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第七章 小村

  秋だった。


  目の前の小川を風が吹き抜けていく。


  小川の向こうには広い畑が広がっていた。


  いや。


  昔はそうだった。


  今はただ、

  雑草だけが生い茂る場所になっている。


  ----------------


  僕はあの子供たちが嫌いだった。


  石を投げてきて、

  僕が逃げ回るのを見て笑うから。


  僕はあのおじさんたちも嫌いだった。


  いつも母さんに絡んできて、

  困らせてばかりいたから。

  母さんは家に帰ると一晩中泣いていた。


  僕はあのおばさんたちも嫌いだった。


  色んな理屈を並べて、

  僕たちの家に配られる小麦をどんどん減らしていくから。


  どうして。


  どうして僕だけ父さんがいないんだろう。


  聞いても母さんは決まってこう言う。


  『お父さんはね、王様の騎士なのよ』


  『だから、みんなを守るために戦っているの』


  僕は――戦いが嫌いだった。


  この村も嫌いだった。


  そして何より、

  自分自身が嫌いだった。


  母さんを守れないし。

  あのおじさんたちみたいに野原で蛇も捕まえられないし。

  配給の黒パンを奪い返すこともできないし。

  

  僕には何もできなかった。


  ----------------


  「やっぱりここにいた」


  後ろから声がした。


  いつもと同じ優しい声。


  謎解きの答えを見つけたみたいな笑い方。


  ■■■お姉ちゃんだった。


  お姉ちゃんは僕の頭を撫でる。


  そして籠を差し出した。


  「これ、持って帰ってお母さんと食べなさい」


  中にはいつもの黒パンが入っていた。


  「でも、お姉ちゃん赤ちゃん産まれたばっかりでしょ?」


  僕は少し迷ってから聞いた。


  「大丈夫なの?」


  お姉ちゃんは笑った。


  「大丈夫だよ」


  「家にはまだあるから」


  それからもう一度頭を撫でる。


  「アルカード君は優しいね」


  僕は得意げに言った。


  「父さんが帰ってきたらね!」


  「お姉ちゃんにいっぱいお金あげるんだ!」


  「赤ちゃんも貴族になれるくらい!」


  「うん」


  お姉ちゃんは楽しそうに笑う。


  「その時はよろしくね、アルカード君」


  ■■■お姉ちゃんは、

  村の中でたった一人だけ好きな人だった。


  母さんよりも好きだった。


  ----------------


  春だった。


  雪は溶け、

  陽射しは暖かくなっていた。

  

  小川の氷もとっくになくなっている。


  僕はお姉ちゃんの手を引いて走っていた。


  「ちょ、ちょっと待って」


  「まだ田植え終わってないんだけど?」


  そう言いながらも、

  お姉ちゃんは笑っていた。


  「もう田植えなんてしなくていいんだよ!」


  僕は叫ぶ。


  「えー?」


  「アルカード君、宝物でも見つけたの?」


  僕は答えない。


  そのまま丘の上まで走った。


  そして遠くを指差す。


  「ほら!」


  「騎士団だ!」


  「きっと父さんが帰ってきたんだ!」


  地平線の向こう。


  街道を軍勢が進んでいた。


  無数の旗。


  先頭の騎士の銀鎧が、

  太陽の光を反射して輝いている。


  その時だった。


  「違う」


  お姉ちゃんの声が震えた。


  「……あれは違う」


  僕は驚いて振り返る。


  お姉ちゃんは真っ青な顔をしていた。


  「よく聞いて」


  お姉ちゃんはしゃがみ込む。


  僕の肩を掴んだ。


  「いい?」


  「絶対にここに隠れてて」


  「すぐ戻るから」


  「お母さんも」


  「お兄ちゃんも」


  「赤ん坊も連れて来るから」


  お兄ちゃんは、

  お姉ちゃんの大好きな人だ。


  僕はよく分からないまま頷いた。


  そして草むらの中へ潜り込んだ。


  ----------------


  でも。


  お姉ちゃんは来なかった。


  日が沈んでも。


  村に松明が灯っても。

  

  松明の列が村を出て行った後も。


  来なかった。


  朝日がもう一度丘を照らした時。


  僕は村へ戻ることにした。


  お姉ちゃんを探しに。


  でも。


  村にはもう何も残っていなかった。


  嫌いだった子供たちは消えていた。

  どこにもいなかった。


  嫌いだったおじさんたちは地面に転がっていた。

  もう二度と母さんを泣かせない。


  嫌いだったおばさんたちもいた。

  青あざだらけの身体で、

  穀物庫の中に倒れていた。


  母さんもいた。

  他のおばさんたちの間で、

  静かに横たわっていた。


  お姉ちゃんもいた。

  母さんのすぐ隣に。

  目を閉じてすらいなかった。


  何度呼んでも。

  何度揺すっても。

  あの優しい声は返ってこなかった。


  これが――

  騎士の仕事なのだろうか。


  父さんも、

  毎日このようなことをしているのだろうか。


  母さんが言っていた。

  『みんなを守るために戦っている』


  ――それが、

  これなのか。


  僕は。

  戦いを憎んだ。


  ----------------


  自分の力に気付いたのは、

  それからずっと後のことだった。


  騎士団は一つずつ灰になった。

  宮廷魔術師たちも。

  山賊も盗賊も。


  そして王たちが。

  領主たちが。

  族長たちが。

  一人ずつ僕の前に跪くようになったのは、

  さらにその後のことだった。


  僕が与えた命令は一つだけ。


  『奪う者には死を』


  『傷付ける者には死を』


  『未遂であっても同罪とする』


  彼らは震えながら頷いた。


  誓った。


  命に代えても従うと。


  城から帰っていく彼らの背中を見送りながら、

  僕は確信していた。


  ようやく。


  ようやく。


  僕が憎んだ戦争は、


  この世から消えるのだと。


  ----------------


  僕は毎日天守に籠もった。


  研究した。


  試した。


  不老不死を得た。


  違う。


  使い魔を自在に生み出せる契約の書を完成させた。


  少し近い。


  そして――


  ついにその日が来た。


  自分の血から魂の情報を抽出し、

  再現する方法を見つけた。


  成功だった。


  血を求めるようになるらしい。


  構わない。


  形式上は僕の使い魔になるらしい。


  構わない。


  どれだけ時間が過ぎていたとしても。


  構わない。


  あの懐かしい顔が。


  あの優しい顔が。


  もう一度目を開いてくれた時。


  僕は本当に思った。


  何もかも、


  構わないと。


  最初の吸血姫が生まれた。


  違う。


  そんなこともどうでもよかった。


  大事なのは――


  お姉ちゃんが帰ってきてくれたことだった。


  ----------------


  それから。


  献上された宝石も。

  各地から呼び寄せた料理人も。

  みんな、お姉ちゃんに贈った。


  吸血鬼もたくさん作った。


  見目麗しい男も。

  美しい女も。


  記憶の中のお兄ちゃんに似せた者も。

  小さかった赤ん坊に似せた者も。


  だけど。


  お姉ちゃんは。


  一度も。


  あの頃みたいには笑ってくれなかった。


  ----------------


  夢の最後に残ったのは。


  たった一言だった。


  「アルカード君」


  「それは違うよ……」


  その眼差しは、

  あまりにも複雑だった。


  安心したようで。

  

  悲しいようで。


  優しくて。

  

  寂しくて。


  苦しくて。

  

  それでも温かかった。


  まるで。


  人が持つ感情のすべてが、

  その眼差しに宿っているみたいだった。


  ----------------


  リコは勢いよく目を開いた。


  白い天井が視界に映る。


  それでも。


  あの眼差しが消えない。


  窓の外では蝉が鳴いている。


  それでも。


  あの声が頭から離れない。


  長い沈黙の後。


  リコは苦笑した。


  「そっか……」


  「死者を蘇らせたって話すら、

  本当だったんだね……」


  そして。


  さらにしばらくして。


  リコはそっと身体を寄せた。


  ベッドの傍らでは、

  セレナが椅子に突っ伏したまま眠っていた。


  その温もりへ近付くように。


  少しだけ距離を縮めて。


  リコは再び目を閉じた。

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