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真白のキャンバス  作者: 格之進


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24/47

始まりの登山

「よし。今から本格的な登りが始まるぞ。小仏城山山頂まで約4キロ。ずっと登りっぱなしだから覚悟してな」


マスターが横を歩く真白を見てそう言った。


裏高尾の歩いてきた道の横に入る未舗装路がある。入り口には休憩所?らしき小屋が。その先を見る限り登山道というよりも林道だ。


4キロも登るのか…この間行った高尾山の1号路が下からケーブルカー乗り場まで2キロちょっとだったからだいたい倍かぁ…長いなぁ…


そんな事を考えている真白の横を、一際小さなリュックを背負った半袖&短パン姿のランナーが駆け抜けていった。


「あの人は?」


真白たちの格好に比べて明らかに軽装。登山というよりはマラソン大会に出るような雰囲気だ。チラッとしか見えなかったが履いている靴は真白のと同じような感じだった。


「あの人はトレイルランナーだよ。前にチラッと話したよね。トレイルランニングっていうのは、舗装された走りやすい道路だけじゃなくて登山道を主に未舗装路も含めたコースを走って速さを競う競技。今から歩く林道や登山道、レースによってはスキーのゲレンデを駆け登ったり下りたり、川の中に入って対岸まで横断したり、ロープを使わないと登れないような岩場がコースに含まれていたりするよ。あの人はその練習をしているの。この日影沢林道は高尾の中でもメジャーなトレイルランニングの練習場所だからね」


答えたのはニコラだ。


スキー場とか川に突っ込むとか岩場とか真白には想像もできないようなコースが舞台になっているらしい事は分かったが、あまりに強烈すぎてイマイチ刺さらない。


ちょっぴりぼーっとしている真白に、


「まぁ歩きながら話そうや。上に着くまでに何人も俺たちを追い抜いていくと思うから」


そう言ってマスターは先頭を歩き始めた。


歩いてきた道を逸れて林道に入るとすぐに橋があった。そこを渡った先の広いスペースに数台の車が停まっているのを見てマスターが言う。


「さすが週末だな。まだ7時過ぎだってのにこんなに」


「この車の人たちはみんな俺たちと同じ道で登っていくんですか?」


真白の疑問に答えたのはまたしてもニコラ。


「そうとも言い切れないかな。私たちが向かっている小仏城山へ行く道以外にも高尾山に繋がってる道もあるから。でもここをスタートしてるって事はほとんど私たちと同じ道で山頂まで行くと思うけど…高尾外輪山はね、分岐が……」


そこに割り込んだのはマスター。続けて言う。


「高尾山とそれをぐるっと囲っている外輪山は沢山の登り口があるんだ。山頂に向かう道が何本もあるだけじゃなくてそこに向かう道にもそれぞれ他から何本もの道が繋がってる。良い点は色んな景色が楽しめるのと、登山中に不測のことがあった際に下山するチャンスが多い事。悪い点は分岐点が多いから道を間違える危険が大きい。高尾外輪山は低山だけど道迷いをする人が割と多いんだ。幸い登山道は明瞭だから遭難というよりは道を間違えて現在地が分からなくなるって程度だが、それでパニックになると遭難以外の危険が出てくる。滑落や転倒による怪我だ。低山とはいえ、登山道脇の斜面は切り立っている箇所もある。アルプスの岩壁から落ちるみたいに何十、何百メートルも真っ逆さまなんて事はないが、転がり落ちれば最悪命を落とす危険もあるんだ」


何か話が大きくなってきた…命を落とすとか…確かにたまにニュースで遭難やら滑落やら聞くなぁ。俺なんか今日が初めてだし大丈夫だろうか…いや、1人じゃなくてみんながいるし…


そんな事を考えていた真白の背中を田坂が叩く。


「心配しないで!そうなっちゃう危険性もあるから事前準備をしっかりして、しっかり計画を立てて楽しく登りましょう。って事!マスターも初めて登山する人をそんなに脅かさないでよ」


何か大変なことが起こったような顔をしている真白を見てマスターは申し訳なさそうに言う。


「悪い悪い!田坂ちゃんが言ったみたいに、そうならないようにちゃんと準備して臨みましょう。って事だよ。登山届けもWEBで提出してあるからな。今日は楽しむぞ!はっはっは…ん?」


自分の発言を誤魔化すように笑うマスターの後ろでは大変なことが起こっていた。いや、怒っていた…


「マスター!私が説明してたのに!1番いいところで割り込んできてひどい!」


ニコラがプンスコ怒っている。


話に割り込まれたくらいでそんなに怒ることないのに。というか、あんたいつも他の人が話している時に同じことをやってるでしょうが。


喉元まできたその言葉を飲み込んで、マスターの肩に頭突きをしているニコラを見ていると、


「そんなに怒らなくてもって思ってるでしょ。実はニコラちゃんは大学のゼミで高尾山満喫ツアーを計画していてね。登山初心者や高尾山初めての人に山について説明する練習がしたいって言っていたの。だから今日も日向くんが来るって言ったら大喜びで、山の話は私に任せて!って気合い入っていたの。マスターにも話していたはずだったんだけど」


田坂の話を聞いて、入学してすぐの桜田ツアーを思い出した。あの時ニコラは次は私もやるって言っていた。


「ごめんごめん!あ、ほら、キャンプ場だぞ!」


うりゃ!うりゃ!と頭突きを続けるニコラの頭をどうどうと押さえながらマスターが林道の右奥を指差した。


こんなところにキャンプ場が。よく見ると炊事場らしきものもちゃんとある。テントサイトには2張りテントが立っていて、その前で壮年の男性がそれぞれ別々に料理をしていた。


「あれはキャンプ場です。キャンプ場として運営しているだけじゃなくてね、子供達を対象にした自然観察教室や大人向けの植物・鳥を観察するイベントとかもやってるんだよ」


サッと頭を切り替えて、何事もなかったかのようなすまし顔で説明するニコラ。


「確かに林間学校とかで行った子供の家みたいにも見えますね」


「でしょ。まだ時間が早いから何もやってないみたいだけど、この時期は毎週のようにイベントみたいなので賑わってるよ」


すっかり気を取り直した様子のニコラは先頭に立って歩き出す。


「ここからしばらく未舗装林道が続くよ。足を挫かないように気をつけてね。ここは夏でも日陰で林道の横を川が流れているのもあって涼しいんだ。ちなみにこの林道の名前は日影沢林道。この日影は暑さを凌ぐために入る日陰とは意味が異なるんだ。日陰が多いこの林道の名前になんで異なる意味になる日影という字が当てられているか…私は存じ上げません」


そこまで話して存じ上げないのかよ!


気持ちが良い道だ。右側を流れる川も水がすごく綺麗だし、鳥の囀りや木々の葉の擦れる音。人工的な音は一切聞こえない。ニコラの言う通り日陰の多い道だがところどころ木漏れ日が差し込んでいて、それが幻想的な景観を作り出している。そんな空間をこの人達と共有している。


それからは本当に取るに足らない会話が続いた。


田坂がバイト代を注ぎ込んで新調したウェアの事、ニコラが気になっていて近々行こうと思っているキャンプ場の事、マスターが欲しいと思っている職人がオーバーホールしたヴィンテージのオイルランタンの事。


どの話も登山と関係があるようなないような話。どれも内容が濃くて、真白は話を振られた時に返答するくらいしかできなかったが、


「田坂ちゃんはやっぱり青が似合うよなぁ」


「私もそのキャンプ場行ってみたい!いつ行くの?」


「あはは!マスター!そんなに高いランタン買うのを大蔵大臣が許すわけないじゃん!」


楽しそうに話す人達の中に一緒に心から楽しんでいる自分がいる。それだけで最高に充実した気分だった。


これがこれから先の真白のライフスタイルを決定付ける始まりの登山になる。



まだ道は緩やかな登り。まだまだ気持ちにも体力にも余裕があるからか鼻歌でも歌わんばかりの軽やかな足取りの真白。しかし彼は気付いていた。その緩やかな登りが少しずつ急になっている事を。


気づくと道は未舗装は未舗装でも舗装されてない道ではなく、舗装が荒れた感じの道に様相を変えた。そこから急激に坂の斜度が急になる。


歩き始めてから数人のランナーが真白達を追い抜いていったが、彼らはここを走って登ったのだろうか。歩く分にはいいが、走るとなるとかなり強度が高そうだ。そんな事を考えていると自然と声が出た。


「坂が急になってきましたね。さっきまで抜かしていった人達はここを走っていったんでしょうか」


「そのランナーのレベルによるけど、これくらいならみんな走るんじゃない?田坂ちゃんもよくここを走ってるんだよ」


「え?」


ニコラの発言に耳を疑った。田坂さんがここを走る?


「そんなに驚く事ないよ。私なんかよりももっと速い人が沢山いるんだから」


謙遜しながらそう返した田坂の目はむしろギラギラしていた。さっきからランナーに抜かれるたびにピクッと反応して遠くなっていく背中を目で追っているのを真白は見逃していなかった。走りたくてうずうずしているのだろう。


斜度はぐんぐん急になっていく。


高尾山1号路の1番急な箇所くらいだろうか。だがこちらは足場が良くないので歩きたいように歩けない。きっちり整備されている観光地感が強かった高尾山に比べて、舗装が荒れていて地面はボコボコ。足の設置箇所に気を使う分だけ精神的にも肉体的にも疲労は蓄積されていく。


「段差があったり、溝や穴を避けるために大股で歩きたくなるところだけど、こういう足場が悪かったり、急峻な箇所はむしろ小股で歩く事を心がけて。目安はいつもの一歩の歩幅を二歩で。急がなくていいから余裕を持ってゆっくりね。ゆとりを持ったペース配分がどれくらいか分からなかったら、"会話をしながら歩くと少し息が上がる"くらい。辛くて会話ができなくなったらオーバーペースだよ」


ニコラのアドバイス。真白の後ろから聞こえてくる声は朝会った時と何ら変わらない。


やっぱり山を歩き慣れている人は違うな…


「はい。心がけます。マスターは僕らよりも荷物が重そうですが…大丈夫ですか?」


真白の3倍以上の大きさのリュックを背負うマスターが心配になる。


「おう。大丈夫だ。ありがとうな。ここが1番辛いところだが、あと少しだぞ。あのガードレールの先を右に曲がるとゲートがある。このレベルできついのはそこまでだ。頑張ろう!」


ガードレール…あ、あれか。


…右カーブが見えてきた…あれを曲がれば…


ゲ…ゲートだ…もうこんな坂はないんだ…


「日向くん、頑張ったね!ここからは道も綺麗になるし、坂も緩やかになるから新緑を楽しみながら歩こう!」


ニコラが真白を早足で追い抜きながら背中をポンと叩く。


「はい。アドバイス通りに歩いたらかなり楽になりました。脚もまだまだ元気です」


いやー、疲れた!でもまだまだ余裕があるぞ。でも行程は始まったばかり。何回もこんな坂があったら大変だろうけど…


ゲートを越えると道が綺麗になってきた。ここまでの道よりもずっと歩きやすい。斜度も緩やかで一息つける。


「日向君、水分もしっかり摂るようにね。結構汗かいてるでしょ?」


田坂がリュックの肩かけ部分のポケットに差し込んである水筒のようなものから水を飲みながら言った。


「はい。田坂さんの水筒は変わっていますね」


「これはトレイルラン…」


「田坂ちゃんの水筒はトレイルランニングや登山で使うソフトフラスクっていうボトルだよ。私も同じの使ってる。水を飲むと同時に収縮していって、チャポチャポ揺れないんだ。それに咥えて軽く噛めば水が出てくるから、動きながらでも適量を飲みやすいんだよ」


田坂の説明にニコラが思いっきり被せてきた。


真白の頭の中にニコラに頭突きをかます田坂の姿が浮かんだ。

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