清泉寮
浅川の車に揺られること30分ちょっと。
八ヶ岳の麓に位置する清里にある清泉寮に到着した。
標高は約1,400m。今日登った日向山が1,660mだからまた同じような高さの山に登った感覚だ。今度は車でだったから楽ちんだったが。
さっきまでいた道の駅はよりは確かに涼しい。駐車場が沢山あるが、今日は天候に恵まれた日曜日で季節は夏。避暑に訪れる人で本館直結の駐車場はほぼ満車に近かった。そんな中でも運良くスムーズに車を止めることが出来て、さっき温泉に行けなかった悔しさが少しは紛れた気がした。
清泉寮
真白が小学生の時に林間学校でこの近くに一泊し、帰りにここにも寄ったことは朧げながら覚えている。確かあの時もソフトクリームを食べたはず。
戦前に聖徒アンデレ同胞会創始者ジェームズ氏を記念し、同会の指導者訓練キャンプ場として奉献されてから、第二次世界大戦のため一時的に閉鎖されたのち、戦後にGHQ将校として来日したポール博士により再建された。その後は清里農村センターの拠点施設として賑わったが、1955年に焼失。その後1957年に再建されたものが、現在の清泉寮本館にあたる。
真白達が車を降りて本館の前まで歩いていくと、富士山がとても綺麗に見えた。戦後に清泉寮を再建したポール博士が、日本の象徴とも言える富士山が見える場所に建てると決めたらしい。
そんな浅川の話に耳を傾けながらソフトクリームの列に並ぶ一行。フンフンと興味深そうに話を聞いていたニコラが素朴な疑問を口にした。
「キリスト教が元で建てたのも外国人なのに、建物の名前は横文字じゃないんだね。教会じゃないからかな」
ニコラはその純和風な名前に新鮮さを感じたらしい。確かに真白も教会の名前は聖〇〇教会と横文字のイメージがある。
「教会とか研修棟とか関係なく、単純に命名を託されたのが日本人の司祭だったんだよ。当時敷地が清里村と大泉村に跨っていたから合わせて清泉寮にしたらしいよ」
爽やかな良い名前だと思っていたが、存外深い意味はなかったんだな。なんて思っていると、真白達が食券を買う番になった。ソフトクリームの券を買って、従業員に手渡すと、すぐに隣のカウンターで大きなソフトクリームを手渡された。速すぎると思って、これは自分が注文したものですか?と尋ねた真白に従業員はニコッと笑って間違いありませんよ。と答えた。
「はいはい、皆さんは忙しいから外に行くよ」
灯に促されて外に出る。
「あたしが去年来た時にソフトクリームを作っている方に夏の忙しい時には1日に幾つくらい作るのか聞いたら、その方が働き始めてからの最高記録は4,000個以上らしいよ。もちろん一人で作った数じゃなくて1日の売り上げ個数だけどね」
いや、それって…
否定しようとしたが、足湯の横にあるテーブルを囲んで座って、店の入り口から外に連なる行列を見た真白はあながち嘘ではない気がしてきた。日曜日とはいえまだ7月上旬。夏休みに入ると今とは比べ物にならない数の人が避暑に訪れるだろう。真白は心の中で従業員達にエールを送った。
しかし美味いなこれ。めちゃくちゃ濃厚で、甘い牛乳を食べている感じだ。だからといってしつこい甘さではなく、口の中はむしろスッキリしている。
ふと前を見ると、あっという間にソフトクリームを食べ終えたニコラが大きなソーセージを食べている。
「ここはソフトクリームだけじゃなくてソーセージもジューシーで美味しいんだよ」
幸せそうにもぐもぐしているニコラはいつも通りの元気で食い意地が張った奴だった。
「そんなに見てもあげないよ!私このソーセージ大好きなんだから!」
「いえ、結構です。今はお腹は空いていないので。でも美味しそうですね。次に来た時には必ず食べますよ」
「そうしな、そうしな。美味しいよー」
それを見て悔しくなったのは灯。
「真白くん、次に来た時とは言わずにちょっとぶらぶらして、あの列が少しはけたらソーセージ買ってこよう。浅川くんも食べたいでしょ」
「そうですね。ニコラちゃんが食べてるのを見たら食欲が湧いてきました。真白くんはお腹いっぱいなんだっけ?」
「いや!食べます!食べますよ!」
真白の慌てた様子を見てみんな笑った。
それから施設の周りを散策して戻ると、列は幾らかはけていた。並んで券売機でソーセージの食券を買う4人。
4人…
ちゃっかりニコラもおかわりを買っていた。
さっきはひとりで食べちゃったけど、やっぱりみんなで食べたくなったらしい。
それに、山頂ではいつもよりも食が進んでいなかったからお腹が空いているのだろう。そう言えばバナナも食べてなかったし。
今度はテーブルは埋まっていて座れなかったが、広大な牧草地と遠くに霞む景色を眺めて食べるソーセージはめちゃくちゃ美味しかった。
「温泉は残念だったけど、ここに来れて良かったね。また甲斐駒ヶ岳に行った後も来ようね」
ニコラがソーセージの串を弄りながら呟いた。
なんか今日のニコラはいつものガツガツした感じが弱い気がする。いや、昼ごはんのあたりからか。最近忙しかったみたいだし疲れたんだろうか。
「そうだね。甲斐駒ヶ岳の後のソフトクリームは最高だろうなぁ。さあ、暑いからとっとと帰ろうか」
灯の号令でみんな車へ向かう。
帰りの車では窓の外を眺める灯の横でニコラは寝ていた。やっぱり疲れていたようだと納得した。
宵の明星に着き、灯、浅川、真白はマスターと田坂と入江母に報告がてらお茶をしていくと言ったが、ニコラは明日が早いからと先に帰って行った。
なんか最後までニコラの様子が腑に落ちなかったが、灯と浅川は気にした様子もないし、深く考えるのはやめて店内に入り、みんなに報告をした。
「真白くん、秋に一緒にトレイルランニングの大会に出ないか?体力は今日の様子じゃ問題ないよ」
浅川に唐突に提案された。
正直真白も興味があった。でもひとりで参加する勇気はなかったし、浅川達はレベルが違い過ぎて誘う勇気も出なかった。要は勇気がちょっぴり足りなかった。でも浅川の方から後押ししてくれている今がチャンス。
「出ます。ただ、どの大会が良いのかよく分からなくて」
「じゃ後でいくつかピックして送るよ。その中で楽しそうなレースを探してみて」
「はい。よろしくお願いします」
話がトントン進んでいく。そこからは甲斐駒ヶ岳に向けてのスケジュール調整とトレイルランニングの大会に向けての話で盛り上がった。
帰り道、ニコラからメッセージが来た。
"今日はお疲れさま!写真を送ります"
沢山の写真が送られてきた。登り始める前から山頂、下山中、下山後の温泉ショック、からの清泉寮…改めて今日は中身の濃い一日だったと思った。
立ち止まって返信する。
"ありがとうございます。俺は今帰りです。あれから話の流れで俺も秋にトレイルランニングの大会に出ることになりました。どのレースに出るか決めないといけないので、またアドバイスお願いします"
彼女は宵の明星のみんなと一緒に山登りだけじゃなくてトレイルランニングの大会にも出ているから良い話が聞けるかもしれないと思った。
"いいじゃん!じゃ明日学食で話そうよ!"
"はい。お願いします。昼休みでいいですか?"
"うん。じゃまた明日!"
明日には出る大会を決められたらいいな。と思いながら帰宅した真白は改めて送ってもらった写真を眺める。
ニコラが映っているのが登り始める前に登山口で撮ったものだけだった。いつも率先して写真を撮るのは彼女だから不思議はないが。そう、いつもなら自撮り風に撮ってしっかり自分も映っていたはず。
ちょっと気になった。




