瀬尾のお願い
週末に日向山に登り、そして夏には甲斐駒ヶ岳に行くという目標ができた真白はその次の日に買い物に行った。
浪費ってやつに無縁な真白は学費と家賃、光熱費、最低限の食費を親に援助してもらっている事もあって、生活費はバイト代でお釣りがくる。
食費もバイト代でなんとかなると伝えたが、両親に固辞された。それより働きすぎじゃないかと言ってきたが、宵の明星での仕事は凄く得るものが多い。一緒に働いているみんなの話をしたら、是非一度行ってみたいと言っていた。
それにこの徴税大国に住む国民を悩ませる年間所得額についても、親の扶養に入っている学生が税金を引かれないギリギリの額なるように上手くシフトを組んでくれているので、そっちの心配もする事はない。
そんなこんなで1ヶ月丸々働いた真白の懐は暖かい。
しかも店に行くと、夏山登山に向けての準備フェアとかいう割引き期間中で、真白が欲しいと思っていたレインウェアを含めてウール製の速乾シャツやクライミングパンツが30%オフになっていた。
今日からのフェアらしく、まだ在庫は沢山あったのでメーカーも色もサイズも選び放題だった。気になる物を片っ端から試着して、レインウェアだけじゃなく、シャツとクライミングパンツも買った。
速攻で帰った真白はすぐに新品のウェアに着替えて…じゃなくて洗濯機にぶち込んだ。真白は…というか日向家では新しい服を買ったらまず洗濯するのだ。
室内洗濯物干しに干したあと、それらを眺めながらニマニマしながら早めの晩御飯を食べて、早めに布団に入り…ネット動画を見て、いつもの時間に寝た。タイパ野郎の桜田が見たら2時間くらい説教してきそうな気がするが。いや、その説教の時間自体がタイパと真逆の気がす…はい、話が逸れました。タイパタイパ。
次の日、洗い立ておニューのシャツとクライミングパンツを身につけて家を出た。まだギリギリ5月とはいえ、日中は初夏と呼んでもよいくらいの気温だから昨日買ったTシャツのデビューにはもってこいの陽気だ。
愛機に乗って学校に着いた真白は薄手のパーカーとヘルメット、手袋をバイクの収納スペースにしまった。バイクを譲ってくれた実家の近所のおじさんが、
"真夏でも長袖・長ズボン・手袋はもしもの時の安全確保の観点からバイク乗りなら変えちゃいけないスタイル。半袖や短パンなど薄着で乗ってる奴は危機感のない奴。何よりも見た目が小物みたいでダサい"
と言っていた。真白にセカンドマシンであった原付を譲ってからも、自分で整備している大型バイクに乗っている若い頃からバイク乗りのおじさんの言葉には重さがあり、真白はその言いつけをしっかりと守っている。
いつもよりもウキウキと講堂に向かう真白。
ん?何か強烈な視線を感じる。やっぱりこの新しいTシャツ効果はすごい!みんな羨ましいんだろう。
そんな事をドヤーっとした顔をして歩いていると、その視線がぐんぐん近づいてくる気がした。
「日向くん!久しぶり!なにこの服!カッコいいじゃん!どうしたの急にキメちゃって!彼女でもできた?」
いきなり真白に突っ込んできて肩に頭突きをかまして捲し立てるのは、ニコラ・ライアンだった。
「いきなり頭突きはやめましょうよ、ニコラ先輩。俺もお返ししますよ。鼻に」
ニヤッと笑いながら顔を近づけた真白に、以前怒られた記憶が蘇ったのか少しビクッとしたニコラは、まぁまぁと言った感じで両手の平を広げる。
「それよりカッコいいシャツにズボンだね。本当にどうしたの?また山に行くの?」
「はい。今週末に日向山に行きます。山梨県の北杜市にある山なのですがご存知ですか?」
「知ってるよ。登ったことある。いつ行くの?」
真白はこの人は他人の話の半分しか聞かないな。なんて思いながら続ける。
「週末です。1日の日曜日ですね」
「誰と行くの?姉さん?」
「あー、色々と話したいところですが、講義の時間が迫っていますので後でもいいですか?」
「あ、ごめんね!私も時間ないんだった!じゃあ昼休みに学食でどう?以前日向くんが参加したツアーで使ったところ」
「分かりました。ニコラ先輩も登った事があるならアドバイスを頂きたいです」
「まかせて!じゃまたあとでね」
両腕を飛行機みたいに広げて、キーンとでも言いたげな様子でニコラは走って行った。
ちなみにそれを見てため息をついた真白もスキップせんばかりの勢いで講堂に向かったから似たようなものである。
さて、昼休みになり食堂に着いた真白はニコラを探した。
入り口でキョロキョロしていると、
「日向くん、こっちだよ!」
奥の窓際の席でニコラが手を振っている。真白が気づいて向かおうとすると、食券機を指差した。
手を振り返して、ニコラの意図するところであろう先に食券を買ってテーブルに向かった。
ん?
4人掛けのテーブル。そのニコラの前に誰かが座っている。
こちらからは後ろ姿だから誰か分からないが、ニコラが笑顔で話しているところを見ると悪い人ではないんだろう。
そんな事を考えてテーブルに近づき、ニコラに声をかけた真白はその対面に座る人物を見て苦笑いを浮かべる。
浅川に好意を寄せる瀬尾が真白を見てニッコリと笑った。なんか面倒ごとの予感がプンプンする。
「お待たせしました、ニコラ先輩。瀬尾先輩もお久しぶりです。今日は桜田先輩はご一緒じゃないんですか?」
「日向くんは私と桜田がコンビ組んでるとでも思っているわけ?勘弁してよー」
瀬尾がそう言ってため息をつく。
いや、これは完全にフラグが立ったよな。
真白がそう感じていると、誰かがコツコツと窓を叩いた。
「おや、これはみんなお揃いで。僕もご一緒していいかな?」
そう言ったのは桜田だ。窓の外から。
うん、窓の外から。
中まで聞こえるという事はそこそこでかい声を出したのだろう。
彼の周りの学生がチラチラこっちを見ている。
「「あのバカ…」」
瀬尾とニコラが同時に呟いた。
あー、また喧嘩になるかな。なんて心配したが、注文を済ませた桜田を2人は文句も言わずに迎え入れた。
あれ?
なんか拍子抜けだなと思っていると、
「ねぇ、日向くん。今度浅川さんと山に行くんだって?」
ニコラの隣に座った真白に、瀬尾が身を乗り出して聞いてきた。
「そうそう。浅川さんに車を出してもらって行くんでしょ?」
ニコラもそれに続く。
何でこの2人は誰と行くのかまで知ってるんだ?まぁ俺が山に行くとなれば宵の明星の面々くらいしかいないけど。
「はい。灯さんと、浅川さんに連れて行ってもらいます。ニコラ先輩が言ったとおり浅川さんが車を出してくれるという事です。よくそこまでご存知で」
「うん。さっき姉さんに連絡して聞いたんだ。私は別の用事があって行けないけど」
あ、一緒に行きたくて情報収集したわけじゃないんだ。
「日向くん、これを浅川さんに渡してほしいんだ」
瀬尾が差し出したのは居酒屋のクーポン券だ。
「これを使えば会計が20%引きになるんだよ。あ、不正に手に入れた物じゃないよ。私が働いているお店だから。1枚で2人分の会計まで割引になるからね。あ、日向くんは未成年だからまだお酒が飲めないのか!私はもう飲めるんだけど…」
一気に喋った瀬尾に、はぁ…と、曖昧な返事をした真白を桜田が肘で突く。
「日向くん、これは瀬尾が浅川さんと2人でその店に行きたいと、どうにかしてその状況を作ってほしいというお願いだ」
「いや、それなら自分で渡して誘えばいいんじゃ…」
そう言いかけた真白を瀬尾とニコラがすごい形相で睨む。
「日向くんは彼女がいた事ないでしょ?」
は?なんて失礼な!事実ですが…
「それとどんな関係があるんですか?」
ちょっぴりムスッとして聞いた真白に、
「女の子の気持ちが分かってないって事。いい?ここにいる桜田みたいなその辺にいるモブを誘うのと、浅川さんみたいな色々経験豊富そうな完璧イケメン大人を誘うのは難易度が段違いなわけ。断るのもこっちを傷つけないように上手く断ると思うよ。でも、一度断られたらまた誘う勇気は女の子にはないの。しかも日向くんは浅川さんと割と仲がいいでしょ。クーポンも"2人までオッケーらしいので、瀬尾先輩と行ってみてください。あの人ここで働いてるみたいだから美味しい料理とか教えてくれるんじゃないかなぁ"とか言って誘導するの」
ニコラが熱弁する。
チラッと桜田を見ると、
「要約しよう。いいから私が言った通りにやれ!この野郎!だ」
ですよねー。まぁ聞くだけならいいか。
「分かりました。明日のバイトの時に浅川さんに渡しておきます。目論見通りにいっても連絡先とかはご自身で何とかしてくださいよ。そこまでやったら流石にあからさますぎるでしょ」
真白がそう言ったタイミングで桜田を除く3人の料理完成を知らせる放送が入った。
「良かったね、瀬尾ちゃん」
「ありがとう!ニコラちゃん。日向くんには上手くいったら学食おごるね!」
キャッキャ言いながら立ち上がる2人を見ながら真白は、上手くいったらって出来高かよ…って思った。




