過去の自分
「ねぇってば!」
チキン南蛮の皿を前に箸を持ったまま固まっていた真白は灯のでかい声で我に帰った。
ニコラと会った次の日、真白は宵の明星での仕事を終えて賄いを食べていた。
「あ、なんでしょうか?」
キョトンとした顔をする真白に灯は膨れっ面で捲し立てる。
「なんでしょうかって…今日の真白くんなんか変だよ。仕事中も隙間時間があればボーッとしてるし、珍しくオーダーミスするし、賄いを前にしても冷めるまで心ここにあらず。失恋でもしたの?」
「あ…すみません。仕事にも支障をきたす有様で…申開きもありません…」
シュンとする真白。正面に座る灯が顔を寄せて来た。
「あたしは怒ってるわけじゃないよ。何があったのさ。さっき失恋とか聞いたけどそういうわけじゃないんでしょ?」
「はい。いや、ちょっと気になる事があるのですが」
灯の目がキラキラし始めた。興味津々らしい。ググッと身を乗り出してくる。
「うんうん!で、何があったの?」
いや、面白い話じゃないんだけどな…真白がどう切り出すか考えていると、
「はい、ストップ。真白くんはまずはしっかり飯を食え。灯はそんなに嬉しそうにするんじゃない。人の悩みを面白がって。そういうところだぞ」
マスターが強い口調でピシャッと会話の流れを遮り、自分の分の賄いを持って来た。そのまま灯の横に座る。
「あたしは悩みを聞いてあげようと…」
「それは分かってるよ。でもがっつきすぎだ。ほらお前も食いかけだぞ。早く食っちまえ」
「はーい…」
マスターの指摘が図星だったらしき灯がしょんぼりする。自分に非がある時にはしっかり認めて反省する。そういうところが灯の良いところだ。
「うん、我ながら今日も上出来。真白くんはこの後時間あるか?良かったらお茶しながら少し話していかないか?俺と灯が聞いて良い話ならだけど」
賄いを自画自賛したマスターが灯に向けた厳しい顔とは真逆の優しい笑顔を真白に向けた。
「ありがとうございます。俺も誰かに話したいと思っていました」
真白は嬉しかった。
今日は仕事でミスをしたり、大学でも講義の時間を間違えてすっぽかしてしまった。
自分ひとりで解決しなくてはいけないと思っていた悩みに優しく助け舟を出してくれる存在が身近にいる事が凄く幸せに感じた。これも日頃の行いってやつだろうか。
ちょっぴり気持ちが楽になった真白は急に食欲が湧いて来て賄いを一気に食べた。
「さて、時間も時間だし、寄り道せずに本筋にはいるぞ。何があった?今日は灯の言う通り真白くんらしくなかったぞ」
真白と灯の前に淹れたてのコーヒーを置いて、自分の分を用意しながらマスターが聞いた。
「そうそう。真白くんはおっちょこちょいのところはあるけど、今日みたいに何回もミスする事なんてなかったよ。どうしたの?」
灯が自分のコーヒーに牛乳を入れて、真白にもパックを差し出す。
真白はいつもはブラックで飲むが、苦味は今の気分だけで十分。少し味をマイルドにしたい気分だったので、ありがとうございますと呟きながらそれを受け取り、コーヒーに注いだ。
「ニコラ先輩の事なんです」
コーヒーを一口飲んでから真白は絞り出すように声を出した。
「ニコラちゃん?喧嘩でもしたの?」
予想外の言葉だったのか灯は心配そうにしている。
「いえ、喧嘩とかではないんです。その…昨日ニコラ先輩と大学の食堂で会ったんですが…」
真白が経緯を話し終わるまで2人は一切口を挟まずに聞いていた。
「あんな顔のニコラ先輩は見た事がなかったので。俺が何か変な事言っちゃったのかな…」
「いや、真白くんのせいじゃないな」
マスターが言い切った。
「うん。それはニコラちゃんの問題」
灯も意味深な事を言う。
「あの、それはどういう…」
怪訝な顔をする真白を他所に2人は続ける。
「マスター、これはニコラちゃんから直接聞いた方がいいよね」
「そうだな。あんまり他人のことをペラペラ話すのもなんだし、ニコラちゃんも真白くんになら話せるだろ」
「真白くんからは聞きにくいだろうから、あたしがニコラちゃんに連絡しておくよ」
「ああ。真白くんが気にしていたって言えば話してくれるだろ」
蚊帳の外に置かれている真白は堪らず割って入った。
「あの、俺はどうすれば…」
「とりあえずその話は俺たちが預かる。真白くんは心配するな」
マスターが腕組みしながらにっこり笑う。しかし真白の気持ちは収まらない。
「はっきり言ってください。何が悪かったんですか?」
ほんの少しの苛立ちを滲ませながら、マスターの目を正面から見据えて尋ねた。
「マスターは気分よくまとめたつもりになってるかもしれないけど、少しは要点を話さないと真白くんも納得できないよ」
灯が呆れた口調でマスターを咎める。
「そ、そうだな。悪かった…」
「まったく。ニコラちゃんはね、トラウマ…と言ったら大袈裟だけどそれに似たものを抱えていてね。真白くんと話をしていた時に自分からそれに触れちゃったんだね。あたし達と出会ったばかりの頃もそういう事がよくあったんだよ。ある日みんなで山に行った時に同じような事があってね、何があったか聞いたら…うーん、何で説明したらいいのかな。日向山に行った時も途中から様子がおかしかったの覚えてる?」
灯に言われて思い出した。あの時の彼女は確かに様子がおかしかった。
「ニコラちゃんは過去に意図せず他人を傷つけちゃった事があってね。これ以降は本人から聞いて。段取りはこちらでするから」
2人の話に納得できたような出来ないような…
でも真白がニコラを傷つけたわけじゃないことははっきりして安心した。
帰り道。
今日の夜は星が綺麗に見えた。
まん丸になりきれない黄色い光が夜空に堂々と浮かんでいるのを見上げて真白は深いため息をついた。
この時間になっても蒸し暑い空気が、まるでぬるま湯の中を泳いでいるような不快感を増長させる。
真白はニコラの過去についての話で頭がいっぱいだった。
なんかニコラに恋しているようだが、そういうのではなかった。あの天真爛漫を絵に描いたような女子が抱えているトラウマとはどれだけの物なのだろうか。
少なくともマスターと灯には詳細を話しているらしい点から、誰かに話したい、聞いてほしいという気持ちを持てる類の内容。つまり、誰にも知られたくない、墓まで持って行かなくてはいけない。そういった後ろ暗い話ではないようだ。
意図せず他人を傷つけた。
灯が発したその言葉が真白の胸をチクリと刺した。
お調子者だった。友達を楽しませる事が好きだった頃。
その頃の自分を思い出した真白は舌打ちをした。
堪らず走り出した。
胸がムカムカする。背中がゾワゾワする。
でも、もう思い出したくもなかった過去の自分について誰かに話したくなってきた。聞いて欲しくなった。
走って、走って、走って、
家の前に着いた真白は汗だくでゼーゼーと荒い息を吐いていた。
一汗掻いたからか、幾分気持ちは落ち着いた。
リュックから鍵を出してドアを開けようとしたタイミングでスマホが振動した。
とりあえず玄関に入り、靴を脱ぎながらポケットからスマホを取り出す。
画面には「着信中 ニコラ先輩」という文字が浮かんでいた。




