田坂の青春 4
「いらっしゃいませ」
迎えてくれたのはプロレスラーみたいな体をした坊主頭の少年だった。厳つい風体の割に目はキラキラしていて無邪気な少年のような雰囲気すらする。
「あ、蒼くんだ。今日は妹と来たんだよ」
にっこり笑った姉にそう声をかけられた少年は、頬を赤らめてあからさまに照れながら「あ…さ、桜子さん…今は空いているので好きな席にどうぞ」と呟いた。
「蒼ちゃん!2番さん上がったよ!」
厨房からでかい声が飛ぶ。少年は「はい!」と返事をしていそいそと料理を運んでいく。「お待たせしました。アジフライ定食です。ごゆっくりどうぞ」そう言ってペコリと頭を下げた彼に、注文したお客さんが笑顔で「ありがとう」と返していた。
あの見た目だけどしっかりしてるんだなぁ。と見た目からして荒々しい人物だと想像した事を心の中で詫びた。
その時、
「おーい、こっちだ!田坂姉妹!」
奥の席から名前を呼ばれて声の主を見ると、
「監督…」
尾白が4人がけのテーブルでコーヒーを飲んでいた。
「久しぶりだな。卒業以来だから半年以上経つのか。こっちの暮らしには慣れたか?」
監督の向かいに姉と並んで座った田坂はまだ状況の整理ができていなかった。
「尾白さん、マルちゃんに経緯を説明しないと」
妹の頭の上に沢山のクエスチョンマークを見たらしき姉が助け舟を出した。
「まあ、そうだな。その前に先に注文しないか?腹が減っちまって。私はもう決まってるからさ」
尾白がメニューを2人に渡す。
「ここはねぇ、定食メニューが沢山あるんだよ。あ、私も決まってるから。マルちゃんはゆっくり選んでいいからね」
姉から受け取ったメニューを見ていると先ほどの少年が水とおしぼりを持ってきた。
「決まったら呼んでください」
「はーい」と返事をした姉の横顔をジッと見つめていた少年は、田坂の視線に気づくと慌てて顔を背けて「し、し、しちゅれいしましゅ」と噛み噛みして厨房に戻って行った。
「私はハンバーグ定食にします」
田坂がそう言うと、
「おーい!蒼!」
でかい声で尾白がさっきの少年を呼ぶ。
「チキン南蛮、トンカツ、ハンバーグ。全部定食で!」
彼が厨房からピョコッと顔を出すや否や矢継ぎ早に捲し立てた。蒼と呼ばれた少年は慌てることもなく、「ご飯は普通盛りっすか?」と尋ねてきた。尾白はチラッと田坂姉妹を見た。2人が頷くのを確認して、「普通でたのむ」と返事をした。
「かしこまりました」
また少年が厨房に引っ込むと、尾白が話し始めた。
「なんでこういう状況になっているか話そう」
宵の明星の従業員の1人は尾白が大学で陸上をやっていた時の後輩だった。その縁もあって月に一度くらいの頻度で遠路はるばる通っていた。尾白は後輩云々じゃなく、この店が大好きだった。特にマスター夫婦と話すのがとても楽しくて、いつも比較的空いている時間に来てはカウンターで後輩を交えてマスター夫婦と色々な話をしていた。
そんなある日、いつものように店にやってきた尾白はカウンターに座ってマスター夫婦と後輩を前に真剣な顔で話している女性が目に入った。
どこかで会ったような…
女性の横顔から妙な既視感を感じつつ、一つ椅子を離したカウンター席に座ると、いきなり灯が話を振ってきた。
「ちょうど走りの専門家が来たから話してみたらいいよ。尾白ちゃん、こちらはうちの常連の桜子ちゃん。妹さんの事で相談があるんだって」
いきなり他人に紹介された女性は訝しげに尾白を見た。
目の覚めるような美人だった。
しかしこの顔は…
「た、田坂…」
尾白の呟きを聞いた女性は切長の目を見開いた。
「はい。田坂です。どこかでお会いしたことがありますか?」
やっぱりそうだ。あの時病室で謝罪をした時にいた。田坂が2人いるのかと思ったほどよく似た姉。
「田坂桃子さんのお姉さんですよね。私は田坂の所属していた陸上部の監督をしていた尾白と申します」
ハッとした顔をした桜子。
「こんな偶然が…妹がお世話になりました」
その言葉を聞いた尾白に砂を噛むような不快な気持ちが蘇る。自分の采配ミスのせいで大切な教え子から大好きなものを奪ってしまった。あんなミスはもうしない。そう誓って引き続き陸上部を率いている今でもあの時のざらついた気持ちは消える事はない。
「いえ…私がしっかりしていれば…その…」
言い淀んだ尾白にむけて、ストップと言わんばかりに手のひらを向けた桜子はにっこり笑って言った。
「誰のせいでもありません。頑張った人間だけが経験できる挫折を味わっているだけです。そこまで引っ張り上げてくれた監督には家族一同感謝してます。妹は今でも監督の事が大好きですよ」
田坂が私のことを…
「そんな事…あ、すみません…ずっと悔しくて…あの、田坂は走る事が大好きな子でした。それを私は…奪って…」
我慢できず、嗚咽を漏らしながら言葉を搾り出す尾白の前に暖かいお茶が置かれた。
「尾白ちゃん。桜子ちゃんの妹さんはあなたの事が大好きなんだって。それが全てだよ」
灯の顔を見た尾白は泣いた。泣きじゃくった。
後輩に支えられてカウンター席から、奥の4人席に移動してからもしばらく泣き続けた。灯は横に座って肩に手を回して自分に寄せて優しく頭を撫でていた。桜子は尾白が落ち着くのをじっと待っていた。
しばらくして落ち着いた尾白は今一番気になる事を桜子に聞いた。
「取り乱してすみません。あの、田坂は今は走っていないんですよね…」
桜子は困ったような顔で答えた。
「はい。まさに今その事を話していました」
不思議な顔をする尾白に桜子は続けた。
「妹はまた走りたいみたいなんです。今は私と一緒に生活をしているのですが、陸上は辞めたって言いながら、実家からランニングシューズやウェアはしっかり持ってきていて、たまに私に見つからないようにこっそりと眺めているんです。一度言った事を曲げるのは絶対にしない子なので。頑固なんですよ。だから灯さんたちに山に連れて行ってくれないかと相談していたんです。ちょっと体を動かせば我慢できなくなってまた走るかなって。何か良い考えはありませんか?」
その言葉を聞いた尾白は即答した。
「田坂と会う機会をもらえませんか?」
桜子はちょっとびっくりした顔をして、灯をチラッと見た。
「いいじゃん。みんなで食べにおいでよ。事前に連絡くれたらこのテーブル空けとくし」
「お願いします。田坂と会いたいんです」
尾白は正面から桜子を見つめた。
灯と尾白の提案を受けた桜子は、
「分かりました。妹と予定を合わせて改めて連絡します」
「ありがとうございます!連絡お待ちしてます!」
尾白はガバッと頭を下げた。
「はい!この話はここまで。2人とも何食べる?アカネちゃんも休憩に入っていいから一緒に食べちゃいな」
そう言われた厨房から耳をすませていたらしき後輩は、
「え?いいの?やったー!尾白さんと桜子ちゃんとご飯食べれるなんて!姉さん大好き!」
飛び上がって喜んで奥にすっ飛んでいった。
3人は他愛ない話で盛り上がった。尾白と桜子も意気投合した。尾白は田坂と会うのが待ちきれなくなった。
「って事があったんだ。それで今日は桜子にお前を連れてきてもらったってわけ」
納得したようなしていないような田坂の顔を見た尾白は、
「まぁ今は監督と選手の関係じゃない。イチ友人として今日は楽しく話そう」
そう言って尾白は嬉しそうに笑った。




