賄いレッスン2
「あー、それでニコラちゃんから急に連絡が来たんだ」
灯が料理の下拵えをしながら真白と話している。
今日はマスターがいつもの灯のポジションに着いている。2人はたまに気まぐれでポジションを入れ替わるのだ。ちなみに今日は真白が賄い作りを教わる事になっている。メニューは野菜炒めだ。この間の浅川のうどんは美味しかった。今日彼は休みだが、負けないくらい美味しい野菜炒めを作ろうと気合いが入っている真白である。
いつも通り夕方からシフトに入った真白は、店内が閑散としているうちにと厨房で洗った食器類の整理をしていた。そんな時に灯から、ニコラも週末の登山に同行すると言われたので、昨日の顛末を話した。
「ニコラ先輩は日向山に行ったことがあると言っていましたが、灯さんたちと行ったんですか?」
「そうそう。日向山の近くに綺麗なキャンプ場があってね、去年の秋に宵の明星のみんなでそこで一泊のキャンプをしたんだよ。1日目は昼からワイワイやって、次の日の朝に、朝ごはんを食べてからみんなで日向山に登ってから帰ってきたんだ。あたしとマスターはよくキャンプしてるし、浅川くんもソロキャンパーなんだよ。ニコラちゃんは初めてのキャンプだったみたいだけど、それで興味をもって、浅川くんからソロキャンプについて色々聞いていたよ。気づいたら1人で行くようになってた。あの子の行動力は大したもんだよ」
そういえば、前回の登山の時にニコラが行きたいキャンプ場があるって話をしていた気がする。確かあの時田坂も…
「田坂さんもソロキャンプをするんですか?前にニコラ先輩とそんな話をしていたんですが」
「あー、田坂ちゃんはまだ憧れの段階だよ。お姉ちゃんが絶対ダメって言うんだって。ニコラちゃんと2人で行くって言っても、女の子2人で変なやつに絡まれたらどうするの!って怒られたって」
あぁ、あの美人なお姉さんか。
「田坂さんのお姉さんも結構厳しいんですね」
「いや、普通の反応だよ。あたしとマスターでキャンプしている時にも、2人組の若い女の子が酔ったオヤジに絡まれてるの見た事があるし。すぐ管理棟に連絡して注意してもらったけど。ニコラちゃんもソロで行く時は管理棟が24時間開いてるところとか、管理が厳しい所に行くようにしたり、サイトも家族連れとかカップルでキャンプしている人達に囲まれるような場所にテントを張るようにしたりしてるよ。浅川くんがそう教えたみたいだね」
「キャンプ場でも絡んでくる奴がいるんですね」
「教えたがりオヤジって言ってね。特に若い女の子に蘊蓄を垂れたがる人がいるんだよ。あの後は彼女たちが、あたし達のサイトの横に移動してきて結果的にみんなで楽しくやれたから良かったけど。ああいう輩は女の子相手にイキリたいだけだから、慣れた男がいると干渉してこないんだよ。ほら、こっちにはマスターがいたから」
どこに行っても害悪でしかない存在は一定数いるらしい。
「話が逸れたけど、その時に行ったってことじゃないかな?それ以外でもニコラちゃん1人で行ってるかもしれないけど」
「ニコラ先輩の話を聞いてから一層日曜日が待ち遠しくなりました」
「準備はもうできてるの?」
「はい。バッチリです」
「お昼ごはんは楽しみにしていてね。あとお風呂道具を忘れずにね」
「はい。どちらも楽しみです。それに今の話を聞いたらキャンプも興味が湧いてきました」
「灯、カツ丼とスタミナ定食とアジフライ定食な。真白くんは山でバーナーとかを使って飯を作ったことはないんだよな?」
店内には登山帰りらしき3人組の男性がいるだけ。彼らから注文を受けたマスターが厨房に入ってきた。
「はい。バーナーってコンロみたいなのですか?」
「マスター、カツ丼お願い。今からアジフライ揚げるから。スタミナもあたしがやるから大丈夫」
「はいよ。コンロとはちょっと違うな。賄い食ってる時に写真見せてやるよ。俺は厨房に入るからホールよろしくな」
「はい。あ、いらっしゃいませ」
それから断続的にお客さんが入店し、山の話は一旦お開きになった。
その日の営業が終わりに近づくと、真白は灯に厨房に呼ばれた。賄い作りを教えてくれるらしい。
「マスター、締めと掃除よろしくね」
先日の意趣返しのようにドヤ顔でそう言う灯にマスターは「はいはい」とため息まじりの返事を返して作業に入っていった。
「じゃあ今日は野菜炒めだったね。まず使う材料を冷蔵庫から選んでみて。間違えてもいいから、真白くんがこれだ!って思うものを選んで。必要な量も考えてね。調味料はあたしが用意しておくから」
「はい!」
良い返事をした真白は冷蔵庫の中を見回す。
キャベツ、にんじん、しめじ、豚バラ、もやし、あ!キクラゲ!宵の明星の野菜炒めにはキクラゲが入っていてあの歯応えがたまらない。
「用意しました」
それらをざっと見た灯は、
「うちの野菜炒めをよく覚えてるね。合格。じゃ作るよ。切り方とかはざっとやるから、自分で練習すること。今日は炒める順番や調味料を入れるタイミングとかの調理手順をメインで教えるから覚えてね」
「はい!お願いします」
「まずキャベツをこうやって切る…」
灯は俗に言う天才肌らしい。
こうやって、ざーっと、パパっと、サッと、ガーっと。
こんな表現しか使わない。
物心ついた頃から料理を学んだ灯だが、姉である入江母の話によると、当初から灯は一度調理をしているのを見ただけで手順や調味料の分量を感覚で覚えてしまうらしい。あの子は理屈じゃなくて感覚で調理をしている。と言っていた。
だから必死で見て覚える。
キャベツを速攻で切ってしまい、しまった!張り切りすぎた!という顔をした灯に教わりながら真白も人参としめじと豚バラ肉の下拵えをした。
それからは灯に言われるがまま油を敷いて炒めていった。
あっという間にできたが見た目はいつもお客さんに出しているものと変わらない。我ながら上手くできたのではないだろうか。
「うん、上出来。良くがんばったね。マスター、賄いできたよ」
「はいよ。こっちはあとちょっとで終わるから先に食っててくれ」
店の後片付けを全部マスターに任せていたが、嫌な顔ひとつせずにやってくれている。感謝だ。
「せっかくだから待っていようか。今のうちに洗い物だけお願い。あたしはマスター手伝ってくる」
「はい」
どうせならみんなで食べたい。冷めるまで時間がかかる作業でもないだろうし。
それに真白は面倒な事や、嫌な事は先にやってしまいたいタイプだ。洗い物もしかり。
せっかく美味しいものを食べて気分が良い時に、沢山の洗い物を見るとゲンナリするから先に減らしておくに越したことはない。
真白が洗い物を終えて、灯に頼まれた野菜炒めの盛り付けを始めた頃に2人が厨房に入ってきた。
「おー。美味そうだ。俺のは肉多めでな」
「あたしも!」
「分かりました。ご飯と味噌汁はいつも通りでいいですか?」
2人同時にサムズアップをして手を洗いに向かったので、帰ってくるまでに準備を済ませようとペースを上げた。
2人が戻ってきた。
準備は整っている。
席に着いた2人は、じーっと野菜炒めを見つめる。
「うん。盛り付けも雑にせずに頑張ったね」
「日頃から俺たちが作った料理を良く見ている証拠だな。上出来だぞ」
「あ、ありがとうございます。調理は初めてやらせてもらったのでちょっと緊張しました」
照れ笑いを見せる真白。盛り付けも実家でやるのとは段違いに気を遣った。こっそり自分の皿にはキクラゲ多めにしたのはここだけの話。うん、バレてない。
「じゃあ食うか。いただきます」
マスターの号令で、いただきまーす。と食事が始まった。
「うん。全体に味がついてる。キャベツなんかめちゃくちゃ上手く切れてるじゃないか」
「あ、それは灯さんが…」
灯はバツが悪そうに下を向いてモソモソと食べている。
「おい。ちょっとくらい時間がかかっても全部自分でやらせようって言ったのはお前だろ」
「ご、ごめんなさい…ついノリで…」
「悪かったな真白くん。こいつは張り切るとやたらと手を出しちまうんだ」
「いえ。実演して頂いたので勉強になりました。他の具材は俺が切りました。炒めるのも教わりながら俺がやりましたがいかがでしょうか?」
「よくできてる。野菜の切り方も、炒め具合も合格点だ。賄いとしてはな」
「やはりマスター達が作るのとはちょっと違いますよね。灯さんに手取り足取り教わったのに」
「なに凹んでるの?いきなり完璧に作られたらあたしらの立場がないでしょ」
しゅんとした真白の肩を灯がポンポン叩いた。
「そうだぞ。一生懸命練習して上達したらお客さんに出す料理も任せることもあるかもしれないから励めよ」
「そういうのって何年も修行が必要なんじゃないんですか?以前テレビで板前さんがお客さんに料理を出すまで少なくとも5年の修行が…とかやってましたが」
マスターの発言に驚いた真白が尋ねると、
「修行何年とかやってるところもあるよ。でもうちはそういうのやらないから。あたしとマスターが合格って言ったら初日からでも厨房に入れるし、逆に何十年やっていても上達しなかったら合格は出さない。お客さんを大切にする気持ちを養うためにも長い修行期間を設けて腕を磨かせるんだろうけど、そもそもお客さんを大切にしていない人はうちで働かせないから、今ここにいる時点で最低限の条件は満たしているんだよ」
「ああ…」
灯さんとマスターらしい考えだと思った。
「嬉しそうな顔してるところ悪いが、俺たちは厳しいぞ」
マスターがシャキシャキと咀嚼していた野菜炒めを飲み込むと、ニヤッと笑ってそう言った。
「あたしよりもマスターの方が厳しいからね」
そうなんだ。マスターの方が…
灯の皿を見ると、肉のボリュームが増している。というか、野菜から食べて肉を残している。なにか問題が…?
「灯さん、肉多めって言いましたよね…何かありましたか…?」
真白が聞くと灯が何か答えようとするが、口の中は野菜炒めと米で一杯らしくモゴモゴ言っているだけで何を言いたいか分からない。
「灯は好きなものは最後に食べるタイプなんだ」
そういうこと…
マスターの言葉で全て腑に落ちた真白はホッとした。
不味いわけじゃなかったんだ。
「あの、入江も賄いを作っていたんですか?」
「いや。あいつは厨房の作業は洗い物くらいしかやってないぞ。そもそも賄いを任せようってのも最近始めた取り組みだから浅川くんも田坂ちゃんも今まではやったことないし」
そうかー。
今度入江に会ったら自慢しよう。
真白はホクホクした顔で賄いを完食した。
食べながら先に話していたバーナーやそれを使って作った料理の画像を見せてもらったり、山でどんなものが食べたいかリクエストを聞いてもらったりした。
山へ行くのが一層待ち遠しくなった真白が食器をまとめて流しに持っていって洗おうとすると灯が手伝ってくれた。
次は何を作ろうか?
なんて話をしながら洗い物を済ませて着替えて店を出る。
最近はみんなで帰るのが当たり前になった帰り道。
その別れ際に、
「じゃあまた土曜日よろしくな」
「よろしくねー」
「はい。お疲れさまでした」
ぺこりと頭を下げた真白に灯が思い出したように声をかけた。
「あ、真白くんってキクラゲ好きだったんだね。次はまたキクラゲを使うものを作ろうね」
してやったり顔でいう灯。
バレてた…




