頼られる気持ち
目覚まし時計が鳴る前に目が覚めた。
眠りが浅い真白は、実家にいた頃は夜中に何度か目を覚ましてトイレに行ったり、水を飲んだり、水を飲んだものだからまたトイレに行ったりしていたが、最近は一度も目を覚まさずに朝までぐっすり眠る事が多くなった。
今日は日曜日。時刻は8時を過ぎたあたり。8時半に起きようと思っていたから少し早いが、頭がスッキリしていて二度寝をしようと思うような目覚めではなかったので、このまま起きることにした。
よし!今日も頑張るぞ。
そう。真白は今日もバイトに行くのだ。
研修と初仕事を経験してからは、割とコンスタントにシフトに入った。
講義が終わったら、夕方から出勤で夜まで働いて、賄いを食べて帰る。
そんな生活を始めて約2週間。まだ土日や昼間の仕事は経験していないものの、大分手際も良くなってきたある日。
「日向くん、急だけど明後日は入れるか?」
マスターにそう聞かれた真白は少し考えた。
明後日は日曜日。
オープンから夕方までずっと忙しくなる上に、登山帰りの一見のお客さんが大多数だから回転も速く、新人のフォローをしている余裕はない。
でもね、日曜日はあのサラサラ黒髪ポニーテールビューティーの田坂さんがシフトに入っている!
それが理由ではない。とにかく真白は忙しい日曜日のシフトに入れても差し支えないと太鼓判を押された事が嬉しくて「入ります」と返事をした。田坂さんに会えるからではない…と思う。
それじゃあ開店前の準備から来てくれと言われて、今日は10時からの勤務になった。
店の開店は11時だが、その前の準備から真白の仕事は始まる。
ちなみに宵の明星の勤務形態はマスター夫婦は開店前の準備から閉店までだが、従業員は2つのシフトがある。
一つは10:00〜18:00、もう一つは17:00〜22:00。それが基本。土日や人が足りない時は特別シフトになる。
なお、まだ高校生だった入江は16:00〜20:00までの変則勤務で働いていた。
昨日までの真白も試用期間という事で、待遇は変わらないものの、勤務時間だけは高校生の入江と同じ時間だった。
その間は同じ人に教わるのが混乱しなくて良いだろうという灯の考えで、浅川がシフトに入っている日に真白の勤務を割り当てた。
入江とアカネが辞めてからは、浅川と田坂に多少変則的に入ってもらって回してきたらしい。浅川も田坂もいない時には入江母が助っ人に来てくれたり、マスターと灯が根性で回していたとの事。
真白が戦力になって田坂と同じようにシフトに入れれば、定休日以外はほぼフルタイムで働いている浅川やわざわざ助っ人に来てくれる入江母の負担を減らせる上に、マスターと灯も余裕を持って仕事ができるようになるから大助かりらしい。
浅川の教え方は抜群に上手かった上に、真白は真白でやるからには一生懸命やるという性格もあり、みるみる仕事を覚えて、今では平日なら会計も含めたホールの仕事は浅川がいなくても真白だけで回せるほどになっていた。
そしてついに見極めとして、忙しくて臨機応変な対応が必要になる日曜日の、特にハードな昼から夕方までの時間を任せる事にしたのだった。
これで合格点をもらえば晴れてホールを1人で任せられるようになるのである。
そんな思惑があるとは露知らず、真白は始めて長い勤務にチャレンジする事に緊張していた。
灯曰く休日の昼間はかなり混むらしい…怖いなぁ…なんてビクビクしたり、賄いが2回食べられる。何が出るのかな。そんな事を呑気に考えたりしていた。
そして、田坂さんと始めて一緒に働く!
宵の明星は平日の昼間はマスター夫婦と浅川で回しているから、バイトは基本夕方から夜のみになる。真白が入ってからは浅川と組めるように灯がシフトを調整していたので、田坂と組む事はなかった。
浅川が言うには、田坂は平日・休日問わず1日に最低でも1回はナンパされるらしい。
そして、華麗にスルーするらしい。
どんなイケメンから言い寄られても。
ある日、すでに酒が入った客が来店し、料理を提供しに行った田坂に絡んだ。例の如くスルーした田坂に女性に対して大変失礼な言葉で罵声を飛ばした上、それすら無視する彼女の腕を掴んで引き寄せようとするという暴挙に出た際には、マスターが厨房から瞬間移動したかのように現れ、そいつをふん捕まえてつまみ出したという。
そいつのリュックを鼻っ面に叩きつけて、「さっきの事は目を瞑ってやる。金はいらないから2度とその汚いツラ見せるな」と言って店内に戻ってきたマスターはカッコよかった。
灯はそんな風に惚気ていた。が、
マスターが言うには…その日は忙しく、調理にてんてこまいになっていたマスターが、騒ぎを察して慌てて厨房から飛び出すと、灯が無表情で首を左右にコキコキ鳴らしながらフライパンを持ってその客に向かって歩いていく所だったらしい。
そりゃ瞬間移動もするわ。と真白は納得した。
田坂とは初対面後は真白が浅川に付く関係で顔を合わせていない。ちょっぴり緊張するなぁ。なんてソワソワしながら、朝食はフルグラで済ませて、制服の作務衣と何かと便利だからいつも持ち歩く習慣になっているタオルをリュックに入れて店に向かった。
店の前に着いた真白は気付いた。
どこから入ればいいのだろう。
いつもは開店後だからお客さんが入る表のドアから真白も入っている。
もちろん裏口があるのは知っているし、ゴミ出し等々で出入りもしているが、開店前のこの状態で勝手に入って良いのだろうか。
裏口の前でノックをするか、そのまま開けるか、そんな事を真面目にウンウン考えている真白の肩を叩く者がいた。
振り向くと田坂がいた。
眩しいばかりの笑顔で。
「おはよう。鍵はもう開いてるからそのまま入っていいよ。今日はよろしくね」
「あ、はい。こちらこそよろしくお願いします」
真白は今日初めて喋った人間が田坂であった事を世界中の人に自慢したかった。
気合い十分の真白は元気よくドアを開けた。
「おはようございます!」
開店前の仕込みをしていたマスターと灯は、いきなりの大声にキョトンとしながらも、
「あ、おはよう。準備ができたら指示するから灯のところに行って。田坂ちゃんもおはよう」
はい!とこれまた元気に返事をした真白は、シャキシャキと更衣室に向かった。
初めての日曜日の仕事。
真白の忘れられない1日が今始まった。
オープン前の仕事は初めてだったが、灯の指示は的確で真白はテキパキと動く事ができた。
宵の明星は閉店後と開店前と2回掃除をする。
厨房はマスター夫婦が、その他を田坂と分担してこなしていく。店自体そこまで広くないし、昨晩一度やっているので苦労はない。
その後はテーブルセッティング、セルフサービスの水の準備、食器類の整理整頓、レジ内の釣り銭確認を行っているうちに開店20分前になった。
「日向くん、ちょっと休憩。一息ついておいで。11時ジャストに入り口を開けて、外に看板を出したら開店だからね。そしたらあとはいつも通り。田坂ちゃんと協力して頑張ってね」
「はい。田坂さん、よろしくお願いします」
真白は田坂にぺこりと頭を下げる。
「かしこまらないで。一緒に働くのは初めてだけど、もう何でも出来るって聞いてるから。頼りにしてるね」
そう言ってにっこり笑う田坂にハートを射抜かれそうになった。
「い、至らない点がありまちたらおっしゃって下しゃい。がんばります」
目を背けながら、顔を赤ながら、少し噛みながら返事をした真白の後ろにはニヤニヤしている灯がいたが、彼がそれに気づかなかったのは幸いだったのだろう。
マスターからジュースをもらい、一息ついたら間も無く時刻は11時。
看板を持った真白は入り口を開けて外に出た。
そこにはすでに3組7名のお客さんが待っていた。
「お、お待たせしました。どうぞ中に」
真白の勝負の1日が始まった。




