# 第6章 余裕
## 1
31日目も、小森からのLINEは続いていた。
妹の試験の結果が出たこと。無事だったこと。仕事が急に忙しくなったこと。短い返信が、一日に一度か二度、来た。智也が返さない時間があっても、催促は来なかった。小森の返信は、仕事や家族の連絡の合間に、その都合で届いた。
智也は、来た返信を読むと、すぐ返したくなった。
その手を止めた。
前回、面接だと言われた。あれは質問が多すぎたからで、必死に見えたからだ。すぐ返信するのも、たぶん、必死に見える。智也はそう考えた。
亮平に一応送った。
「LINE、すぐ返すのって必死に見える?」
『知らん。普通に返せば』
「普通が分からんから聞いてる」
『来たら返す。それだけだろ』
亮平は、遅らせろとは言わなかった。ただ、智也は亮平の返しの中から使える語を探していて、そこには一つもなかったので、代わりに検索で拾った語を採用した。余裕。追わない。モテる男は必死に見せない。
聞くのは合っていた。質問が多すぎた。次は、余裕を足す。
智也は、小森と話を続けたいから連絡しているのではなかった。二回目につなげて、8を6に落としたあの数字を、もう一度上げたかった。そのために、連絡の距離を測ろうとしていた。
## 2
32日目の夜、小森から返信が来た。
智也は返信文をすぐ作った。作って、送信ボタンの手前で止めた。スマホのタイマーを三十分にセットした。
画面には、完成した返信文が表示されたままだった。「そうなんですね、お疲れさまです」。それだけの文だった。それだけの文を、三十分持っておく。理由は、余裕だった。
タイマーが鳴るまで、智也はスマホを裏返して置いた。表に返すと、送りたくなる。二十分を過ぎたあたりで一度手に取り、まだだ、と確認して、また裏返した。三十分後、送った。
小森からは、しばらくして、また普通に返信が来た。三十分待ったことについて、何も言われなかった。遅いですね、とも書かれていなかった。
智也は、それを成功として処理した。三十分待っても、会話は消えなかった。むしろ、余裕が出たはずだった。表のメモに、三十分・問題なし、と書いた。返信の速さで人が離れるなら、遅らせれば離れない。そういう理屈だった。仕事の数字なら、この理屈は通る。速いほど、あるいは遅いほど、結果が動く。人も、たぶん同じだと思った。
小森が三十分をどう思ったかも、そもそも気にしたかどうかも、智也には分からなかった。ただ、消えなかった、という一点を、効いた、と読んだ。
次の往復では、数時間に延ばした。昼に来た返信を、夜に返した。小森からは、また来た。小森自身の返信も、忙しいのか、一定の速さではなかった。だから智也の遅れも、その中に紛れた。
智也は、遅らせるほど効く、と確信を強めた。数時間でも切れないなら、もっと延ばせる。
## 3
33日目、小森からLINEが来た。
智也は読んだ。返す内容も、頭の中で決まっていた。当たり障りのない、短い返事だった。
送らなかった。
ここで返したら、前と同じだ。智也はそう考えた。三十分でも数時間でも切れなかったのだから、もっと置いた方が、もっと余裕が伝わる。智也は、その日は送らなかった。
翌日。智也は下書きを三回開いて、三回閉じた。直していたのは、文面ではなく、いつ送るかだった。今日か、明日か。会話の中身は、もう決まっていた。
そのまた翌日。まだ送らなかった。送らない自分を、余裕の維持、と呼んだ。
その二日間、智也の側では計画が進んでいた。既読はついている。返信は書いてある。ただ、送らない。それは戦略の進捗だった。
その二日間、小森の側で何が起きていたのかは、智也には見えなかった。智也が戦略として数えた二日と、小森が過ごした二日は、同じ長さの、別のものだった。
智也は知らなかった。小森が智也の遅れを、裏の戦略として読んでいるのか、ただ返事が遅い人だと思っているのか、それすら分からなかった。表には、遅延の日数だけが記録されていった。
三日目の夜、智也は返信した。
「返信遅れてすみません。最近ばたばたしてて」
送ってから、少し待った。
## 4
36日目、小森からの返事は、前より短かった。
会話を広げる感じは、なかった。怒ってはいなかった。ただ、返事が短くなっていた。智也はその差を、画面の文字数で測った。前は三行あった。今回は一行だった。
智也は、亮平に電話した。返信を遅らせた話をした。三十分から始めて、三日まで延ばしたこと。会話が少し短くなったこと。
『それは余裕じゃなくて無視』
亮平は、短く言った。
「無視じゃない。返信を遅らせただけだろ」
『三日返さなかったんだろ』
「三日ならまだ余裕の範囲だろ」
『知らんけど、会話の途中で消えるな』
亮平は、何日なら正解だとも、小森がどう思っているとも、言わなかった。言えなかった。ただ、途中で消えるな、とだけ言った。
智也は、それを完全には受け入れなかった。無視ではない。返信を、遅らせただけだ。相手の返信を待つのと、自分が返信を止めるのと、その違いに、智也はまだ気づいていなかった。片方は相手の番で、片方は自分の番だった。
電話を切った。小森からのLINEは、それ以上、伸びなかった。
## 5
39日目の夜、小森からLINEが来た。
「この前ありがとうございました。今ちょっとアプリ自体休もうと思ってて」
智也は、その文を読んだ。
責める言葉は、なかった。理由も、細かくは書いていなかった。アプリを休む、とだけ書いてあった。それが、智也との続きもない、ということだと、智也にも分かった。
智也は、何で、とは聞かなかった。いつ再開するんですか、とも、一度だけ会いませんか、とも、聞かなかった。短い返事だけ返して、それ以上は送らなかった。追撃するための沈黙ではなかった。ただ、送るものが、なかった。
表を開いて、小森由衣の6を、0に直した。面会一回。再会、なし。小森とのやり取りに使った金も、なかった。
智也は、小森がなぜ終わらせたのかを、正確には知らなかった。理由はいくつもあったのかもしれないし、一つだったのかもしれない。どちらにしても、智也には確かめようがなかった。だから、一つに畳んだ。
余裕を、雑にやったから、失敗した。
清潔感は、入口になった。聞くのも、少し効いた。余裕は、失敗した。それでもSEXは、0。三つ足して、0だった。
智也は、外見も、会話も、余裕も試したことになった。次に足りないものは、その外側にあるはずだった。会話の中身ではなく、もっと分かりやすい、目に見える条件。
九十日のうち、三十九日が過ぎていた。半分近かった。
智也は、次に何を積めばいいかを考えた。年収は、九十日では上がらない。ただ、金を使うことなら、明日からでもできた。




