ウインドシェル
「日向くんは以前ニコラちゃんとここに来たんだっけ」
アウトドア用品店の前まで来たタイミングで浅川が尋ねた。
「はい。登山用品を買うなら高尾からだとここが一番品揃えが良いと聞いています。あの時はリュックを買いに来たんです」
あれからまだ1ヶ月も経っていないが、もう遥か昔の出来事に感じる。
「まだ聞いてなかったけど、今日は何を見に来たの?」
そういえば浅川にはまだ目的を話していなかった。
「今日はウインドシェルという物を見に来ました。それからクライミングパンツ?田坂さんが履いていたズボンです。あとスポーツをするときに着る速乾シャツ?も見たいです」
「よく調べてるね。じゃあシェルから見てみようか」
真白は初登山から帰ってすぐに色々調べた。店に行ってもすぐに探せるように名前やら素材やら細かく調べた。店員さんに聞く事もあるだろうと思ったからだ。
「この辺りにあるのがウインドシェル。ちょうどセールをやってるね。ここに出ているメーカーならどれでも強度や機能性もバッチリだよ。違いがあるとすれば…」
迷うことなく真っ直ぐにそこに向かった浅川が早速説明をしてくれる。
「色々な色があるんだね。うわー!すごく軽い」
瀬尾も初めて見るらしく興味津々だ。女性用の鮮やかなピンク色のものを持って自分に当てながら鏡に向かっている。
「瀬尾先輩、これは薄い割にすごく暖かいらしいですよ。春や秋の日中帯のハイキングならTシャツにこれ一枚で充分との事です」
真白が自分は着たこともないくせに、ちょっと聞いただけの知識を鼻を天狗みたいに長くしながらフフンと瀬尾にひけらかしていると、
「よく勉強してるね。これを綺麗に畳んで付属の袋に入れるとね…ほらこんなに小さくなる」
「うわ!凄い!」
真白の握り拳よりも小さくなった。
「これは防水加工をしていない物だからこんなに小さくなる。こっちの防水加工をしてる物はここまで小さくならないけどね。夏山でも急に寒くなる時があるし、そのうち高い山に行くようになったら夏でも山頂の気温が一桁なんて時もあるから必需品だよ」
「そんなに気温差があるんですか」
「標高が100m上がるごとに気温が約0.6℃下がると言われていてね。日向くんや僕の地元山梨のシンボル富士山だと、麓が35℃なら山頂は単純計算で17℃とかになるんだ。秋の気温だよね」
それって秋というか冬の気温に近いんじゃ…
「防水加工付きがセールで10,000円ちょっとか…こっちの防水加工なしの方が7,500円…」
高いな…今すぐ買えないわけじゃないが…買うならウインドシェル…かな…でもどうせ後で買うなら防水加工付きの方が利口か…
「日向くんが見に来た物で今必要なものと考えて優先順位を付けるなら、ウインドシェルがダントツでトップ。防水加工してある物も両方必要。防水のズボンも。でもまだ悪天候の中、下山が困難になるような山にはいかないだろうし、とりあえずこっちのウインドシェルで良いよ。また高い山に行くようになったら防水ジャケットとパンツも用意する必要があるけど、その時はまた一緒に見にくるから。そもそもウインドシェルと防水加工してあるのは使用目的が違ってね…」
浅川さんによると、ウインドシェルというのは簡単に言えば防寒目的。風を防ぐから体温がジャケット内に蓄えられて暖かい空気の層ができてペラペラな見た目とは裏腹にとても暖かい。対して防水加工してある物は一般的にレインウェアと呼ばれる。こちらはまさに値段がピンキリで、簡易的なウインドシェルに毛が生えたような物から、表面が加工されていて岩に擦っても破けにくかったり、雪の上でも滑りにくかったり、外からの水は入らず、中で汗をかいたらその湿気を籠らせずに外に発散する機能がある物もあり、めちゃくちゃ高い。同じ素材でできているズボンもセットで買うのが一般的だ。
「これは街中をジョギングするときに着ても良いのでしょうか」
「もちろん。もういらなくなってきてるけど、冬でも上にこれ一枚着れば下はTシャツでも良いくらいだよ」
「サイズ的にはどんなもんでしょう」
「あまり大きすぎても着心地が良くない。防水ジャケット…いわゆるレインウェアは下にたくさん着込む時を想定してひと回り大きいサイズを選ぶけど、ウインドシェルに関しては下にシャツ一枚着ることを想定したサイズでちょうど良いよ」
だとしたらMサイズだな。好きな黄色のやつがラスト一枚だ。これは運命。買っちゃえ!
「あ、一応試着してきなよ。人によって着心地って違うから」
「はい。あれ?瀬尾先輩?」
いつの間にか消えていた瀬尾を探すと、試着室からニコニコ顔で出てきた。手にはさっき身体に当てていた
ピンク色のウインドシェルを持っている。
「これ買うんだ。普段着にも使えそうで使い勝手が良さそうだから。それにハイキングくらいならニコラちゃんに付き合ってあげてもいいかなって」
絵に描いたような衝動買いだ。でも瀬尾の思惑は見てとれる。
「良い色だね。ハイキングに行くならみんなで行こう。まだ朝晩は着る機会もあるだろうし」
「え?みんなでって…浅川さんも一緒に行ってくれるんですか?」
「うん。もちろん」
「はい!ちゃんと運動しておきます!」
活き活きしている瀬尾を置いておいて真白も試着してみた。ジャストサイズだ。
「俺もこれを買います。あと他のものも見たいのですが」
「もちろん。次はクライミングパンツか。こっちだよ」
それからじっくり浅川の話を聞きながら目当てのものを見た。値段もしっかりチェックして、今後の目標ができた。速乾シャツに関しては、まずはメーカーにこだわらず、大手衣料品メーカーのスポーツ用のシャツで良いのではないかとの話になった。素材は違うとはいえ、なんてったって3倍近く値段が違う。
「シャツに関しては俺の家に参加賞シャツがたくさんあるからあげるよ。着てなんぼなんだけど量がありすぎてさ。物はすごく良いから」
「ありがとうございます!助かります!」
まさかのタダで手に入ることになった。
「はい!はい!はい!私もシャツを買おうと思ってました!」
瀬尾が食いついてくる。
浅川と話すのも慣れてきたらしく、彼女らしさが出てきた。
「本当にたくさんあるから貰ってくれるとありがたい。着ないと勿体無いし。今度日向くんに渡しておくね。瀬尾さんや日向くんには少しサイズが大きいだろうけど」
「気にしません。ダボダボにはならないだろうし」
真白は普段からゆったりした服を好んで着る。だからオーバーサイズに抵抗はない。
「私もです!ボディラインが出るような服よりゆったりしている方が好きです!」
瀬尾は真白より少し小さいとはいえ、女性としては背が高い。165cmはあるだろう。
何はともあれシャツの問題はこれで解決。
真白と瀬尾はウインドシェルの会計を済ますと、早速着たい衝動を抑えて店を出ようとする。
「あれ?浅川さんは?」
瀬尾がキョロキョロしながら尋ねる。
「さっきまで後ろにいましたが…あ、会計してます。浅川さんも何か買ったみたいですね」
そういえば真白達が会計している時にレジの正面にある売り場を見ていた。
「浅川さんは何を買ったんですか?」
お待たせーと言いながらやってきた浅川に瀬尾が尋ねる。
「これはスポーツジェル。レース中にエネルギーを補給する物だよ。もうすぐレースがあってね。ネットでまとめ買いするほどの量はいらないからここで買っちゃおうと思っていたんだ」
店を出ると、浅川は袋から一つ取り出して真白達に見せてくれた。
「これはゼリーですか?」
真白が尋ねると、
「いや、ゼリー状のもあるけど、これはもっとドロドロしているジェルだね。一つで120キロカロリー。小さいおにぎり分くらいのエネルギーを補給できるんだ。レース中にゼリーや食品を持つと重たくて大変だからこういう簡易補給食品を持つんだよ。来週の日曜日のレースは50キロだからこれだけあれば充分」
浅川は8個買っていた。
これだけで50キロか。お腹空かないのかな。と思った。
「さて、買い物は終わったけどこの後どうする?せっかく立川まで来たから、この間日向くん達が行ったカフェに行ってみる?」
「行きます!」
勢いよく答えたのは瀬尾。
「じゃ日向くん、案内してもらえるかな。俺も行ったことがなくて気になっていたんだ。ニコラちゃんがいつも自慢するからさ」
浅川が苦笑いしながら真白に頼んできた。
「はい。確かに甘い物のメニューが豊富で良い店でした。では行きましょう」
真白の案内で一向はカフェに向かった。
カフェではいつもニコラが座っているという席が空いていたので、そこを陣取って一人ひとつパフェを頼んだ。
真白と瀬尾は買ったばかりのウインドシェルを早速取り出して着てみた。
浅川に似合ってるよと言われて満更でもない二人の前にパフェが並ぶ。
汚しちゃ大変だといそいそと袋にしまい、パフェを頬張る。
今回は真白のパフェもフル装備だ。
美味しいパフェを食べながら、真白は浅川に例のうしうしPのミュージックビデオの話を振った。
ナイスだ!という顔をして瀬尾も入ってくる。
浅川も大好きな音楽の話に口数が多い。
ニコラと来た時もそうだったが、甘いものを食べながらの歓談は最高だ。
こんなに楽しかったら毎日寄り道しに来ても良いなと思った。




