第九章 日常
「ねぇねぇ、さっきの僕どうだった?」
どうやら敬語モードは終了したらしい。
「それより」
セレナは歩きながら尋ねる。
「どうして私の副官なんですか?」
リコはぱちぱちと瞬きをした。
まるで質問の意味が分からないと言いたげな顔だった。
しばらく歩いてから、
ようやく口を開く。
「だってセレナちゃんがいるのに?」
「は?」
「セレナちゃんが一番頼りになるもん」
あまりにも当然の口調だった。
セレナの足が一瞬だけ止まる。
「……そうですか」
「だーかーらー」
リコはその隙に前へ回り込んだ。
少し身を屈める。
下から覗き込むように顔を近付けた。
「僕、どうだったの?」
立ち止まらざるを得なくなったセレナは少し考える。
「あー……」
「その、よく頑張っていました」
「えへへ~」
リコが嬉しそうに笑う。
「もっと褒めてよ~」
「……」
セレナは本気で困った。
「僕、すごく頑張ったんだよ?」
「はいはい」
「お疲れ様でした」
ほとんど反射的な返事だった。
だがリコはまだ満足していないらしい。
じーっと見上げ続けている。
そのまま数秒。
妙な睨み合いが続いた。
先に折れたのはセレナだった。
視線を逸らしながら手を伸ばす。
そして銀色の髪を軽く撫でた。
「本当に頑張りましたね」
「予想よりずっと良かったです」
その瞬間。
リコの顔に満面の笑みが咲いた。
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執務室。
『三』と書かれた扉を開けた瞬間だった。
隊員たちが一斉に集まってくる。
「隊長、お疲れ様でした!」
杖使いの女性隊員。
「会議、どう?」
盾役の大男。
ジャケットを受け取ったのはユウトだった。
残りの隊員たちも次々と話しかけてくる。
……誰だったっけ。
リコは少し考えた。
やっぱり思い出せなかった。
「今からその話をします」
セレナが言うと、
室内は静かになった。
隊員たちを見回してから告げる。
「評議会の決定により」
「本日付でリコが副官になります」
「どうもー」
リコは片手をひらひら振った。
「よろしくねー」
だが。
隊員たちはまだ理解が追いついていなかった。
互いに顔を見合わせる。
そして。
「副官ってありましたっけ?」
ユウトが手を挙げた。
「なかったよね?」
同年代くらいの女性隊員が首を傾げる。
「うん」
杖使いが断言した。
「少なくとも私たちの隊にはなかった」
「というか管理局全体でも聞いたことないな」
「副官って何するんだ?」
「隊長の仕事手伝うとか?」
「隊長がいない時に指揮するとか?」
「隊長ー私も副官欲しいです」
「局長か部長の許可が出ればいいんじゃないですか?」
セレナは半分本気で答えた。
「じゃあ僕、ルシア先輩の副官申請してきます」
ユウトが即座に言う。
「やめて」
杖使い――ルシアが即答した。
そしてセレナの後ろへ避難する。
「どうせ余計な仕事増やすだけでしょ」
あ、ルシアってこの人か
リコは今さら理解した。
そして。
室内に笑い声が広がった。
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その後。
毎日アルカードを追跡して。
魔王の手掛かりを探して。
そんな毎日。
……ではない。
むしろ毎日普通に仕事だった。
「いやまあ」
ユウトは肩を竦める。
「確かに最優先任務ですけど……」
「でも手掛かりゼロですし」
「だからって他の仕事がなくなるわけじゃないんです」
なるほど。
リコは素直に納得した。
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そんな日々がしばらく続いた頃には、
リコも副官の仕事に少しずつ慣れていた。
もちろん。
第三隊特別仕様の副官である。
毎朝セレナと一緒に電車で管理局へ行き。
午前中はユウトと、
あの同期の女の子が二人で巡回へ出ていく。
それを見送るのも、
もう日課になっていた。
うん。
フィナ。
もうちゃんと覚えた。
前みたいな失敗はしない。
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「フィナのこの報告書ですけど」
セレナは書類を差し出した。
「差し戻してください」
リコは素直に受け取る。
だが。
なかなか部屋から出て行かない。
セレナはようやく書類から顔を上げた。
「どうしました?」
「その……」
リコは書類を見た。
そして聞いた。
「フィナって誰だっけ?」
「…………」
セレナはしばらく黙った。
それから口を開く。
「あのですね」
「もう一週間いるんですよ?」
「そうだけど……」
リコは困ったように頭を掻いた。
「でも人間の名前って難しいんだもん」
「ユウトの向かいに座っている」
「金髪の子です」
「あっ!」
リコが顔を上げる。
「昨日ユウト君とプリンの取り合いしてた子!」
「分かった!」
「どうしてユウトの名前だけは最初から覚えているんですか……」
セレナは額を押さえた。
「え?」
リコは首を傾げる。
「だってユウト君は覚えやすいし……」
セレナには、
その記憶基準が最後まで理解できなかった。
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セレナの書類仕事を手伝って。
昼食も終わって。
午後は女子会の時間だった。
「ユウトって絶対ルシア姉のこと好きだよね?」
フィナが向かいの女性を指差した。
赤い短髪の隊員。
ルシアである。
「はぁ!?」
ルシアは慌てて両手を振った。
「ないないない!」
「ユウトはまだ子供でしょ?」
「弟みたいなものだよ」
「ただお姉さん扱いされてるだけだって!」
「えー?」
フィナは納得していない。
「だってさぁ」
「ユウトって何かあるとすぐルシア姉の話するじゃん?」
「絶対好きでしょ」
そして標的を変えた。
「隊長はどう思います?」
セレナは真面目に考えた。
数秒。
そして結論を出す。
「分かりません」
「私は兄弟もいませんし」
「恋人がいたこともありませんから」
「分析材料がありません」
「えぇー!?」
フィナが目を丸くする。
「隊長って優しいし!」
「綺麗だし!」
「絶対モテるじゃないですか!」
「うん」
黙々とお菓子を食べていたリコが、
何でもないことのように言った。
「僕も好きだよ」
「「「え?」」」
全員の動きが止まった。
ただ一人。
セレナだけは平然としていた。
「いや」
「たぶんリコの言ってる好きは違うやつです」
冷静だった。
「違う好きって何?」
リコが首を傾げる。
今度こそ、
全滅だった。
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午後になると、
今度は第三隊の当番時間だった。
当番というのは、
緊急案件への対応である。
だからセレナと一緒にいる時間は少ない。
隊員たちとあちこち走り回ることになる。
もっとも。
リコからすると、
あまり緊急には見えなかった。
例えば――
ガレスと一緒に万引き事件へ向かっている時。
「ねぇ」
「万引きって何?」
助手席からリコが聞いた。
運転席のガレスが答える。
「盗みだ」
「じゃあ盗みって言えばいいじゃん」
ガレスは少し考えた。
そして。
「さぁ……」
そう言って運転へ戻った。
相変わらずだった。
この人は盾を持っていなくても岩みたいである。
一言で答えられない話題になると、
大体最後は黙る。
しかも近くに女性がいるほど悪化する。
この前、
ユウトやノエルと一緒の時は、
普通に喋っているのに。
たまには寒い冗談まで言うくせに。
その点、
リコはユウトやノエルと組む方が好きだった。
特にノエル。
あの金髪イケメンは本当に万能だった。
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「これが緊急じゃないってどういうことだい!?」
お婆さんが怒鳴った。
「魔力供給が十二回も止まったんだよ!」
「十二回だよ!?」
「卵も肉も全部駄目になったんだからね!」
リコは困ったように頭を掻く。
そしてノエルを見る。
「でもこういうのってさ」
「セレナちゃんが一般窓口案件だって言ってなかった?」
その後、
ノエルが何を話したのかリコにはよく分からなかった。
専門用語ばかりだったからだ。
たぶん現代魔導技術の話だろう。
たぶん。
帰り道。
ノエルはお婆さんから貰ったプリンを差し出した。
「リコ、これ好きでしょ?」
「僕がパン屋を開いたら、
毎日食べに来ていいからね」
「うん!ありがとう~」
リコは嬉しそうに受け取ると、
その場でプリンを食べ始めた。
そしてスプーンを動かしながら尋ねる。
「それで結局、何て説明したの?」
「全然分からなかったんだけど」
ノエルはいつもの笑顔だった。
「いや、僕もよく分かってないんだけどね」
「え?」
スプーンが止まる。
「だってさ」
「こういう時って解決策が欲しいわけじゃないことも多いし」
「そもそも僕たちじゃ解決できないしね」
そこで指を鳴らした。
「だからそういう時は」
「気持ちよく喋ってもらえばいいんだよ」
「ふーん……」
よく分からなかった。
でも。
事件は解決していた。
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夕方になると、
当番は別の隊へ引き継がれる。
そうなると執務室へ戻る時間だった。
もしセレナが先に戻っていれば。
必ず。
「お疲れ様でした」
と言ってもらえる。
それだけで、
半日走り回った疲れが少し軽くなった。
逆に。
自分の方が早く帰った時は違う。
扉が開く瞬間を待ち構えて。
「隊長ちゃん、おかえり~!」
と叫ぶ。
最初は皆でやっていた。
だが毎日の抗議の結果。
今ではまずリコが叫び、
その後で皆が
「隊長、お疲れ様です」
と言う流れになっていた。
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やがて皆が帰る。
執務室には二人だけが残る。
残業の時間だった。
書類は山ほどある。
終わらなければ持ち帰り。
家に積まれている書類も、
きっとこうやって増えたのだろう。
セレナの隣に座って。
ペンを握って。
書類と戦う。
それはリコにとって、
一日の中でも一番好きな時間だった。
いや。
それ以上に好きな時間があった。
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終電で家へ帰る時間。
少しずつ増えていく生活の痕跡を見る時間。
自分の歯ブラシが、
セレナのコップを占領している。
ベッドの横には新しいぬいぐるみ。
昔みたいな、
飾り気のない青黒いネグリジェじゃない。
セレナと一緒に選んだ、
可愛いフリル付きのパジャマだ。
そして。
灯りを消す前。
お互いに。
「おやすみ」
と言い合う瞬間。




