クリエーター
「お疲れさん!行ってきたぞ!」
店の扉を開けると、マスターが厨房に向かってデカい声をかけた。
「あ、マスター、お帰りなさい。灯さん!マスター達が帰ってきましたよ」
浅川がお客さんに提供する料理を持って厨房から現れた。
「おかえり。田坂ちゃんもお疲れさま。あなたが日向君だね。初めまして。蒼の母です」
入り口に近い2人掛けのテーブルを片付けていた女性が真白を見て微笑んだ。
灯にそっくりだ。
髪型が違うだけで双子…と言ったら大袈裟だが、明らかに姉妹だと分かるほど似ている。年が離れていると聞いていたが、灯同様にとても若々しく見える。
「こんにちは。入江にこの仕事を紹介してもらった日向真白です。今日はありがとうございます。おかげさまで楽しい時間を過ごしました」
「本当にしっかりしてる子だね。灯、良い子が入ってよかったね」
真白が挨拶を返すと、厨房の仕事が一区切りついたらしき灯がピョコピョコと小走りで出てきた。
「おかえりー。無事行ってきたね。まぁ奥でゆっくりしなよ。何飲む?」
「コーラ!日向くんもコーラだって。ニコラちゃんは帰ったよ」
「ニコラちゃんは今忙しいからね。姉ちゃんお願い!マスターは麦茶だよね。賄いも大テーブルに置いてあるから持ってきてー」
田坂の注文を受けたのは灯だが、用意は入江母にやらせるらしい。あと賄いも持って来させるらしい。
はいはい。と厨房に入って行く入江母。
よっこいしょ。とマスターの隣の椅子に座る灯。
昼のピークも落ち着いたらしく、店内には2組のお客さんが食事をしており、まったりとした空気が満ちている。灯はテーブルに居座ってそのまま賄いを食べるつもりのようだ。
「日向くん、どうだった?」
灯が目をキラキラさせて尋ねてくる。
「すごく新鮮なことばかりでした。景色が綺麗だったのはもちろん、食べ物が普段よりもずっと美味しく感じました」
真白が素直に感想を述べると、灯はため息をついて、ついでに頬杖もついた。
「いいなー。やっぱりマスターに譲るんじゃなかった。今日は最高の登山日和だもんね。あ、姉ちゃん、ありがとう」
入江母は灯の前にロコモコ丼を置くと、真白達にごゆっくりと言ってそのまま厨房へ戻って行った。今は灯が休憩なので、入江母が厨房で料理を作っている。
彼女も灯と同じく幼い頃から料理の手ほどきを受けており、元が器用で物覚えが良く、料理自体も好きで調理師の免許も持っているらしい。灯曰く「現場で場数を踏んでいるあたしやマスターと変わらない腕」らしい。
その後すぐに浅川が飲み物を持ってきてくれた。
「ありがとうございます。浅川さんと灯さんに事前にお話を聞いていたおかげでトラブルなく楽しく登山できました。次は陣馬山に行ってみたいと思っています」
真白が浅川と灯に事前レクチャーのお礼を言う。浅川はニコッと笑っただけで何も言わずに厨房へ戻って行った。相変わらずカッコいいなぁ。と真白が思っていると、最後の一言に灯が食いついてきた。
「いつ行くの?来週?」
そのセリフはさっき帰った金髪ちんちくりんが言ったのと一言一句残らず一緒だ。
「ん?なんか呆れた顔してない?あたし変な事言った?」
灯はロコモコ丼をもぐもぐしながらキョトンとしている。野菜を食べて、目玉焼きに移るところ。彼女はおかずを少しずつバランスよく食べる、いわゆる三角食べってやつができないらしい。こんなところも誰かにそっくりだ。
マスターはため息をついて灯の肩をポンポンと叩く。
「さっきニコラちゃんが全く同じ事を言ったんだ。田坂ちゃんに今はそれどころじゃないでしょって嗜められて諦めたけどな」
田坂はコロコロ笑いながら言う。
「本当に仲良いよね。2人で動きがシンクロする時もあるし」
それは見てみたい。
「来週は土日ともシフトに入っていますし、平日は講義があるので、早くても再来週。5月最後の日曜日になるかと思います」
できれば早く行きたいのだが、まだ初心者の真白は準備にも慣れていないので少し時間が欲しい。それに月末なら給料も入っているから新しい道具も買えちゃうかもしれない。今日の登山で欲しいものが沢山できた。まずは服装をどうにかしよう。格好から入るのは悪い事ではないと思う。
「また登山用品の店にも行こうと思っています。買う、買わない別にしても値段やサイズ感だけでも知っておきたいので」
「いいね!いつ行くの?明日?」
田坂が食いついた。
宵の明星関係者は皆せっかちらしい。
「見に行くのは明日でも良いかと思っています。今日気になった物を忘れないうちに見に行きたいし。あ、それに明日は講義も午前中だけだから」
「この間はニコラちゃんと一緒に行ったんだろ?日向くんさえ良ければ明日は僕が付き合うよ。仕事もひと段落したし」
「え?」
話にサラッと入ってきたのはお客さんの会計を終えてテーブルを片付けに来た浅川だった。
「俺はありがたいですが、浅川さんは良いんですか?わざわざお付き合い頂いても」
「いいよ。ここんところ立て込んでいてこの仕事以外は家に篭りっぱなしだからたまには外出しないとだし」
「あ、ありがとうございます」
「僕の方は午前中には片付くから、昼過ぎに向こうで落ち合って飯を食おう」
「はい。分かりました」
スルッと決まってしまったが、浅川さんと2人ってのは割と緊張するぞ。
ってか浅川さんはここ以外で何の仕事をしているんだろう。
「なに?いよいよ出来たの?」
そう聞いた灯に、浅川は少し疲れた顔で答えた。
「ええ。ようやく納得いく出来になりました。まだ曲自体が未発表なので詳しくはお話しできませんが。来週には動画サイトにアップされると思いますので楽しみにしていてください」
「今回は長かったね。まぁビッグネームからの依頼だし、浅川くんの今後の仕事に追い風になるといいね」
「はい。注文が多い奴の相手は疲れましたよ。あとはどれだけ稼げるかですね」
真白は何の話をしているのか分からないので会話には入れないが、聞いている感じ何らかの依頼を受けて作品を作るアーティスト系の仕事のようだ。
「うしうしPの1年ぶりの新曲でしょ。しばらく他の歌い手さんの楽曲制作をしていて、自身の名前で発表してなかったから絶対注目されるよ。私も楽しみ」
田坂も目をキラキラさせている。
「日向くんがきょとんとしているから田坂ちゃんの方で説明してあげてよ。僕はしばらくあいつの名前から離れたいから」
浅川は苦笑いを浮かべる。仲が悪いのだろうか。
「日向くんはボカロって知ってる?」
田坂の問いに真白は首を傾げる。
「音楽のジャンルの一つでね、曲だけじゃなくてボーカルの声も音楽ソフトを使って作成するの。浅川さんはそのアーティストから依頼を受けて、曲に合わせた動画を作成しているんだよ。たまに自分で曲も作ってるけど、メインは動画作成なんだって。今回の依頼主は凄く有名なアーティストでね、私も大ファンなんだ」
「浅川さんは動画クリエイターだったんですか。自宅で仕事をしているとは聞いた事があるので、テレワークだと思っていました。アーティストだったとは」
真白は音楽に詳しくない。楽器も弾けないし、ジャンルもよく分からない。でも聞くのは大好きだ。
動画サイトで音楽を流していると出てくる、あなたへのおすすめ動画をジャンルを問わずに数珠繋ぎに見ていたりする。
「ほら、これがボカロ」
そう言って田坂が見せてくれた動画の曲は真白も聞いたことのある曲だった。
「この曲を作ったのが、今回浅川さんに依頼をしたうしうしP。ボカロ界の重鎮でCMとかにも曲を使われてるし、沢山の歌い手がこの人の曲を歌って動画サイトにアップしているんだよ。世の中とか人生とか流行り廃れを皮肉った歌詞が何とも味わい深いんだー」
身近にそんな人がいるとは。家に帰ったら聞いてみよう。というか、浅川さんは他のアーティストのMVも作成しているのだろうか。それも見てみたい。
「日向くんが着くまで街をぶらぶらしているから、着いたら連絡してよ。昼過ぎだよな?」
キッチンから出てきた浅川がお客さんの注文を厨房に伝えたあと真白達の元にやってきた。
「はい。12時30分まで講義があるので、立川到着は13時半前後になるかと思います」
「分かった。慌てて来なくてもいいからね。到着時間が分かり次第連絡ちょうだい。あと、田坂ちゃん、日向くんにMeTubeで僕の動画見てもらっといてよ。あいつのMVじゃなくて僕のね!日向くんは気に入ったらチャンネル登録よろしく」
そう言って手をひらひら振ると厨房へ戻って行った。
「そろそろ私たちも帰ろうか。動画は後でメッセージで送るね」
田坂が立ち上がり、帰る支度を始めた。
真白もそれにならう。
「俺は灯が飯を食い終わるまで付き合うわ。だからゆっくり食いなよ」
マスターは、田坂が帰ると言った途端にロコモコ丼を慌ててと口に掻き込もうとした灯にそう言った。
「マスター、今日はありがとうございます。灯さん、入江さん、浅川さん、お先に失礼します」
田坂がそう言って店を出る。真白も倣ってお礼を言って田坂に続いて帰路に着く。
まだ真白は知らない。
凄く楽しかった今日という1日がきっかけで、新たな挑戦が始まる事を。
キャンパスに積もった埃をたたいて、自ら筆を走らせ始めている事を。




