勇気を出して
ニコラからの着信。
早速灯が動いたのだろう。
でも真白の心の準備ができていない。
ニコラの過去の話を聞く事で、記憶の奥底に封じ込めて二度と会いたくなかった過去の自分と再会する気がした。
"私の事を1番嫌ってるのは私だよ"
以前ニコラと立川の登山用品展に行った時に、ニコラが彼女のものとは思えない暗い川底のような色を目に宿してポツリと漏らした言葉を今になって思い出した。
暗い部屋でスポットライトのように真白を照らす玄関の照明のしたで数秒の間に目まぐるしく脳を回転させた後、意を決して通話アイコンをタップした。
「はい、もしも…」
「あ!日向くん?今日バイトだったんでしょ?もう帰ってきた?明日は講義何時から?」
あ…
いつものニコラだ。
相変わらず捲し立ててくるなぁ。
なんかホッとしましたよ。
「はい。こちらは日向です。バイトでした。今帰宅したところです。明日は午後からの講義です」
とりあえず漏れなく質問に答えた。
「姉さんに聞いたよ。変に気を使わせてしまってごめんね。ちゃんと話すから今から時間とれない?」
「今からですか?俺は構いませんが、電話でって話じゃないんですよね?」
「うん。ちょっと散歩しようよ。町田街道と甲州街道が交わる交差点の神社がある側で待ち合わせね。じゃ後ほど」
「あ、え?今すぐにで…あ、切れた」
まぁいつもの調子に戻っていてよかった。
汗を掻いたからシャワーを浴びたいが、ニコラの事だから速攻で待ち合わせの場所に来るだろう。着ていたシャツを洗濯機に放り込んで、室内洗濯物干しに干したままになっていた一応洗い立てのシャツを着て、すぐに待ち合わせ場所に向かった。真白の住んでいるアパートからは5分もかからない。
散歩だから汗をかくと思って持って来たタオルを握りしめて、少し緊張しながら歩く。なんでニコラに会うのに緊張するのか分からないが、ニコラに会う事ではなく、ニコラの話がトリガーになって会いたくない自分と再会するのが怖いのだろう。いつも歩いている道が、いつもよりも長く感じた。
待ち合わせ場所に着くと、まだニコラは来ていなかった。彼女の住まいの最寄駅は京王線の狭間だと聞いた。歩いてくるには幾分距離があるからまだしばらく待つことになりそうだ。
神社の前は静かだった。
昼間には蝉の鳴き声が頭上から降り注ぐ。蝉時雨とはよく言ったものだなとここを通るたびに思う。しかし1日の終わりを告げるようにカナカナカナと鳴くヒグラシを最後にみんな眠りにつくかのように静かになる。
さて、散歩と言っていたがどこに行こうか。
時刻は22時を回っている。明日の講義は午後からだから夜更かしは問題ないが、高尾の駅前以外の道は暗くて人通りが少ない。必然的に明るい甲州街道沿いが候補になるが…
そんなことを考えていると、町田街道の相模原方面からママチャリに乗ったニコラがやって来た。
「お待たせ。とりあえず私の散歩コースを歩こう」
ひらりとママチャリを降りたニコラが早速歩き始める。
「どこに向かう予定ですか?」
相模湖方面へ歩き始めたニコラの背中に向かって尋ねた。
「高尾山口駅。ちょうど良い距離でしょ。道も甲州街道なら明るいし」
こちらを振り返ることなく、歩みを止めることなくニコラが答える。その姿から忘れ去りたい何かに自ら向き合おうという決意を感じた。
「この神社は昼間は蝉の鳴き声で賑やかですが、夜はしっかり静かになるんですね」
なんか真白も緊張してきたので、気を紛らわそうと話題を振ってみる。
「日向くんはヒグラシの鳴き声ってどう思う?」
相変わらず前を向いたままニコラが聞いてきた。
「あ…なんか物悲しいなと感じますが…」
唐突に聞かれて辿々しくも率直な答えを返す。
「私はね、夕方にはあれが合うと思うんだ。朝、昼は元気よく鳴く蝉の声。夕方は1日お疲れさまって感じで物静かな蝉の声。蝉にも役割分担があるんじゃないかなって思うくらいよくできてると思うよ」
「そう言われてみれば、確かに夕方まで賑やかよりも少しずつ静かになってゆくのは情緒あって良いなと思います」
「日向くんはボキャブラリー少ないなぁ。ほぼ私の言ったことじゃん」
ずっと前を向いていたニコラが後ろを振り向く。
その顔はいつも見せる太陽のような眩しい笑顔ではなく、月のような凛とした微笑みであった。
真白は戸惑った。
ニコラが美人に見える。
「すみません。なんかニコラ先輩がいつもと雰囲気が違うので…この間の件ですが、俺が何か失礼な事を言ったのであれば謝りたいと灯さんに相談したんです」
真白はニコラを直視できず横に並んだ。
「2人から何も聞いてない?」
明瞭な声でニコラが答える。
「はい。ちゃんと話すようにニコラ先輩に伝えるから、本人から聞くように言われました」
ニコラはあの2人らしいな…と呟いたあと沈黙した。
駅前の交差点の信号で止まると、また話始める。
「話すのに勇気がいることってあるよね。告白って、あなたが好きですって言う事だけじゃないんだよ。って姉さんに言われたよ。2人で山に行った時にね。宵の明星でご飯食べながら姉さんと話をしている時に、触れたくない事に触れちゃって、この間の私と全く同じ行動をとっちゃったの」
話の脈絡が掴めないが、彼女が一生懸命に話している事は伝わってくる。横に並んだまま聞き続けた。信号が青に変わる。
「いきなり帰っちゃってね。今の日向くんと同じ。姉さんから連絡が来て、あたしが何か変な事言ったなら教えて欲しいって。とりあえず明日山に行こうって。それで次の日の夕方に高尾山に登ったの。そこで全部話したら少し楽になって。みんなにも話した方が良いかなって聞いたの。ほら、私が帰っちゃった時にマスターも浅川さんもいたし、その話を聞いた田坂ちゃんも心配していたって。だから場を作ってもらってみんなに話したの。だから宵の明星のみんなは知ってる。日向くん以外」
みんなその話をニコラ自身から聞いた。だから真白もニコラから聞くべきだと灯は判断した。
「いいんですよ。誰にでも話すのに勇気がいる過去はあります。もちろん俺にも」
「あの時はごめんね!急ぎの用事があったのを思い出しちゃって」とか言って誤魔化すこともできたろう。
灯たちも「何があったんだろうね」とか言ってすっとぼける事もできたろう。
でもわざわざ夜に呼び出してまで話そうとしてくれている。
真白もその話は知っておくべきだと判断してくれている。
過去の自分の行いが元で他人を信じられなくなっていた真白は嬉しかった。
あの仲の良い宵の明星のみんな+ニコラの輪の中にしっかりと自分が入っている事が嬉しかった。
今日はどれだけ時間がかかっても、たとえ朝までかかってもニコラの話を最後まで聞き、しっかりと自分の話もしようと思った。
駅前を過ぎて次の交差点に向かいながらニコラが続ける。
「先に言っておくけど、あの時に帰ったのは日向くんのせいじゃないよ。私の問題。ちゃんと話すよ。でもちょっとサシだとキツイから他にも誘っちゃった」
「今日ですか?この散歩に?」
「うん。あ、いたいた」
真白たちの進行方向の信号は赤だった。立ち止まった2人の向かい。横断歩道の先にはマスターと灯が立っていた。




