第八章 会議
蝉の鳴き声が聞こえる。
セレナはゆっくりと腕を持ち上げた。
痺れている。
どうやら腕を枕にしたまま寝てしまっていたらしい。
そして気付く。
本来ならまだ眠っているはずの銀髪の少女が、
すぐ傍で自分をじっと見つめていた。
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「……」
「……」
数秒間。
二人は無言のまま見つめ合った。
先に口を開いたのはセレナだった。
「ようやく起きましたか」
「うん」
「起きたよ」
リコは頷く。
「丸一日寝ていたんですよ」
「じゃあセレナちゃんも丸一日ここにいたの?」
セレナはさっと視線を逸らした。
「そんなわけないでしょう」
「管理局の仕事だってあるんですから」
「へぇ~?」
リコがわざとらしく声を伸ばす。
「つまりぃ~」
「仕事してない時はずっとここにいたんだ?」
「違います」
即答だった。
そして強引に話題を変える。
「というか、なんでずっと私を見ていたんですか?」
「だってさ」
リコは少しだけ視線を落とした。
「嫌な夢を見ちゃったから」
「……は?」
セレナは再びリコを見る。
冗談を言っている顔ではなかった。
「どんな夢ですか?」
「んー」
リコは少し考える。
「好きな人がいなくなっちゃう夢かな」
その瞬間。
セレナの動きが止まった。
完全に固まった。
数秒後。
リコは何事もなかったように笑う。
「ま、そんなことより」
「おはよう、セレナちゃん」
「あ……」
「……おはようございます」
返事は妙にぎこちなかった。
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白い天井。
広い部屋。
薄い青色の毛布。
そして自分が着ている、
青と白の縞模様の病衣。
何より、
どこを見ても書類らしいものが存在しない。
周囲を観察していたリコが、
ふと思い出したように尋ねた。
「そういえば」
「ここどこ?」
「医療部です」
セレナは簡潔に答える。
「結局、医療官の出番はありませんでしたけどね」
「まあ僕は吸血鬼だしね」
リコはそう言った。
その言葉だけ、
少し寂しそうに聞こえた。
「それで?」
セレナは話を戻す。
「もう大丈夫なんですか?」
「もちろん!」
リコは勢いよくベッドから飛び降りた。
そのままセレナへ抱きつく。
「見ての通り!」
「ちょっ――」
「離してください!」
突然の襲撃にセレナは慌てて抵抗する。
「というかあなた」
「なんだか急に距離感おかしくなってません?」
「だから言ったじゃん」
リコは当然のように答えた。
「嫌な夢見たんだって」
「それぜんぜん理由になってないでしょう!」
その時だった。
ガラッ。
病室の扉が開く。
「隊長――」
そこまで言って、
ユウトは固まった。
数秒。
静かに扉を閉める。
そして。
コンコン。
「隊長」
「報告です」
ようやくリコを引き剥がしたセレナが咳払いする。
「こほん」
「どうぞ」
扉が開いた。
「部長からの伝言です」
「もし真祖が目を覚ましたら――」
ユウトは言いかけて、
ちらりとリコを見る。
そして視線を逸らした。
「……いえ」
「どうやら、もう起きているようですね」
「真祖を連れて評議室へ来るようにとのことです」
「真祖およびアルカード事件に関する事情聴取のためです」
「分かりました」
セレナは頷く。
だがリコは首を傾げた。
「え?」
「僕も行くの?」
「むしろリコさんがメインでしょう」
ユウトは思わず即答した。
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管理局最上階。
同じ金属張りの通路だった。
だが医療部の階よりもずっと広い。
そして上へ行くほど、
人の姿は少なくなっていく。
やがて。
二人は巨大な両開きの扉の前へ辿り着いた。
そこにはもう誰もいない。
通行人も。
向けられる視線も。
遠くで聞こえていた囁き声さえも。
完全に消えていた。
本来なら、
セレナが足を踏み入れる機会などない場所。
評議室。
――その向かい側の階段ホールで、
セレナは銀髪の少女へ言い聞かせていた。
「いいですか」
「中に入ったら敬語を使ってください」
「えぇー……」
露骨に嫌そうな顔。
「できれば、その『僕』もやめてください」
「なんでさ」
今度は頬を膨らませる。
「あと、人間の血は美味しいとか絶対に言わないでください」
「はーい……」
全然納得していない返事だった。
「何か不満があるなら」
「会議が終わってから私へ言ってください」
「むぅ……」
セレナは少し考える。
他に何か言い忘れていただろうか。
特に思い当たらなかったので、
評議室へ向かおうとした。
その時。
「分かってるって」
リコが口を開く。
「セレナちゃんに迷惑かけたりしないから」
それはそうなのだが。
本当に面倒になるのは、
どちらかと言えば本人の方である。
だがセレナは説明しなかった。
「そうですか」
短く答える。
そして扉の前へ立った。
すると。
「まあ」
リコが独り言みたいに続ける。
「美味しそうな匂いがするの、
セレナちゃんだけなんだけどね」
セレナの動きが止まった。
一瞬だけ。
「余計な情報です」
本人はそう評価した。
そして少しだけ慌てた動作で扉をノックした。
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「第三隊隊長、セレナ・ヴェイン」
名乗る。
そして一拍置いてから続けた。
「ならびに真祖リコです」
「入りなさい」
返ってきたのは女性の声だった。
年齢は感じさせる。
だが威厳も決断力も失われていない声だった。
扉が開く。
広い会議室。
そして室内の大半を占める、
巨大な大理石の長机。
セレナは平然と敬礼する。
そのまま机の末席へ移動し、
背筋を伸ばして立った。
その後ろで。
リコも見よう見まねの敬礼をする。
少し形は怪しかったが、
一応それらしくは見えた。
そしてセレナの後ろへ立つ。
その間もずっと。
視線を感じていた。
品定めするような視線。
おそらく全員から向けられている。
中でも最も圧迫感があったのは――
長机の最奥に座る女性だった。
六十代後半だろうか。
短く切り揃えられた白髪。
鋭い眼光。
そして。
魔力。
リコはほとんど一瞬で察した。
この人、
たぶん僕と同じくらい強い。
悟られないように視線を落とす。
机の名札。
そこにはこう書かれていた。
『局長 ミレイア・クロフォード』
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最初に口を開いたのは局長ではなかった。
局長の右隣に座る老人だった。
名札には監察部長とある。
「第三隊隊長、セレナ・ヴェイン君だったな」
老人は手元の資料を確認する。
「まずは先日の教団掃討作戦における功績へ感謝を述べておこう」
そこで言葉が変わった。
「だが——」
「真祖覚醒の隠蔽」
「その後の独断保護、及び独断同行」
「これらについて何か弁明はあるかね?」
「はい」
セレナは即答した。
一歩前へ出る。
「真祖リコを発見した当日、
教団の襲撃が発生しました」
「彼女は市民を救助する過程で負傷しています」
「そのため私は、」
「彼女の保護を優先すべき――」
「君の判断でかね?」
老人が途中で遮った。
「つまり、」
「一介の隊長に過ぎない君が」
「真祖の処遇を」
「独断で決めたということだろう?」
その時。
反対側に座る男が口を挟んだ。
ペンをタバコみたいに指で挟みながら。
「現場判断を尊重する」
「それが当部の一貫した方針です。」
行動部長。
グラント・レイヴン。
名札にはそう書かれていた。
監察部長は不満そうに机を二度叩く。
「では翌日はどうだ?」
「それも現場判断かね?」
「なぜ直ちに報告しなかった?」
セレナは落ち着いたまま答える。
「報告書は作成中でした」
「同日に発生したアルカード事件への対応で提出が遅れただけです」
「提出自体は翌朝には完了しています」
アルカード。
その名が出た瞬間だった。
会議室の空気が、
わずかに変わった。
「もういいでしょう」
ついに局長が口を開いた。
「ルールの話はここまで」
そして視線をリコへ向ける。
「では真祖さん本人に聞きましょう」
その一言で、
評議室中の視線が一斉に集まった。
「君は人類に対して敵意を持っていない」
「我々はそう理解しても構いませんか?」
「人類に対して敵意?」
リコはぱちぱちと瞬きをした。
「どうしてそんな風にまとめるんですか?」
沈黙。
「どの種族にも良い人と悪い人がいる…います」
そう口にした瞬間、
脳裏を過ったのは六百年の歳月ではなかった。
夢の中にしか存在しない、
あの小さな村だった。
「その全員と友達になるか」
「その全員を敵にするか」
「僕には、それは極端過ぎると思います」
頭の中に浮かんだ光景を振り払いながら、
リコは続ける。
再び沈黙が落ちた。
セレナもまた、
皆と一緒に黙っていた。
相変わらず『僕』は直っていない。
敬語も少し怪しい。
それでも。
あいつ、
本当にちゃんと聞いていたんですね。
――いや。
感心している場合ではない。
今の発言、
普通に危険すぎませんか?
しかしミレイアはまるで気にした様子もなかった。
「では質問を変えましょう」
「この国にとって」
「管理局にとって」
「あなたは味方になれますか?」
リコは少し考えた。
「正直なところ」
「この国のことも」
「管理局のことも」
「僕はまだよく知りません」
そこで言葉を選ぶように一瞬止まる。
「無理に言うなら――」
「僕はセレナ隊長の味方だ…す」
セレナは周囲の誰よりも黙った。
いや。
それ普通に問題発言では?
だがミレイアは頷くだけだった。
「それでも構いません」
そして次の質問を投げる。
「ではアルカードについて」
「何か心当たりがありますか?」
リコは長く考え込んだ。
そしてゆっくり口を開く。
「あの人はたぶん悪い人じゃ——」
途中で言葉を止めた。
敬語を思い出したらしい。
「悪人ではないと思います」
少し間を置いて続ける。
「ただ、少し馬鹿なだけです」
沈黙。
そして。
評議室が一気に騒がしくなった。
「どういう評価だ!?」
「今回の事件で何人死んだと思っている!」
「本当にこいつを信用して大丈夫なのか!?」
ミレイアが手を上げる。
それだけで場は静まった。
「つまり」
「君はアルカードの側には立たない」
「そう理解していいですね?」
彼女は確認するように言った。
「もちろんだ」
リコは反射的に答えた。
敬語であることすら忘れていた。
ミレイアは満足そうに頷く。
「では聞きます」
「アルカードの拘束に協力する意思はありますか?」
「また、対抗策となり得る情報は?」
「情報は特にありません」
リコは即答した。
「あの人は、本当に強かったです」
その言葉だけは少し重かった。
先日の戦闘を思い出したのだろう。
だが。
次に顔を上げた時には、
目も声も真っ直ぐだった。
「でも」
「個人的にも、
あの人は止めたいと思っています」
「よろしい」
ミレイアは即座に答えた。
「ならば特別戦力として行動部へ配属しましょう」
「待遇はレイヴン部長と同格」
「それで問題ありませんね?」
「いえ、それより……」
リコは手を挙げた。
「できればセレナ隊長の副官がいいです」
評議室が静まり返る。
リコは気にせず続けた。
「その代わり」
「セレナちゃ……隊長の命令なら全部聞きます」
ミレイアの視線が順番に動く。
リコ。
グラント。
そしてセレナ。
リコは期待したように瞬きをしている。
グラントは局長と目が合うと、
小さく頷いた。
セレナは――
完全に固まっていた。
思考停止そのものだった。
「いいでしょう」
ミレイアは立ち上がる。
「許可します」
そして評議室全体を見渡した。
「これより管理局特級優先任務を発令します」
「対象――アルカード」
「拘束せよ」
「はい!」
声が揃う。
「はーい」
緊張感の欠片もない返事が混ざる。
「…………」
そして一人だけ、
最後まで状況を理解できていない者もいた。




