# 第9章 本当に付き合ったことある?
## 1
58日目、玲奈からLINEが来た。
二回目の候補だった。仕事と私用を整理したら、週末の夜なら会える、と書いてあった。二回目の約束は、もう前回会ったときにしてある。玲奈は、その日を、自分で選んで送ってきた。
智也は、すぐ返せた。返信の時刻を測ることも、わざと三十分置くことも、しなかった。小森のときの失敗を、そこはもうやらなかった。普通に、その週末で、と返して、日が決まった。
宮下のあとだった。二人では行かない、と言われて、止まった。あれから、押していない。
玲奈は、自分で日を出してきた。智也の中では、待つ、というのが一つ効いた手順になっていた。
店は、高い店にしなかった。前回の三万円は、効かなかった。玲奈の仕事帰りに寄りやすい、普通のビストロにした。予約の情報を並べ立てず、何時なら来られるか、だけ聞いた。
60日目までに、日と時間が決まった。九十日のうち、三分の二が終わった。残りは、三十日だった。
## 2
61日目、ビストロで会った。
高い店ではない。玲奈は、店に着いても、値段のことは何も言わなかった。前回のような、高くなくてよかった、も、なかった。ちょうどいい店だった、というだけのことだった。
玲奈は、仕事の話をした。画像の差し替えが立て込んでいること。撮影の手配が重なっていること。EC運営というのは、そういう仕事らしかった。
智也は、覚えていたことを、出した。
「異動希望、出した?」
玲奈が、少し止まった。
「覚えてたんだ」
まだ出していない、と玲奈は言った。今の部署でも任されている仕事があって、撮影の方へ行きたい気持ちだけでは、決められない、と。智也は、出した方がいい、とは言わなかった。異動の答えを、この場で出させようとも、しなかった。ただ、玲奈が話すのを聞いて、自分の仕事の、似たような細かい話を返した。
小森のときの、質問を畳んで返す感じは、しなかった。玲奈が話して、智也が受けた。智也も少し出して、玲奈がまた話した。
出発点は、いつもの記録だった。異動、撮影、迷っている。メモに書いたから、出せた。ただ、玲奈の反応は、悪くなかった。書いたことが、今日、届いていた。
会計は、七千八百円だった。前回の三万円と比べれば、ずっと安かった。安い店で、会話は成立していた。智也は、そのことに少し安心した。安心してから、その安心を、費用対効果として計算しかけている自分に気づいた。
玲奈は、店が決まる前に週末の夜を出してきていた。今日会えた理由を、値段にはできなかった。ただ、智也の頭は、まだ、そこを数字に戻そうとしていた。
## 3
店を出て、駅の方へ歩いた。
時間は、少し遅くなっていた。玲奈は、すぐ帰るとは言わなかった。歩きながら、話は続いた。飲んだ酒は、二人とも、少しだった。酔うほどではなかった。
過去の恋愛の話に、なった。玲奈は、付き合う前にそういうことがあるのも、別に、と言った。一律に駄目とは思わない、というような言い方だった。今日、智也とどうこう、という話ではなかった。ただ、そういう考え方の人だ、というのが、分かった。
智也は、頭の中で、並べていた。
清潔感。会話。覚えていたこと。返信を待ったこと。二人。夜。少しの酒。玲奈が、今も、帰らずに話している。
条件は、揃った。
智也は、そう思った。玲奈が自分の意思でここにいることを、次へ進める条件だと読んだ。表を頭の中で開いて、玲奈の数字を、25に上げた。この計画で、一番高い数字だった。
玲奈は、その数字を知らなかった。条件が揃った。あとは、揃った条件を、壊さないことだった。
壊さないためには、経験者でなければならない。智也は、そう考えていた。
## 4
62日目に変わったころ、駅の近くだった。
過去の女の話に、なった。智也は、経験者らしく見せようとした。年上の女とのことを、聞かれるより先に、少し話した。
「最初は全部向こうが。年上だったし」
言ってから、玲奈の顔を見た。
玲奈が、少し首をかしげた。責める顔ではなかった。思い出そうとする顔だった。
「あれ? 前、違うこと言ってなかった?」
智也の中で、何かが止まった。
「初めては大学一年の、同じ学科の子じゃなかった?」
はじめて会った時、智也が言ったことだった。玲奈は、それを覚えていた。大学一年で、初めて。今、智也は、年上の女が最初だったように言った。二つは、合わなかった。
ない、とは言えなかった。
「いや、初めてはその子で、年上の方は、別の……」
言いながら、順番が崩れた。初めてが誰で、年上がいつで、どっちが先で。全部、作った話だった。作った話は、細かく詰めると、合わなくなる。智也は、合わせようとして、説明を足した。足すほど、増えた。
玲奈は、全部を問い詰めはしなかった。ただ、目の前で説明が増えていくのを、見ていた。
「三崎君、本当に付き合ったことある?」
智也は、ない、と言えなかった。童貞だ、とは、言えなかった。
「あるけど。そういう数え方じゃなくて」
また、経験者の演技を、重ねた。
玲奈は、それ以上、聞かなかった。童貞という言葉も出なかった。
「三崎君が何言ってるかじゃなくて、どれが本当か分かんない」
少し間があった。
「今日は帰る」
玲奈は、そう言った。
智也は、一度だけ、いや、と言いかけた。言いかけて、やめた。玲奈は、帰る、と言っている。宮下のときに覚えたことだった。帰ると言った相手の、進路を塞がない。追わない。智也は、玲奈の前に立たなかった。送る、とも言わなかった。玲奈は、一人で、駅の方へ歩いていった。
智也は、その場に立っていた。頭の中では、玲奈が何を選んだか、ではなかった。25が、0になった、ということだった。一番近かったところで、止まった。
## 5
その夜、亮平に電話した。
玲奈が過去の話の矛盾を指摘して、帰ったこと。それだけ話した。童貞を明かせなかったことは、亮平は最初から知っていた。
「本当のこと言えばよかったのかな」
『知らねえよ。言っても帰ったかもしんないだろ』
亮平は、正直に言えばSEXできた、とは言わなかった。玲奈のことも、代わりに説明しなかった。ただ、智也が説明を重ねたことについて、一言、呆れた。
『何で足すんだよ、そこで』
「経験者っぽく」
『もういいよ。今日は寝ろ』
電話が切れた。
63日目、智也は表を開いて、玲奈の25を、0に直した。面会、二回。誘い、二回。この一週間の店代が、七千八百円。計画全体で、十万円に近づいていた。
本当のことを、言えなかった。言えば、まだ、何かあったかもしれない。なかったかもしれない。分からない。ただ、言わなかったのは、自分だった。智也は、それを、少しのあいだ、考えた。
考えても、答えは出なかった。悔しかった。恥ずかしかった。一番近いところまで行って、自分の嘘で、自分で終わらせた。
SEXしてえ。
最後は、そこに戻った。
翌日から、部署をまたいだ短いプロジェクトが始まることになっていた。請求と入金のデータを、営業と経理で整える、という仕事だった。名簿に、経理の水野の名前があった。
水野。二%。なし。
智也は、その三つだけ思って、画面を消した。攻略の相手ではなかった。ただ、しばらく、仕事で毎日会うことになる、というだけだった。




