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真白-ましろ-  作者: 格之進


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39/73

疲労困憊<達成感

ニコラ達と昼食を共にした2日後の土曜日、真白はいつものようにオープンから働いていた。


そして、いつもの土曜日と変わらない時間が始まったわけだが…


その日は、真白が宵の明星で働き始めて一番の修羅場となった。



別に彼が何かやらかしたわけじゃない。


事の発端は一本の電話からだった。


灯の兄貴分であり、灯の実家である老舗料亭で板長を務めている男性から電話がかかってきたのは、真白がホールの掃除を終えて手を洗いに行こうとした時。


一番近くにいた真白が電話をとると、


「灯に代わってもらってよろしいですか?」


開口一番がそれだった。


電話口のあなたは誰かと聞いても、かなり慌てているようで要領を得ない。


仕方なくそのまま灯に代わると、灯の顔色がみるみる青ざめていった。


電話を切った灯はマスターのところにすっ飛んでいって、何か話した後で帰る準備を始めた。


何があったんだ?と不安げな真白に浅川は、


「何か不測の事があったらしいから僕たちがしっかりしよう。僕は灯さんの代わりに厨房を手伝う事になると思うから真白くんはホールよろしくな」


と言って肩を叩いた。


ちなみにどうでも良いことだが、宵の明星の面々は最近になって日向くんではなく真白くんと呼ぶようになった。距離が縮まったようでちょっぴり嬉しくもあり、田坂にそう呼ばれると照れ臭くもある真白である。


話を戻そう。


そんなこんなで、灯は「ごめんね!お先に」とだけ言って帰ってしまった。


灯が帰る支度をし始めてから何やらどこかに電話をしていたマスターが2人を呼んだ。


「灯のお父さんが仕事中に倒れたらしい。今救急車で病院に搬送してもらったところで、お母さんも付いて行ったんだと。万が一があるから灯も病院に向かってほしいとの事でな。今からは俺たち3人でやるぞ。浅川くん、メニューはBに変更して」


「はい、分かりました」


浅川はそう言ってキッチンの隅にある棚から別のメニューを取り出して内容の確認をしている。


「あの、メニューBって何ですか?」


真白が尋ねる。


「これは簡単に言えば人手が足りない時のメニュー。いつものメニューから調理や盛り付け、提供の手間が比較的かからない料理に絞ってるんだ。種類はいつものメニューの三分の二くらいかな。今日はこっちをお客さんに持っていって」


そんなメニューがあったのか。誰が考えたか分からないが上手いやり方だな。


なんて感心していたところまではよかった。


その日はたまたま高尾山口駅周辺で催し物が行われていた。あまり祭りごとに積極的じゃないマスターと灯にしては珍しくそれに協賛したものだから、パンフレットやホームページにデカデカと掲載されて、しかも"街で大人気の食堂!""行かなきゃ損!"みたいにゴリ押し文句まで入ってしまっていた。


そう言えば灯が「今日は半端じゃなく忙しくなるよ…」って言っていたっけ…


そして灯の予言通り、昼過ぎになるとお客さんが一気に増えた。それがちょうど灯が帰ったタイミングだった。


店としては有難い限りの状況。


マスターは、通常メニューを提供できない事を申し訳ないと言っていたが、その通りなんだが、真白としてはそれどころではない。


あっという間に店内は満席。外にも列ができている。


今まで、特に週末なんかは満席で外で待ってもらう事はあったが、せいぜい2、3組。それ以上になると、残念そうに帰ってしまうのが常だった。


だが、今日は違う。お客さんは登山の帰りに寄った感じじゃない。せっかくここまで来たんだから人気の食堂で食事をして帰ろう。と宵(・)の(・)明(・)星(・)で(・)食(・)事(・)を(・)す(・)る(・)た(・)め(・)に(・)訪れたお客さんだ。気合いが違う。


店の外には10組以上が並んでいた。


マスターから車2台分ほどの駐車場は閉鎖して、納戸にいくつかある折り畳みの椅子を外に出して、待っているお客さんに使ってもらうよう指示が出た。慌ててその対応をする。


メニューBにしたおかげで調理の回転は速い。浅川がいつもの灯のポジションを担っているが、飲み物を作ることと、調理に関してはほぼ簡単な盛り付けくらいしかできないものだからマスターがほぼ全て自分で作りながら浅川にも細かく指示を出している状態だ。


回転は速いが、その分だけ注文が入る頻度も速い。マスターはひたすら何かを作り続けている。


待っているお客さんを気にしてくれているのか、いつもよりも長居をするお客さんが少なくてテーブルの回転が速く、新規のお客さん対応にも追われる。暖かいうちに提供しないといけないし、会計もじゃんじゃん来るし、いつも以上に割り勘やら別会計やらが多い。真白ひとりでは回らなくなってきて、見かねた浅川もホールにかかり切りになる。


しばらくすると、マスターから会計は浅川に任せて、真白は少しでも時間が空いたら洗い物をするように指示された。


浅川が厨房を抜けてからマスターは調理だけでなく、洗い物もやっていたのだ。


洗い場とホールを行ったり来たり。


まだ忙しくなってから2時間も経っていないけど、目が回りそうだった。


催し物が落ち着くのは夕方の日が暮れるころ。今から参加して晩御飯を食べてから帰ろうというお客さんもたくさんいるだろう。


それでも少し店の外の行列が落ち着いたかな。と思った矢先に、登山帰りのお客さんが押し寄せてきた。


浅川曰く、日が長くなるこの時期は梅雨入りする前の一番気持ちが良い新緑の季節であり、山に行こうという人が凄く増えるらしい。


せめてあとひとりいれば浅川が厨房に入れてマスターの負担が減るのに。


って思っていたその時、チリンチリンと入り口のドアが開いた。


「いらっしゃいませ。申し訳ありませんが、順番にご案内致しておりますので、入り口の記名簿に…ってあれ、、?」


坊主頭の190cm。入江蒼が作務衣を持って入ってきた。


「久しぶりだな、日向くん。手伝いに来たぞ」


この時ほど男に抱きつこうと思った事はない。


「あ、ありがとう。えっと…どうすればいいかな…」


逆に慌てる真白の後ろに浅川が立っていた。


「真白くんと蒼はホールに専念。会計は真白くんが担当する事。僕は厨房に入るから。蒼、早く着替えてこい」


「じゃ日向くん、よろしくな!」


浅川さん、久しぶりっす!なんて挨拶しながら着替えに行った入江を見送って、真白は我に帰った。


よし!やるぞ!


気合いを入れて次のお客さんを招き入れた。





「料理の提供とテーブルの片付けは全て俺がやるから、日向くんは会計とお客さんの見送り、注文と新規のお客さん対応をやってくれ。料理が溜まりそうだったら声をかけるから」


入江にそう言われて、真白はお客さん対応に専念した。


入江は凄いやつだった。


でかい図体のくせに、両手に料理を持って店内を滑るように動く。


会計にお客さんが立ったら、風のように現れて一瞬で片付けを終える。真白も片付けには慣れてきて、丁寧で速くて素晴らしいと灯に褒められたが、入江のそれはもはや芸術だった。隣のテーブルの若い男女4人組が拍手をしてしまうくらい。


それに触発されて真白も頑張った。


入江が入ってから真白の負担が減ったので、強張っていた表情も穏やかになり、お客さんと少し雑談をしたりする余裕も出てきた。


13時くらいからたまに水分を摂るくらいしかできないくらい忙しい時間だったが、18時を過ぎるとかなり落ち着いた。催物は17時に終了し、登山客も18時前には家路につくのが通例だ。これ以降は楽になるだろう。


真白がレジのお金を整理していると、


「ただいまぁ。忙しい日にごめんねー!」


灯が帰ってきた。


「おかえり。とりあえず今日はもういいから、こっちで賄い食って先に上がれ」


マスターが厨房から顔を出して言った。


「うん。そうさせてもらう。浅川くん、真白くん、申し訳ないけど、明日は私はキャンセルで。気にせず2人で行ってきて」


灯はクタクタに疲れているようだ。そういう真白もヘロヘロで明日の登山どころじゃないぞと思っていた。


入江が定食をお客さんに提供して戻ってきた。


「灯さん、じいちゃんの具合は?」


厨房に入りながら灯が呟くように話す。


「蒼ちゃんもありがとうね。ただの貧血だったみたい。でも倒れた時に壁に頭をぶつけたから念のために精密検査を受けたけど、今のところ異常なし。歳も歳だから今日、明日は入院して様子を見て、良ければ明後日退院だって。今日は母さんが一緒に泊まるから、あたしは明日姉ちゃんと着替えを届けに行ってくる。その時に蒼ちゃんも一緒においで」


入江は天井を見上げながらふーっと大きく息を吐いた。


「そうか。大事なさそうで良かったな。今すぐ飯作るから」


マスターがポンと灯の肩を叩く。


「ありがとう。みんな本当にありがとうね。明日もあるから今日はお言葉に甘えてご飯食べてから上がらせてもらうね」


灯がぺこりと頭を下げる。


「いえ、大事なくて本当に良かったです。今日はゆっくり休んで下さい」


浅川も安心した顔をしている。


真白はこんな時にどんな言葉をかけていいか分からず、うんうんと頷くだけだった。


灯が帰り、20時になると店内はいつもの週末の静けさを取り戻した。


「3人ともお疲れさん。ちょっと早いけど片付けに入っちゃっていいぞ。こっちは賄い作るから。今日は灯が刺身をたくさん買ってきたからそれで海鮮丼だ。大盛りでいいか?」


3人とも、はい!と答えた。


真白が店の前からA看板を回収してくると、テーブルを拭いていた浅川が近づいてきた。


「真白くん、明日は山に行くのはキャンセルしよう。疲れちまって」


軽い感じで言うが、間違いなく真白を気遣ってくれている。


「はい。僕も次回万全の状態で行きたいです。またよろしくお願いします」


「うん。お互い明日はゆっくりしよう。今日は本当に良くやったね」


浅川に褒められてなんか照れ臭い真白に追い打ちをかけたのは入江。


「見違えていて驚いたよ。もうここのエースだな」


あれだけの動きを見せられた後では若干嫌味に聞こえなくもないが、素直にありがとうと返しておいた。


「入江も流石の動きだったな。凄く勉強になった」


真白に真顔でそう言われた入江は「よせやい」といって背中をバンバンと叩いてきた。真白はマジで咽せた。


「男3人で健闘を称え合ってるとこ悪いがメシができたぞ!もう入り口も閉めていいからみんなで食おうや」


マスターが厨房から出てきてパンパンと手を叩いた。


真白が入り口の暖簾を外して中に入れると、入江がドアに鍵をかけた。


「海鮮丼なんて久しぶりだ」


「浅川さんもですか?俺もこの店辞めてから初です」


「俺も最後に食べたのがいつか覚えてないくらいだ」


なんて話しながらゾロゾロとキッチンに入る。


テーブルには宝石箱のようにキラキラしている海鮮丼が並んでいた。


並んで座って頂きますをしたところまでは覚えている。気づいたら丼が空になっていた。真白だけじゃない4人共だ。


「うまかったー!」


「あれ?海鮮丼が消えた…」


「お前の胃袋にな」


「海鮮丼のお代わりはないけど、デザートにアイス食っちまうか?」


「「「食っちまう」」」


マスターのご厚意で提供された業務用バニラアイスも空になった。


「灯が怒るだろうな。あたしも食べたかったって」


「マスターが全部受け止めてくださいよ」


「安心しろ真白くんにも間違いなく飛び火するから」


「入江は灯さんに合わないから、実質食い逃げみたいなもんだよな」


「いや!ちゃんと働いた対価だから!」


「真白くんが言ったのはその食い逃げじゃなくて…」


賑やかな夕食だった。


大変な時間をみんなで乗り越えたという成果が極上の調味料となり、海鮮丼もバニラアイスも最高だった。


その後はマスターの厚意で各自好きな飲み物を振る舞ってもらい、雑談に花を咲かせた。大変な時間を乗り越えた高揚感からか、灯の父が無事だったという安心感からか、雑談は盛り上がりまくって。いつもよりも早く店を閉めたのに、店を出たのはいつもよりも遅かった。


みんなと別れて帰宅した真白はすぐにシャワーを浴びて、洗濯機をまわ…す事なく、ベッドに倒れ込んで一瞬で眠りに落ちた。


くたくたでボロボロになる疲労困憊ではなく、できる事を全部出し切って成果を上げた達成感の中で真白はニマニマしながら眠っていた。

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