十五.
昔通った小学校の裏通りを、僕は歩いている。人気はまったく無い。いつもの横道に入ると、あの本屋さんが見えた。随分と距離があるようにも、逆に、すぐ目の前のようにも見える。辺りを包んだ靄が、そう見せているのだろうか。他にも家や店が並んでいるはずだが、霞んで輪郭が良く判らない。けれど、それは構わない。目的地だけははっきりと見えているのだから。
いくら足を動かしてもまったく近付いた気がしないのに、いつの間にか本屋の前に立っている自分に気付いた。ここに来る時にはいつものことだが、小学校の裏通りからこの横道に入るまでは普通に進めるのに、そこからこの本屋さんの前までは、いつ、どうやって来ているのかまったく解らない。歩いて来ているのは間違いないのだが・・・いや、それも怪しい。
けれど、辿り着けたのだから細かいことを気にする必要はないだろう。相変わらず建て付けの悪いガラス戸を引こうとして、けれどどんなに力を入れてもびくともせず、仕方なく体を横にして隙間を抜ける。そう言えば、初めてここに来た小学生の時にもやっと通り抜けられる程度の隙間しか空いていなかった。今の体格では、同じ幅の隙間を抜けることなどできないはずだが・・・細かいことを考えるのはやめよう。考えたところで答えは出ないだろうし。
入口近くのカウンターに座っている、相変わらず陰気な店員に会釈して、狭い店内を見回す。店内は霞んでいるように見えて、そのくせ視線を向けるとそこだけはくっきりと見える。僕はマンガ単行本のコーナーを探し当てると、その前に立ってゆっくりと視線を動かした。
(あったっ これだっ)
ここ数日、いや、数週間探し続けたマンガが、今、僕の手の中にあった。古い本だというのに、明らかに古書ではない。出版が古いだけあって確かに古ぼけてはいるが、汚れや欠損は見当たらない。何十年間もの間、この、本にとって最適とも言える環境で、ずっと僕を待っていたかのようだ。
(瞬くん、それ買うの?)
突然話しかけられて飛び上がるほど驚いてしまった。
(あ、なんだ、夢ちゃんか)
(驚かしちゃったみたいでごめんね)
幼馴染は明るく笑う。
(それで、何買うの?)
(うん、これ)
僕は手に持ったマンガ本を見せた。幼馴染の瞳が大きく開かれた。
(瞬くん、この人のマンガ、好きなの?)
(え? あ、うん、それでずっとこれ、探してたんだ)
(そうなんだ。なんだか嬉しいな)
(嬉しいって?)
(うん。この作者、あたしの叔父さんなんだ)
(え?)
僕はまた驚いた。
(夢ちゃんの、叔父さん?)
(うん。あ、正しくは叔父じゃないのかな。何て言うんだろう? あたしのお祖父ちゃんと次郎叔父さんのお父さんが兄弟なの)
(それなら、叔従父、かな)
(そう言うんだ)
(でも驚いたよ。探してたマンガの作者が夢ちゃんの叔父さん、じゃない、叔従父さんだったなんて)
(最近は逢ってないけどね)
(そうなの?)
(うん。何ていうか、旅人でね、今頃どこほっつき歩いてるかって感じ)
(へえ)
(昔はここに住んでたんだよ)
(ここって、この本屋さん?)
また驚かされた。
(そう。次郎さんの実家。小中学校もあたしたちと同じだよ。通ってたのはあたしたちよりずっと前だけどね)
それはそうだろうな、と僕は思う。ここは小学校のすぐ裏で、中学もその隣なのだから。
(いつまでもお店で立ち話も迷惑だろうから、これ買ってくるよ)
(うん。迷惑ってこともないと思うけどね。あたしたちしかいないし)
(それ、言っちゃ駄目な奴でしょ)
夢ちゃんが遠慮なくそんなことを言えるのは、ここが御親戚だからかな。けれど、と言うことは、この、長くうねる黒髪で顔、というかほとんど全身を隠した陰鬱な店員さんも、彼女の従姉妹か叔母か、そんな関係なのだろうか。代金を支払いながら、そんなことを考えていた。




