キレキレ
最初の(入江を除く)お客さんが来てから30分。
時刻は17時半をすぎたところ。
「すみませーん。注文お願いします」
こっちからそんな声が飛べば、
「スタミナ定食上がったよ!」
あっちからこんな声が飛ぶ。
真白はオロオロするどころか、カチーンと固まって全く動けない。何をしたらいいか分からない。
浅川はそんな新人を邪険にする事なく、「こっちから声をかけるから、今は僕の動きを見ていてね」と言って躍動していた。
注文を頼みたいお客さんに、
「はい。かしこまりました。少々お待ちください」
そう言いながらスタミナ定食を持って、
「お待たせしました。スタミナ定食です。ごゆっくりどうぞ」
滑るように提供した後、
「日向くん、よろしく」
そう言って厨房入り口で固まっている真白を呼んで、
「お待たせしました。お伺い致します」
そう言って真白を自分の前に立たせる。
「ハンバーグにチーズのトッピングってできますか?」
そう聞かれた。
キョトンとしている真白をよそに後ろから天(浅川)の声が。
「できますよ。追加料金が150円です」
「ではそれでお願いします」
「かしこまりました。ハンバーグ定食って書いた横にチーズって書いて」
そして言われるがまま動く真白。
「あとアジフライ定食。ご飯大盛りで」
シャシャッと注文票に書き込む真白。
「返事」
と天(浅川)の声。
「はい!しゅみまへん」
咬み咬みで返事をする真白。
「僕にじゃなくてお客さんにだよ」
と天(浅川)の声。
「あ、はい!かしこまりました!確認致します。ハンバーグ定食にチーズトッピングとアジフライ定食でご飯大盛り。以上で間違いないでしょうか」
ちゃんとできた真白。
「はい。間違いないです」
笑顔で頷くお客さん。
「承りました。しばらくお待ちください」
そう言ってぺこりと頭を下げる真白。
「完璧だぞ日向くん!!」
いきなり立ち上がって馬鹿でかい声をあげる隣のテーブルの190cm。
入江!!!!!
「あ、すみません。彼は今日が始めての新人なんですよ。日向くん!いい感じだぞ!」
驚いてるお客さんにそう説明する入江。
「あっはっはっはっは」
と厨房で大爆笑している灯の声。
恥ずかしさで顔を真っ赤にして注文表を持って厨房へ向かう真白。
そんなやりとりを気にする事なく、次々に出来上がる料理や飲み物を運ぶ浅川。
「すみませーん」
お客さんの声が上がり、
「日向くん!出番だ!」
そう叫ぶ入江。
「あっはっはっは」
これは灯。
「大人気だね」「頑張ってー」
これはハンバーグとアジフライのお客さん。
「今伺います!さ、行くぞ」
ひとりで行く事に躊躇っていたら、別テーブルに料理を提供した浅川が来てくれた。
「お待たせしました。お伺い致します……以上で間違いないでしょうか。はい。承りました。しばらくお待ち下さい」
そう言って注文表を厨房に持って行こうと回れ右をすると、もうそこに浅川はいない。別のお客さんのところに運ぶ料理を持って歩いていた。
すげーなあの人…キレキレだ…
お客さんとして外食をした事はあっても中の人になる事なんてなかったから、こんなに大変だと思わなかった。目がまわるとはこれを言うんだろう。
そんな中を滑るように移動しながら料理を提供したり、真白に付いたり、指示を出したり。それを表情を強張らせる事なく当たり前のようにこなしている。
入江は何故か隣のハンバーグとアジフライのお客さんと意気投合し、しばし楽しげに話した後で帰って行った。
帰り際に、
「いきなり浅川さんみたいにやろうなんて思わなくてもいいんだからな」
そう言って真白の肩をポンと叩いていった。
入江が帰ると、店は本格的に忙しくなった。
まだ18時前で、真白の常識だと夕食には早い時間だけど次から次へと人が来て店内は満席。すでに外で待ってる人もいる。
「ご馳走さまでした」
追加の注文が入り、灯に伝えてから厨房入り口にある注文票に書き足していると、お客さんがレジの前から真白に声をかけてきた。
会計は浅川に任せるように言われている。
「ありがとうございます。少々お待ちください」
そう言って浅川を見ると、料理を運んでいた。
「浅川さん、お会計をお願いします」
そう言ったが、対角線上の真逆にいる浅川に真白の声は周りの喧騒に飲み込まれて届いていない。
真白は思い出した。マスター達がでかい声を出せと言っていたのを。なるほどと納得して、少しだけ息を吸い込んで腹から声を出す。
「あさ…
「浅川くん!お会計!」
真白の2倍増の声が被せるように響いた。声の主は厨房から顔を出した灯。肉野菜炒め定食を提供カウンターに置いて、
「日向くん!7卓さんの肉野菜炒めね!」
そう言ってすぐに顔を引っ込める。
「おーい!生姜焼き上がったよ!盛り付け頼む」
厨房内のマスターの声も外まで聞こえる。
「はいよ!次はハンバーグを先によろしく」
灯の返事も響いている。
真白は自分が情けなくなった。声を出すことすらできない。これじゃだめだ。この人達の、一生懸命に働いている人達の足を引っ張りたくない。腹を括った。
「肉野菜炒めお持ちします!」
いきなり叫んだ真白を、会計をしていた浅川とお客さんがキョトンとした目で見ている。
「お待たせしました!肉野菜炒め定食です!ごゆっくりどうぞ!」
お客さんにも叫ぶ真白。
「あっはっはっは!いいよー!その調子!あ、彼今日が初めての新人なんです。至らないことがあると思いますけど何かあったらあたしに言ってください。日向くん!生姜焼きも上がったから3卓によろしく!」
生姜焼き定食を提供カウンターに置いた灯の声が飛んだ。この入江2号が!
「あれ店長さん?面白い人だね。あなたも頑張って」
肉野菜炒めのお客さんがニコニコしながら真白を激励してくれた。
「日向くん。ご新規4名さまを案内して下さい」
肉野菜炒めのお客さんに「ありがとうございます」と伝えてぺこりと頭を下げると、すぐに動き出した。
「はい!今行きます!」
真白の声はさっきまでの2倍くらい。灯より少しちっちゃいかな…くらいの大きさになっていた。
それから真白は無心で働いた。
時間はあっという間に過ぎて20時を回った。
途中で15分の休憩を取った時以外はずっと動き回っている。
「落ち着いてきたね。日向くんは上がっていいよ。着替える前にマスターのところに行って賄いを頼んでね」
空いたテーブルの片付けをしていた真白に、厨房から出てきた灯がフロアを見渡してそう言った。
現在は4組のお客さんが食事中だが、18時過ぎからつい先程までずっと満席だった時間と比べるとフロアの雰囲気は全く違う。
「それを厨房に持っていくタイミングで上がっちゃっていいよ。お疲れさま!美味い賄い食って帰りな!」
浅川が今しがた会計を済ませたお客さんのテーブルを片付けに向かいながら言った。
「はい。賄いはここで食べられるんですか?」
真白はトレンチに皿やコップを積みながら灯の方を向いて尋ねる。
「ああ。そういえば賄いの話をしていなかったね。うちは賄いの持ち帰りを禁止にしてるから、ここで食べていく事。今は空いてきたから、奥のテーブル使っていいから。バタバタしてる厨房で食べるよりもゆっくりできるでしょ。マスターに賄いお願いって言えば着替えてる間に用意してくれるから」
真白は賄いを楽しみにしていた。
テレビで飲食店で働く従業員が賄いを食べているところを取材している番組を見てからずっと興味があった。
その番組に出ていた飲食店では、余り物や試作品を使ってメニューにない料理が出るという。
一生懸命働いた直後に仕事の余韻を感じながら職場で食事をするのは、働く大人って感じがしてなんかカッコいい。
「はい。それでは先に失礼します」
「おう!あとはまかせろ!お疲れさま」
浅川は笑ってピースサインをした。
「お疲れさまです。マスター、勤務が終了しました。それで…その……賄いを…」
まだお客さんの料理を作っているマスターに、俺の飯を作ってくれ。と言うのは気が引けて言い淀んでいると、
「あ、日向くん。お疲れさま。よく頑張ったな。賄いすぐに作るから。普段は在庫を見て何か作るんだけど、今日は特別になんでもいいぞ。メニューから食いたいもの言ってくれ」
マジか…じゃ、あれ頼んじゃおうかな…でも、図々しいって思われないかな…
「まずはその皿を片付けてからな。洗わなくていいから。そこに置いて、メニューを見ておいで。くれぐれも遠慮せずに食いたいもの頼んでいいからな」
洗い物を乗せたトレンチを持ったまま立ち尽くしている真白に優しく声をかけてくれた。
「あの、ハンバーグが食べたいです…その、チーズのやつ…」
蚊の鳴くような声でそう言ったところで、
「あはは。いきなりトッピング希望?いいねー!ガンガン言っちゃって。マスター、アジフライお願い!単品で!」
注文を取った灯が入ってきた。
「あ、いや!チーズはトッピングでした!すみません。普通のハンバーグでお願いします!」
慌ててそう言い直すと、
「いいよいいよ。チーズが乗ってるのを食いたいんだろ?作ってやる。早く着替えてこい」
恥ずかしくて耳を真っ赤にした真白はぺこりと頭を下げていそいそと更衣室に向かった。
「はー、疲れた…」
更衣室に入ってそう呟いた。
入ってすぐにある一畳ほどのスペースのキャンプチェアに座って天井を見上げてため息をつく。
休憩もここでしたが、マスターがグラスに入れて渡してくれたオレンジジュースを飲みながら、メモを見直していたら一瞬で15分は過ぎた。
働くってすごい事なんだな。
お金を稼ぐって大変なんだな。
これが生きていくって事なんだな。
真白の中で、世の中で仕事をしている人たちへの認識が大きく変わった日だった。
一息ついて着替え始めると、ソワソワしてきた。
いよいよ賄いが食べられる。
厨房に戻るとマスターは真白のものらしき料理の盛り付けをしていて、灯は汚れを落とした皿を食洗機に「うりゃ!」っとぶち込んでいた。
「日向くん、グラスに好きな飲み物入れて持ってきな。もう出来るぞ」
マスターにそう言われて、冷蔵庫からグレープフルーツジュースを出してグラスに注いだ。
宵の明星はアルコールの提供がない分、ソフトドリンクやお茶、コーヒーは充実している。
「はい、出来上がり。サラダには何にもかかってないから好きなのかけてくれ。飯は好きなだけ盛っていいから。足りなかったらおかわりしてもいいからな。1卓に持っていって食いな」
「ありがとうございます!」
そう言って頭を下げて、トレンチにホカホカと湯気を上げるハンバーグ、味噌汁、大盛りにしたご飯とサラダ、ジュースを乗せて、足取り軽くフロアに出た。
お客さんはあと2組になっていた。
「いい匂いだなー。今日はハンバーグか」
浅川が席についた真白の向かいに腰掛けて羨ましそうな顔をした。
「先に食べちゃってすみません」
恐縮する真白に灯の声が飛ぶ。
「謝る事ないよ。浅川くんもすぐ食べるんだから。むしろハンバーグを選んだ真白くんに感謝すべきところ」
「そうですね。俺の大好物なんだ。ありがとな。さ、あとひと頑張りするか!」
浅川はそう言うと立ち上がって店の外に出ていった。
間も無くラストオーダーの時間。表の暖簾を外しにいったのだろう。
「いただきます」
そう呟いて待ちに待った賄いに箸をつけた。




