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第二章 初陣

  夜。


  管理局の紋章が描かれた黒い巡回車が、夜の街道を飛ぶように駆けていた。


  ――いや、飛ぶようにではない。

  比喩ではなく、本当に飛んでいた。


  車体そのものが、

  車底の魔法陣によって地上から五十センチほど浮いている。

  

  リコは、それが起動するまで乗り物だとは思っていなかった。


  窓の外には真っ直ぐな幹線道路が続いている。


  一定間隔で並ぶ街灯が、夜の闇を淡く照らしていた。

  何を動力源にしているのかは分からないが、

  その白い光は昼のような明るさには程遠いものの、道路を見渡すには十分だった。


  車が都市部へ近づくにつれ、道幅は次第に広くなっていく。


  同じように浮遊する車両も増えてきた。

  さらには、道路脇に照明付きの巨大な広告モニターまで現れ始める。


  リコは素直に感心したような声を漏らした。


  「人間って、こんなことまで出来るようになったんだね」


  そこで何かを思い出したように、リコが身を乗り出した。


  「ねぇねぇ、セレナちゃん。さっきの管理局とか暴走体って何なの?」


  隊員たちは思わず顔を見合わせた。

  笑いを堪えるように口元を引き結ぶ。


  運転席のユウトなどは、

  つい吹き出してしまう。


  「ちゃん付けはやめてください!」


  セレナが即座に抗議した。


  リコは不思議そうに首を傾げる。


  「なんで?」


  今度はセレナ以外の全員が笑った。


  セレナは小さくため息をついた。


  どうやら諦めたらしい。


  「まず、今あなたがいる国はアストラ王国です」


  そう言って、自分の腕にはめた端末を軽く持ち上げる。

  続いて車内を示した。


  「そして、この国が誇っているのが世界でも最先端クラスの魔導技術です」


  「なるほど」

  

  リコは小さく唸る。


  「管理局の正式名称は『魔導技術・魔法安全管理局』」


  「簡単に言えば、この国の政府機関ですね」


  少し考えてから、リコは頷いた。


  セレナは説明を続ける。


  「暴走体について説明するには、まず魔導技術そのものの話が必要になります」


  「私たちの魔導技術は、刻印や魔導器によって脳の演算能力を補助し、

  人間が持つわずかな魔力を効率的に引き出す技術です」


  そこまで聞いて。

  リコの赤い瞳がわずかに見開かれた。

  何かに思い至ったらしい。


  セレナは小さく頷く。


  「ええ。たぶん、あなたが想像した通りです」


  そう言うと、少しだけ視線を逸らした。


  「暴走体というのは、その演算処理が安全限界を超えた結果、生まれる存在です」


  「つまり……」


  リコは言葉を探すように口を開く。


  「さっきの、あの二体って……元は人間だったの?」


  その声には隠しきれない驚きが混じっていた。


  「はい」


  セレナは静かに答える。


  「違法薬物の使用や、長時間にわたる過剰出力によって脳の演算と魔力制御が崩壊した人間です」


  「だから私たちは、あれを暴走体と呼んでいます」


  その声は、どこか事実を認めたくないかのように小さかった。


  なるほど、とリコは思った。


  だから討伐じゃなくて封印なんだ。

  だからこそ処分されず、そのまま管理局へ連行されていた。


  だが――

  それでも、リコはしばらく黙り込んだ。


  車内を包んだ沈黙を破ったのは、


  誰かの声ではなかった。


  爆発だった。


  市街地までもう目前。

  そんな場所であるにもかかわらず、

  一発の高圧縮魔力弾が容赦なく巡回車へ叩き込まれる。


  轟音。


  爆炎が車体を飲み込んだ。


  だが巡回車の魔導シールドが爆発を相殺する。

  車両は大破こそ免れたものの、推進機構を損傷し、その場で停止した。


  しかし周囲の一般車両は違った。

  巡回車ほど強力な防御機構など備えていない。

  一台は横転し、

  また一台は制御を失って沿道の建物へ突っ込む。


  悲鳴が上がった。


  セレナはほとんど反射的に隊長としての顔へ戻る。


  「全員降車! 戦闘準備!」


  短く命令を飛ばす。


  その後で一瞬だけリコへ視線を向けた。

  リコをどう扱うべきか。

  迷いはほんのわずかだった。


  だが、その前にリコが口を開く。


  「僕、この街のことも国のこともまだ全然知らないんだ」


  「だから指揮はセレナちゃんに任せるよ」


  そう言って笑う。


  「今の僕は隊長ちゃんの部隊の一員ってことで」


  「前衛でも支援でも、何でもやるから」


  呼び方を訂正している暇もなかった。


  セレナは半秒ほど考え、すぐに頷く。


  「他の隊員は一般市民の救助を優先!」


  「リコは私と一緒に迎撃!!」


  「はい!」


  隊員たちの声が揃う。


  その中に、


  「はーい、隊長ちゃん」


  という一人だけ妙に気の抜けた返事が混ざった。


  敵を探す必要はなかった。


  黒いローブを纏った集団が、すでに道路のあちこちに現れていた。

  人数は十数名。

  そのうち五、六人が、周囲の人間の目の前で暴走体へと変貌していた。


  「リコ!」


  セレナは細剣を抜き放ちながら即座に命令を変更した。


  「市民保護を最優先!」


  「了解」


  リコは右手を軽く振る。


  すると大量の血液が空中へ飛び散った。

  大半は彼女の周囲を血の旋刃へと変わり、

  残った血液は右手の中で一振りの刀へと凝縮される。

  片手用の打刀だった。


  ----------------


  街は混乱に包まれていた。


  ついさっきまで、この街は平穏だったはずなのに。


  広い街路。

  行き交う車。

  夜を照らす無数の灯り。


  だが今は違う。


  泣き叫びながら逃げ惑う人々。

  空を掠める魔力弾。

  鼻を刺す血の臭い。

  崩れ落ちた建物と燃え上がる炎。


  一人の少女が、横転した車の下敷きになっていた。


  どうしてこうなったのか分からない。

  ほんの少し冒険してみたかっただけなのに。


  痛い。

  お母さん、痛いよ。

  もう悪いことしないから。

  だから――助けて。


  そして少女は見てしまった。


  怪物が、自分へ向かって歩いてくるのを。


  反射的に目を閉じる。


  次の瞬間。


  ――ザンッ。


  鋭い斬撃音が響いた。


  ゆっくりと目を開く。


  そこに怪物の姿はなかった。


  代わりに立っていたのは、

  黒いドレスを纏った銀髪のお姉さんだった。


  彼女は振り返る。

  紅い瞳が優しく細められる。


  「もう大丈夫だよ」


  穏やかな声だった。


  少女は呆然と見上げる。


  痛みさえ忘れていた。

  胸の中に浮かんだ感想は、ただ一つ。


  ――かっこいい。


  ----------------


  「リコ! 上!」


  遠くからセレナの声が飛ぶ。


  リコは少女から視線を外し、反射的に屋上を見上げた。


  そこにあったのは魔導砲だった。


  砲口からは、実体を持つかのように濃密な魔力弾が放たれている。


  最初に巡回車を襲ったのも、きっとあれだ。


  リコはとっさに跳ぶ。


  だが次の瞬間には引き返していた。


  小さく舌打ちした。

  手にしていた打刀が瞬時に盾へと変形した。

  さらに周囲を飛んでいた旋刃が次々と集まり、


  盾はより大きく、

  より厚くなっていく。


  ――だが、間に合わない。


  ドンッ。


  魔力弾が炸裂した。


  巨大な爆炎が血の盾ごと二人を飲み込む。


  ----------------


  殺気。

  

  隠す気もない。


  剥き出しの殺気が、セレナの全身から溢れていた。


  細剣と刻印の蒼い輝きは、

  もはや青を通り越して白く発光していた。


  剣閃が奔る。


  つい先ほどまでの戦いは制圧のためのものだった。

  無力化し、拘束するための戦闘。


  だが、もう違う。


  ここから先は容赦しない。

  生きるか死ぬか。

  それだけだ。


  セレナは魔導砲との距離を一気に詰めていく。


  ----------------


  爆炎と奔流する魔力が、少しずつ消えていく。


  少女の視界は真っ白に染まり、

  やがて真っ黒になった。


  そして――


  少しずつ、周囲の景色が戻ってくる。


  視界いっぱいに広がっていたのは、

  柳のように揺れる銀色の髪だった。


  ああ。


  どうやら自分は、銀髪のお姉さんに抱きかかえられているらしい。


  自分を押し潰していたはずの車の残骸も、

  いつの間にかなくなっていた。


  少しだけ身体を動かせる。


  銀髪のお姉さんは確かに自分を抱きしめたまま、


  地面にもたれかかっていた。


  一本の鉄筋が腹部を貫いている。

  もう一本は太腿を貫いていた。


  「お姉さん……大丈夫?」


  思わず口から出た言葉だった。


  だが聞いた直後に、

  自分でも馬鹿な質問だと思った。


  どう見ても大丈夫なわけがない。


  それでも銀髪のお姉さんは笑った。


  「大丈夫だよ~」


  「お姉さん、吸血鬼だから。」


  「このくらいのケガなら全然平気」


  吸血鬼。

  それって何だろう。


  いや、それより――

  

  本当に大丈夫なの?


  ----------------


  リコは腕の中の少女を安心させるように微笑むと、


  少し離れた場所へ視線を向けた。


  セレナ。


  夜の街の中で、

  彼女を包む蒼い光は眩しいほどだった。


  その剣は触れるだけで傷を刻み、

  振るわれるたびに敵を打ち砕いていく。


  魔導砲との距離を少しずつ縮めている。


  ――あの子、馬鹿なのかな。


  リコはさっき巡回車の中で聞いた話を思い出した。


  限界を超える。


  今セレナがやっていることは、

  どう考えてもそれだろう。


  小さくため息をつく。


  今優先すべきなのは自分の治療じゃない。


  自分は真祖だ。


  この程度の傷は致命傷ではない。


  だったら先に、

  あの子を助けるべきだ。


  リコは右手を持ち上げた。


  掌と指先から新たな血が流れ出す。


  血液は空中で形を変え、

  蝙蝠となった。


  そして夜空を切り裂くように飛び立ち、


  激戦の続く少女の元へ向かう。


  ----------------


  魔導砲はすでに次弾の装填を終えていた。

  

  今にも発射されそうだった。


  巡回車を襲った最初の一発も含めれば、これで三発目になる。


  セレナは細剣を構える。


  この一撃を受け止めるつもりだった。


  背後には隊員たちがいる。

  避難の途中の市民もいる。

  

  そして――

  

  自分の指揮を受け入れたうえ、

  子供を助けるために砲撃を正面から受けた妙な吸血種もいる。


  本当に変わった奴だ。


  長命種といえば、

  人間を見下し、妙な矜持を抱えているものだと思っていた。


  もちろん、


  戦闘中にそんなことを考える余裕があるわけではない。


  ただ脳が本能的に現実から目を逸らそうとしているだけだ。


  死を覚悟した人間が、

  走馬灯を見るように。


  その時だった。


  赤い蝙蝠が剣身へ飛び込んだ。


  墓道で見た時と同じように、

  蒼い紋章へ紅が溶け込んでいく。


  いや、

  今回はそれ以上だった。


  これまで壊れかけたモニターのように明滅していた二色の光が、

  今は不思議なほど自然に混ざり合っている。

  まるで最初からそう設計されていたかのように。


  ――またあいつか。


  そう思う。


  だが振り返る時間はない。


  砲弾はもう放たれていた。


  ヒュッ――!


  響いたのは爆発音ではない。

  風を裂く音だった。


  斬撃と砲弾が衝突する。


  だが爆発は起きない。


  超圧縮された魔力弾そのものが、

  真っ二つに切り裂かれたのだ。


  解き放たれた魔力は暴発せず、

  空気中へと霧散していく。


  魔力の流れが見えなければ、

  砲弾が突然かき消えたようにしか見えなかっただろう。


  そして、追撃。


  蒼と紅の剣閃が夜を走る。


  次の瞬間。


  魔導砲は綺麗に両断されていた。

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