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第五章 伝説

  「あの……それってそんなに大事なことなの?」

  

  助手席に座ったリコが首を傾げた。


  「ええ」

  

  セレナは車を限界近い速度で走らせながら答える。

  

  「指定封印地で何か起きた場合は、最優先で対応しなければなりません」


  「休暇中でも?」


  セレナは小さくため息をついた。

  

  「休暇中でもです」


  「あれ?」

  

  リコはふと思い出したように言う。

  

  「そういえば昨日会った時も、指定封印地がどうとか言ってなかった?」


  「言いましたね」

  

  セレナは頷いた。

  

  「教団員出没の通報があったので向かったんです」


  リコの頭上に疑問符が浮かぶ。


  それを見てセレナが補足した。

  

  「教団というのは、昨日の黒ローブ集団のことです」


  「ああ、あいつらか」

  

  リコは昨夜の襲撃を思い出す。

  

  「でも結局、あの人たち何がしたいの?」

  

  「なんかもう、目的もなく暴れてるようにしか見えなかったけど」


  「知りませんよ」

  

  セレナは露骨に嫌そうな顔をした。

  

  「あの連中、毎日のように『この国もう終わりだ』だの何だの叫んでますからね」

  

  「理解する気もありませんし、理解したいとも思いません」


  ----------------


  指定封印地第九号。


  外見だけなら、ただの朽ちかけた修道院だった。

  

  先ほどまで空を染めていた魔法陣の光は、すでに消えている。


  路肩には数台の管理局緊急車両が停まっていた。

  

  拘束された黒ローブの男たちが、一人ずつ車内へ連行されていく。


  その光景を見て、リコは拍子抜けしたような顔になった。

  

  「セレナちゃん?」

  

  「これ、本当にそんな大事件だったの?」


  だって。

  

  二人とも服の裾一つ汚していない。

  

  それで全部終わってしまったのだから。


  「深刻なのは、ここが指定封印地だからです」

  

  セレナはそう答えた。

  

  「指定封印地が立入禁止区域になっているのには、それぞれ理由があります」


  そこで一度だけリコを見る。


  十四号みたいに。

  あなたみたいな規格外が封印されていた場所もありますからね。

  ――そんな視線だった。


  リコの目が輝く。


  じゃあここには何が入ってるの?

  ――そんな目だった。


  セレナは肩を竦める。

  

  「知りません」

  

  「そこから先は機密です」

  

  「それに、生物とは限りませんしね」

  

  「魔法陣かもしれませんし、宝具かもしれません」

  

  「何が封印されていても不思議じゃありません」


  「へぇ~」

  

  リコは感心したように頷く。

  

  「なんかガチャみたいだね」


  つい先ほどショッピングモールで覚えたばかりの単語だった。


  「そのガチャで散々お金を使わせた人が何を言ってるんですか」

  

  どうやらその単語を覚える過程で、色々あったらしい。


  だが。

  

  二人はすぐに本物のガチャを開けることになる。


  修道院が――

  

  目の前で崩壊した。


  瓦礫の中から、一人の男が姿を現した。


  いや。

  

  男というより、少年と呼ぶ方が相応しい。


  見た目だけなら高校生くらいだろう。

  短く整えられた髪。

  緑色の瞳には爽やかな笑みが浮かんでいた。

  

  身に纏っているのは古代貴族を思わせる礼装。

  ゆったりとした袖。

  深い色合いの生地。

  そこへ暗い金糸で家紋のような意匠が刺繍されている。


  仮に戦場のど真ん中へ放り込まれたとしても。

  誰も敵兵だとは思わないだろう。

  道に迷った一般市民だと考えるはずだ。


  だが。

  

  リコは即座にセレナの腕を掴んだ。

  

  前へ出ようとした彼女を引き止める。


  そして自分の背後へ押しやった。

  

  同時に旋刃が解放される。

  

  無数の刃が二人の周囲を旋回した。


  セレナが何かを尋ねようと口を開く。


  しかし、その前に。

  

  異変が起きた。


  ドォンッ――!


  空間そのものが歪む。

  

  圧倒的な魔力の嵐だった。


  血の盾の内側にいてなお、

  何も聞こえない。

  

  耳に残るのは爆発の残響だけ。


  やがて血盾が霧散し、

  魔力の奔流も静まっていく。


  視界が戻った時。

  

  先ほどまで少年に接近していた管理局職員たちは全員地面に倒れていた。

  

  生きているのか死んでいるのかも分からない。


  路肩に停車していた車両も同じだった。

  

  シールドを備えた管理局車両も、

  一般の民間車両も。

  まるで区別などないかのように、

  等しく残骸と化していた。


  「武器を持ったまま、たった今目を覚ました人間に近付いてくるなんて」

  

  少年は遠くに立つ二人の少女へ視線を向けた。


  そして軽く手を振る。

  

  「ちょっと酷くない?」

  

  「君たちもそう思うだろう?」


  だが。

  

  セレナもリコも返事をしなかった。


  耳鳴りが続いている。

  

  視界にも先ほどの閃光の残滓が焼き付いていた。


  「ん?」

  

  少年は首を傾げる。

  

  「無視?」


  緑色の瞳には相変わらず笑みが浮かんでいた。

  

  だが、その奥には冷たいものが見え隠れしている。

  

  「今の人間はどうなっているんだろうね」


  次の瞬間。

  

  少年の身体がふわりと浮かび上がった。


  翼はない。

  それなのに。

  まるで当然のように空へ昇っていく。


  ----------------


  セレナは硬い表情のまま携帯端末を操作した。


  増援要請。

  

  そして第三隊への緊急招集。


  必要な指示を一通り飛ばしたあと、

  隣のリコへ視線を向ける。


  「知っているんですか?」

  

  「あの人物を」


  「知ってるっていうよりは」

  

  リコは小さく首を振った。

  

  「聞いたことがある、かな」


  その声はどこか不自然に明るい。

  

  「その顔も」

  

  「あの家紋も」

  

  「伝承に出てくる人物とそっくりだ」


  セレナは黙って続きを待った。


  リコは言う。

  

  「吸血鬼を作った男」


  数秒。

  

  セレナの思考が止まる。

  

  「……吸血鬼を」

  

  「作った?」


  日本語としては理解できる。

  

  意味が理解できないだけだった。


  「うん」

  

  リコは空を見上げた。

  

  「セレナちゃんって、勇者と魔王の話は知ってる?」


  「は?」

  

  話題が飛んだ。


  「勇者が聖剣を持って魔王を倒す、あの話ですか?」


  「そうそう」

  

  リコは気軽に頷く。


  「伝説によれば、あいつがその魔王」

  

  「千年前に世界へ君臨した魔王」

  

  「吸血鬼っていう種族も、その時に作られたらしいよ」


  セレナは思わず頭を振った。


  さっきの爆発で頭でも打ったのだろうか。

  

  聞こえてくる話が全部夢物語だった。


  そして。

  

  一つの違和感に気付く。


  「待ってください」


  「千年前?」

  

  セレナは眉をひそめた。

  

  「あなた、自分は六百歳くらいだと言っていませんでしたか?」


  「ああ」

  

  リコはあっさり頷く。


  「だから僕も直接知ってるわけじゃないよ」

  

  「伝説として聞いたことがあるだけ」


  そして指を折りながら数える。

  

  「空を自由に飛ぶとか」

  

  「吸血鬼を絶対服従させられるとか」

  

  「本気を出したら太陽を落とせるとか」

  

  「死者を蘇らせられるとか」

  

  「そんな感じ」


  セレナは即座に突っ込んだ。

  

  「後半はどう考えても誇張ですよね?」


  ----------------


  太陽は少しずつ西へ傾いていた。


  けたたましい警報音を鳴らしながら、

  管理局車両が街路を疾走する。


  窓の外の景色が流れて見えなくなるほどの速度だった。

  

  車内は重苦しい沈黙に包まれている。


  聞こえてくるのは、

  通信端末から流れる指令室の声だけ。


  『特一級魔力反応を捕捉!』


  『目標は北西へ移動中!』


  『第二隊、第五十六区より接近開始!』


  報告が入るたびに、

  運転席のユウトが進路を修正する。


  ユウトの手は、気付かないうちに震えていた。


  目的地は明確だ。

  

  魔王——アルカード。

  

  その現在地。


  「ねぇ、セレナちゃん」

  

  リコが横から身を乗り出した。

  

  「ユウト君の横にあるのって地図?」


  「ええ」

  

  セレナは少し不思議そうな顔をする。


  百年眠っていたとはいえ、

  地図くらいは知っているはずだ。


  「赤く塗られてる場所が指定封印地?」


  「そうです」

  

  セレナは頷いた。

  

  「数字は封印地の管理番号ですね」


  リコは地図を見つめたまま黙る。

  

  「……なんか変だな」


  「変?」


  「位置が」

  

  それだけ言って口を閉じた。


  セレナは続きを促す。

  

  「何がですか?」


  リコは少し考え込んだあと、

  首を横に振った。


  「ううん」

  

  「たぶん気のせい」

  

  「少なくとも今回の件とは関係なさそうだし」

  

  「また時間がある時に話すよ」


  ----------------


  長い森林地帯を抜けた頃には、

  誰もがはっきりと感じ取れるほどになっていた。


  魔王の魔力を。


  指定封印地第一号。


  そこにあったのは一つの孤峰だった。

  

  決して高い山ではない。

  

  だが異様なほど急峻だった。

  

  車両ではとても登れない。

  

  人が登るにしても、

  比較的傾斜の緩やかな一面からしか近付けないだろう。


  そして山頂には。

  

  今にも崩れ落ちそうな天守が残っていた。

  

  辛うじて原形を留めているだけの廃墟。

  

  かつてそこに城が存在したことを示す最後の痕跡だった。


  「――ああ」

  

  リコが目を見開いた。

  

  「ここだったんだ」


  車内の視線が一斉に集まる。


  リコは窓の外を見つめたまま説明した。

  

  「伝説の魔王城跡」

  

  「僕が最後に見た時より、ずいぶんボロボロになってるけどね」


  山道には雑草が生い茂っていた。

  

  そして。

  

  武器を手にした黒ローブの集団が、

  あちこちに配置されている。


  山麓には十台近い巡回車が集結していた。


  各部隊が展開し、

  戦闘準備を進めている。


  第三隊の隊員たちもその中にいた。


  だが。

  

  隊長であるセレナとリコだけは、

  まだ車内に残っていた。


  「ねぇ、セレナちゃん」

  

  リコは山頂の天守を見上げながら言う。

  

  「先、言ってたよね?」

  

  「指定封印地には生物だけじゃなくて、

  武器とか宝具とかが封印されてることもあるって」


  「ええ」

  

  セレナは戦闘服へ着替えながら頷いた。

  

  「それがどうかしましたか?」


  リコは少し考えるように目を細める。

  

  「僕、思ったんだけど」

  

  「どうして復活したばかりの魔王様は、

  どこかへ行かずに真っ先に自分の城へ向かったんだろうね?」


  セレナの手が止まった。

  

  脱いだジーンズを長椅子へ放り投げる。

  

  「……装備ですか?」


  「あるいは道具かな」

  

  投げ渡されたタンクトップを受け取りながら、

  リコは無意識に指先で布を弄ぶ。


  「とにかく」

  

  「僕の予想が当たってるなら、急いだ方がいいと思う」


  「そうですね」

  

  セレナは佩剣を腰へ固定する。

  

  そして力強く頷いた。


  「――あ、そうだ」

  

  リコが思い出したように声を上げる。

  

  「セレナちゃん、これも着けておいて」

  

  「きっと役に立つから」


  投げ渡されたのは首飾りだった。

  

  古風な意匠。

  

  中央にはルビーが嵌め込まれている。

  

  ルビーの中では赤い光が生き物のように揺らめき、

  

  ゆっくりと流れていた。


  「僕が反対側から先に行くね」

  

  「外の黒ローブ集団はセレナちゃんたちに任せるね」


  セレナは反射的に首へ掛けようとして、

  その動きを止めた。

  

  「待ってください」

  

  「今、何て言ったんですか?」


  「伝説の魔王様とやらに会ってこようかなって」

  

  「何を考えてるのか直接聞いた方が早そうだし」

  

  リコは当然のように答えた。


  セレナは眉をひそめる。

  

  「やめてください」

  

  「少なくとも一緒に行動するべきでは?」


  「隊長ちゃんは隊長ちゃんで忙しいでしょ?」

  

  リコは首を傾げる。

  

  「小隊を率いて教団員を制圧しなきゃいけないし」

  

  「その間に魔王様が何か見つけちゃったら困るでしょ?」


  「それでもです」

  

  セレナの声が少しだけ強くなった。

  

  「相手は魔王なんですよ」

  

  「あなた一人では危険です」


  口調は普段通り冷静だった。

  

  だが。

  

  話す速度だけが少し速い。


  リコはそれに気付いているのかいないのか。

  

  にこりと笑う。


  「大丈夫だよ」

  

  「別に倒しに行くわけじゃないし」

  

  「ちょっと時間を稼ぐだけ」


  それから。

  

  いつもの調子で続けた。


  「そんなに心配なら」

  

  「セレナちゃんが早く雑魚を片付けて来てくれればいいじゃん」


  リコは首を傾げながら、

  満面の笑みを浮かべた。


  ----------------


  そして――

  

  戦いが始まった。

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