第342話 事情
前回のあらすじ)ゼノス一家は国外にいた
「少しの間、旅に出たほうがいいかもしれない?」
大陸の雄、ハーゼス王国の華やかなる王都。
その片隅にあるかつて伝染病で滅びた街――廃墟街。その一角にひっそりと佇む無許可の治療院で、ゼノスは言った。
目の前に立つのは、薄桃色の髪を揺らした美しい少女だ。
アルティミシア・ハーゼス。
かつて聖女と呼ばれた、王国の王女。
一時期この治療院で彼女を匿ったことから縁ができ、その際に肩口までばっさりと切った髪も、少しずつ伸びてきている。
アルティミシアは煌めく髪を揺らしながら、こくこくと頷く。
「うん、魔竜との戦い大変だったでしょ? 慰労も兼ねて、たまには王国を離れてのんびりと世界を旅をするのもいいんじゃないかって。勿論、必要経費は全部出すわ」
「……何か事情がありそうだな」
「ゼノスにゆっくりして欲しいのが第一の本心。ただ事情もあるにはあって」
「まあ、一応聞こうか」
ゼノスは腕を組んで、アルティミシアの後方に目を向けた。
「というか、なんでみんなが一緒なんだ?」
王女の背後には、見知った人物たちが立ち並んでいた。
七大貴族筆頭、ベイクラッド家の三男ルーベル・ベイクラッド。
貴族が通うレーデルシア学園の生徒であるシャルロッテと、彼女の同級生のイリア、ライアン、エレノア。
近衛師団副団長のクリシュナに、王立治療院の特級治癒師であるベッカーとウミンとクレソン。
最年少の特級治癒師であるジョゼの姿もある。
勿論、お馴染みのメンバーである貧民街の顔役である三亜人の代表者。リザードマンのゾフィア、ワーウルフのリンガ、オークのレーヴェもこの場に居合わせていた。
秋も深まってきた季節。
いつものように治療院を開けようとしたら、アルティミシアに先導される形で、知った顔が一斉に現れたのだ。
さすがにこれだけの人数が一気に入ると、治療院も少し手狭に感じる。
「ゼノスと親しい人たちに声をかけたの。全員は来れなかったけど、都合がつく人には集まってもらったんだ。それで色々相談してね」
「何を相談したんだ?」
「立ったままもなんだから、私が焼いたクッキーでお茶でもしながらお話しするわ」
「いや、気になるから、とりあえず先に話を聞かせてくれるか?」
「あ、そう……せっかく凄く上達したのに。最近は兄に作っても吐き出さなくなったのよ」
「上達とは?」
「じゃあ、話を先にするわ」
アルティミシアはぱんと手を叩いて、皆に椅子やソファに腰を下ろすように勧めた。
「はい、みんな、座って座って。席が足りなかったらベッドに座ってもいいからね」
まるで家主のように振舞っている。
それを言うと、アルティミシアはにこりと笑った。
「ほら、ここは私の家みたいなものじゃない」
「違うと思うが?」
「元はわらわの家じゃが?」
二階からカーミラの突っ込みが入る。
「しかし、国のトップに、大貴族、貧民街の顔役……王国の要人が勢ぞろいじゃの。第三者が見たら、この場所こそ国家の最高機密機関と言えるじゃろうな」
「ただの場末の治療院なのに……」
ゼノスは肩を落として、診療椅子に腰を下ろした。
「で、アル。俺が旅に出るもう一つの事情って何なんだ?」
「うん、あのね。ゼノスは救国の英雄になっちゃったんだよね」
「唐突だな。そんなつもりはないが」
「自覚があろうとなかろうと、ゼノスが王国を救ったことは事実じゃない」
「うーん、まあ……そうなのか……?」
かつて南方大陸で魔王に敗れて、この国で長い眠りについていた魔竜王ガルハムート。古の魔竜は自身の力の一部を歴代の聖女に貸し与えて、自らの傷を癒やそうとしていた。
先月ようやく魔竜は復活の時を迎え、聖女を喰らうことで全ての力を取り戻そうとしたのだが、その野望を潰えさせたのが、一人の闇ヒーラーだった。
「俺は腐りかけた古い魔物をただ浄化しただけだぞ」
「腐りかけ……その魔物が世界すら滅ぼしかねない魔物だったの」
アルティミシアは脱力したように答える。
「はい、どうぞ」
リリが来訪者たちの間を縫って、紅茶入りのカップを渡していった。
「ありがとう、リリ。うん、相変わらず美味しい」
紅茶を口に含んだアルティミシアは、笑顔に戻って、改めて話を続ける。
「それでね、ゼノス。あなたが国を救ってくれたことに対する相応の対価として、私は国家の立て直しを約束したわ」
「ああ、そうだったな」
王族や貴族を中心とした絶対的な権力構造。
中でもゼノスたち貧民は、人ではないという扱いをされ、あらゆる権利が制限されていた。
その身分制自体を見直すという発表を、アルティミシアは国民に向けて少し前に行った。
「早速色々着手を始めてるんだけど、王族や貴族の中にも反対勢力がそれなりあってね」
「それは、そうかもな」
「王家自体が一枚岩じゃないから、強権発動して何でも変えられる、とはいかない状況なの。色々地ならしが必要というか……」
数百年続いた権力構造を変えるのは並大抵のことではないというのはわかる。
既得権益を持つ一部の者たちは全力で抵抗するだろう。
ゼノスが腕を組むと、アルティミシアはもう一度紅茶を飲んで言った。
「まあ、それをどうにかするのが私の仕事だからいいんだけど、そこでゼノスの存在が重要になってきて」
「ええと?」
「今はまだ魔竜王ガルハムートを倒した張本人が廃墟街の闇ヒーラーということは一般には知られていないわ。でも、いつどこから漏れるかはわからない。そうなると――」
「ここに人が殺到するということ?」
リリが不安げに口を開くと、アルティミシアは困ったように肩をすくめる。
「まあ、市民だけならまだ制御できるとは思うけど、色んな権力者があなたを取り込もうと暗躍を始める可能性も高いのよ」
「なるほどのぅ……国の英雄となったゼノスを陣営に組み込めば、あらゆる交渉を有利に進められるし、国民の賛同も得られやすくなるということか。あの手この手で貴様を取り込もうとするじゃろうのぅ」
「え~……」
天井裏からの声にゼノスは思わず渋面を作る。
こちとらただの治癒師なのに。
「でも、やっとわかったよ。つまり権力闘争に巻き込まれないよう、ほとぼりが冷めるまで、俺が国を離れたほうが無難ってことか」
「まあ、そういう側面もあるという話なの……政治の事情で本当に申し訳ないんだけど、あなたが今後の政変に巻き込まれるのは心苦しいし……それはあなたも望むところではないと思うし……」
アルティミシアは薄い唇を噛んだ後、ずいとゼノスに顔を寄せた。
「勿論、私はゼノスにずっと近くにいて欲しいし、ゼノスが望めば、国を出なくても状況が安定するまで王宮で匿うことはできるわ」
「王宮?」
「お、王女様。その役はフェンネル家が果たしますわっ」
七大貴族の娘シャルロッテが少し慌てた様子で手を挙げる。
「うちの兄貴も頼めば置いてくれるとは思うぜ。えっと、リリも一緒にな」
ベイクラッド家の三男、ルーベルもちらちらとリリを見ながら話に入ってきた。
「いや、提案はありがたいが、あまり堅苦しい場所はちょっと……」
ぽりぽりと頭を掻きながら答えると、三人の権力者は残念そうに肩を落とした。
ずっと世の中の外れで生きてきたので、王宮や大貴族の邸宅などで落ち着いて滞在できるとは思えない。そもそも匿われたとしても、国内にいる以上は、反対勢力にいつ嗅ぎつけられるかわからない状況だろう。
「まあ、そう言うと思った……だから、これ」
アルティミシアは軽く嘆息した後、懐からカードのようなものを取り出してゼノスに渡した。
「これって……」
「冒険者カードよ。これがあれば身分証明書として色んな国に出入りできるから」
「貧民は冒険者になれないんじゃなかったか?」
アストン達と冒険をしていた時は、冒険者ではなく、パーティに雇われた荷物運びという身分で国境を超えていたはずだ。
「そこだけはいち早く法改正をして、取り急ぎ有力者と有力冒険者、二人からの推薦があれば貧民という身分でも冒険者になれるようにしたの。その条件を満たせる対象はほとんどいないから、反対勢力にも注目されずに通すことができた。遠くないうちに誰もが冒険者資格に挑戦できる権利を持てる形にするつもりだけど、とりあえず暫定的な措置」
「二人の推薦……?」
「ゼノスの場合は、私と、あと剣聖にお願いしたわ」
「アスカが?」
王女と剣聖が推薦した冒険者。
さすがに荷が重くないだろうか。
「推薦者名は公にはならない形にしたから大丈夫よ。ただ、冒険者カードは初回発行になるから最低ランクのホワイトランクから始まるんだけど……」
「それは別に構わないが……」
かつてはゴールドクラスのパーティに属してはいたが、正式な在籍ではないので仕方がないだろう。別にランクにこだわりがある訳でもない。
アルティミシアは色々考えて準備をしてくれたようだ。
ただ、懸念もある。
「話はよくわかったが、治療院を長く留守にするのはちょっとな……俺がいなくなると治療に困る奴らがいるだろ」
「それは我々がなんとかします」
ソファから立ち上がったのは、特級治癒師のベッカーだ。
ゼノスを王立治療院の潜入捜査に誘った人物は、穏やかな声で言った。
「ゼノス君。君が留守の間は、ここでの治療は我々が引き受けますよ」
「そうだぜ、俺が兄貴の穴を埋めるから安心してくれ」
「私も勿論、手伝います」
クレソンとウミンも協力を宣言し、ジョゼが前髪を軽く払った。
「特級治癒師が二人も代わりを務めるんだから、何の心配もいらないでしょ」
「……なるほど」
ゼノスは軽く唸って頭に手を当てる。
「でも、聖カーミラ学園はどうするんだ? やっと軌道に乗り始めたところだぞ」
ゼノスの提案で始まった貧民の子供たちのための学校のことも気になる。
治療もあるのでゼノスは毎日行ける訳ではないが、リリは先生役の一人として、ゾンデと日々奮闘している。
「そっちは私たちがなんとかするわ。そうでしょ?」
シャルロッテの言葉で、同級生のイリアが頷いた。
「勉強は私も教えられると思います」
元々リリに勉強を教えたのはイリアなので、確かに適任ではあるだろう。
騎士家系のライアンと、火炎魔法の使い手であるエレノアも賛同を示す。
「剣術は俺が教えられるぜ」
「私は魔法ね」
「この子たちが来れない時は、私の権力で家庭教師を寄越すわ」
シャルロッテが自身の胸を軽く叩いて頷いた。
「いずれは今貧民と呼ばれている人たちも学校に通ったりできるようになる予定だけど、当面の対応は皆がやってくれるから心配はいらないわ」
「……」
アルティミシアの説明に、ゼノスは無言になって顎に手を添える。
過去に出会った面々によって、ここを留守にすることによる懸念は次々と解消されていく。
自分の不在をどうカバーするか、既に皆で相談が為されていたということだろう。
彼らのような権力者たちが捨てられた街と呼ばれる貧民街に関わろうとするなど、かつては決してなかったことだ。
これ自体が大きな変化なのかもしれない。
馴染みの亜人の頭領に目を向けると、ゾフィアが足を組んで言った。
「みんな先生のことを心配して動いてるみたいだけど、あたしは先生がどうしたいかが全てだと思ってるよ。あたし達は先生にここにいて欲しいし、先生がそのつもりなら、どんな権力者がやってこようがあたしたちがはねのけるさ」
「うん、リンガも」
「我らはゼノスの方針に従う。だから、ゼノスの好きにしろ」
「私もだ。ゼノス氏の周りの身の安全は必ず私が守る」
クリシュナも一歩前に出て言った。
「リリはどうなんだ?」
治療院の看護師兼受付嬢に尋ねると、リリは長い睫毛を伏せて答える。
「私は……ここが好きだから、本当は離れたくない」
「リリ」
「でも、それでみんなに迷惑がかかるのも嫌だと思う」
「……そうだなぁ……」
ゼノスは腕を組んで虚空を見つめた。
強引にここに居座り続けることはできるとは思うが、確かにリリの言う通り、様々な権力者がやってくればゼノスを守ろうとする亜人たちと不要な対立が起きかねないし、クリシュナの近衛師団での立場も難しくなるだろう。
ゼノスはおもむろに腕を組んで、アルティミシアに視線を向けた。
「ええと、半年くらいあれば状況は落ち着くと思っていいのか?」
「うん。それだけあれば、反対勢力の炙り出しや交渉、懐柔も目途がついていると思う」
「そうか……」
ゼノスは治療院の中をぼんやりと見つめた。
元々廃墟だったこともあり、壁も床も天井も随分と傷んでいる。それでもシミや傷の一つ一つに愛着を覚える。
名残を惜しむようにそれを眺めた後、ゼノスは大きく息を吐き、一同を見渡した。
「わかった。せっかくみんなが後押ししてくれたんだ。じゃあ、慰労も兼ねてちょっと旅に出掛けてくるよ」
そして少し微笑んで、こう続けた。
「留守は任せたぞ」




