初は浅川の後ろをただ付いて回っていた田坂だったが、気づけば前後が逆になっており、自ら考えて動いていた。浅川はここぞという時にスッと現れて助けてくれる。その後でしっかりフォローしてくれる。田坂を見ながらも混んでくると流れるように店内を動いて捌いていく。田坂も少しずつ出来ることが増えていく事に楽しさを感じ始めていた。
「田坂ちゃんは声が通るから注文が聞きやすくていいね」
少し落ち着いてきた頃に厨房にいた灯から声がかかった。
「はい。僕も最初のいらっしゃいませを聞いた時から田坂さんは接客の才能があると思っていました。もう会計以外は任せられますよ」
浅川からもお墨付きが出た。
「ありがとうございます。でもまだまだです」
何回かミスをしてしまった事を思い出して恐縮する田坂の顔を浅川は正面から見て答える。
「当たり前だよ。ノーミスで完璧にやられたら僕の立場がない。もっと世話焼かせてよ」
そう言ってにっこり笑うと、洗い物をしに厨房に入って行った。
田坂はその背中を見ながら胸の中に何かが芽生えているのを感じた。
誰もが見惚れる美貌を持ちながらも、ずっと走ることだけに目を向けてきた彼女には縁がなかった気持ち。
初恋ってやつだった。




