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第一章 出会い

  空気はひどく湿っていた。

  壁にも天井にも水滴が浮かび、今にも滴り落ちそうなほどだ。

  窓はなく、風の音も聞こえない。


  ここはおそらく、

  どこか地下深くに埋もれた空間。


  いや、正確には墓所だった。


  苔むした青石の煉瓦が床と壁を形作り、

  その両脇には松明が並んでいる。

  灯火は弱々しく揺れ、

  まるで次の瞬間には消えてしまいそうだった。


  部屋の中央には、一基の石棺が静かに横たわっていた。


  だが、この墓所は静寂に包まれているわけではなかった。

  少なくとも、今は。


  重厚な石扉はわずかに開いたままになっている。

  その隙間の向こうからは、

  金属同士がぶつかり合う音、

  爆発音、

  そして人間の苦痛に満ちたうめき声までもが、

  はっきりと聞こえてきた。


  どこかで戦闘が行われているらしい。


  そんな喧騒の中――

  石棺から、重々しい摩擦音が響いた。


  ギギギ……


  分厚い棺の蓋が、内側からゆっくりと押し上げられる。


  やがて、その隙間から一人の少女が身を起こした。


  彼女は眠たげに目をこすった。

  まるで昼寝の途中で騒がしい物音に起こされたかのように。


  銀色の長髪が背中へ無造作に流れ落ちる。

  ルビーのような赤い瞳は半ば閉じられたまま。

  血の気を感じさせないほど白い肌は、

  身に纏った黒いドレスとの対比によって、

  なおさら際立って見えた。


  もしここが墓所でなかったなら――

  彼女はただ、眠りから覚めたばかりの普通の少女にしか見えなかっただろう。


  気づけば、外の戦闘音は途絶えていた。

  代わりに響いてきたのは、ゆっくりと近づいてくる足音だった。


  やがて――


  半ば開いたままの石扉から、六人の人影が次々と姿を現した。


  全員が同じ黒の戦闘服に身を包んでいる。


  動きに無駄がない。

  一目で、よく訓練された部隊だと分かる。


  先頭を進む男は盾を構え、重心を落としたまま周囲を警戒している。


  二人のライフル兵が左右に展開し、銃口を絶えず死角へと向けていた。


  そして隊列の中央。


  青黒い髪の女性が片手に細剣を携え、もう片方の手で無言の戦術指示を送り続けている。


  さらにその後方では、宝石の埋め込まれた杖を持つ二人が背後を警戒していた。


  もしこの石室に敵が潜んでいるのなら、

  発見された瞬間に攻撃を受けることは間違いないだろう。


  女性の指揮のもと、六人は石棺の少女を包囲するように展開した。


  銃口が。

  剣先が。

  杖が。

  容赦なく彼女へと向けられる。


  そして――


  隊長らしき女性が口を開いた。


  「識別番号を申告してください」


  澄んだ声だった。

  耳障りではない。

  だが、その声音には有無を言わせない強さがあった。


  一方で。


  銀髪の少女は、

  自分へ向けられた五つの武器など気にも留めていない様子だった。

  まるで今も自室でくつろいでいるかのように。

  紅い瞳には、作り物ではない純粋な疑問が浮かんでいる。


  彼女は小さく首を傾げた。


  「識別……番号?」


  ぱちり、と瞬きをする。


  「それって、何?」


  本気で分からない。

  その声音に偽りは感じられなかった。

  銀髪の少女の困惑が演技には見えなかったのだろう。


  小隊の面々は、わずかな沈黙に包まれた。


  「では、質問を変えましょう」


  隊長がそう言った。


  「あなたは何者ですか?」


  「僕はリコだよ」


  銀髪の少女はあっさりと答えた。


  そこに敵意はない。

  かといって、自分へ向けられた武器を恐れる様子もない。

  まるでパーティー会場で自己紹介でもしているかのような気軽さだった。


  隊長は腕時計型の端末を操作し、その名前を検索する。

  だが、該当する情報は一件も表示されなかった。


  そして、彼女は端末を操作するのを諦めたように、小さく息を吐いた。


  そして今度は、その端末を銀髪の少女へ向ける。

  腕時計型の端末から淡い光線が伸びた。

  光はまっすぐリコを照らす。


  「ん?」


  リコが反応するよりも早く、その光は消えた。


  直後。

  全員の端末にスキャン結果が表示される。


  [

  氏名:データベース内に該当なし。

  年齢:リアルタイム測定範囲外。

  魔力反応:特一級。

  種族:吸血種(推定一致率98%)

  ]


  表示を見た瞬間、小隊の空気がわずかに揺れた。


  特一級。

  

  誰も見たことのない等級だ。

  局長が特一級だという噂を聞いたことがある――

  その程度の認識しかない。


  隊長は少し考え込んだ。


  そして、会話による解決を選んだらしかった。


  「私はセレナ・ベイン。管理局行動部第三隊の隊長です。ここは――」


  そこまで言いかけたところで、リコが言葉を挟んだ。


  「その前に、」


  セレナは一瞬目を瞬かせる。


  「何か来るみたいだよ?」


  言われて耳を澄ますと、確かに聞こえた。

  何かが近づいてくる音。

  それは明らかに人間のものではなかった。


  セレナの表情がさらに険しくなる。

  

  彼女は音の聞こえる墓道へ視線を向け。

  それから敵意らしきものを見せない吸血種へと目を移した。


  どちらを優先すべきか。


  その判断に迷ったのは一瞬だけだった。


  「ユウト。この吸血種を見張っていて。」


  「その他は私について来て。暴走体を処理する」


  「は、はい!」


  指名されたのは、先ほど後衛を務めていた杖使いの青年だった。

  

  顔立ちにはまだ少年らしさが残っている。

  きりりとした青黒いショートヘアの隊長より三、四歳ほど若く見えた。


  顔には「えっ、僕ですか?」とでも書いてありそうだったが、

  それでも命令には素直に従う。


  セレナを含む五人が石室を出ていく。


  静かになった室内で、リコは大きく伸びをした。


  「ふぁ~……」


  そしてゆっくりと石棺から降りた。

  そのまま出口へ向かって歩き始めた。


  ユウトは少し迷ったあと、声をかける。


  「あの、リコさん。どこへ行くんですか?」


  リコは振り返り、にこりと笑った。


  「ん?僕?」


  「えっと、他に誰もいませんけど」


  「その暴走体っていうのを見てみたくて」


  「でも、隊長はここにいてって……」


  小さな抗議。


  「そんな命令、あったっけ?」


  だがリコは即答した。


  「え?」


  「それに僕、君たちの隊員じゃないし」


  ユウトは少し考えた。


  まず、自分と目の前の吸血種の実力差について。

  次に、さっきの隊長の指示について。

  そして結論に至る。


  確かに言われていない。


  「……ですよね」


  結局。


  ユウトもその後を追って石室を出ることになった。

  

  ----------------


  墓道の中にいたのは、辛うじて人型と呼べる何かだった。

  皮膚は半ば固まりかけた溶岩のようで、


  顔立ちは原形を留めないほど歪んでいる。

  知性らしいものは感じられない。

  歩みも鈍い。


  だが、攻撃だけは異常だった。

  

  腕――おそらく腕だった部分が、

  本体と同じほどの太さにまで膨れ上がり、

  次の瞬間には叩きつけられる。


  そして防御力もまた異常だった。

  

  ライフル弾も魔法も、

  まるで壁に撃ち込んだかのように煙と傷跡を残すだけ。


  この暴走体が本能と反射だけで動いているからまだいいものの。

  もし知性まで持っていたなら、

  今の攻撃では牽制にすらならなかっただろう。


  まともにダメージを与えられているのは、

  この場では隊長ただ一人だった。


  セレナ。


  引き締まった青黒いショートヘアの下。


  うなじに刻まれた魔術刻印が、細剣と同じ蒼い光を放っている。

  彼女の動きが激しくなるたび、その光もまた強く輝いた。


  暴走体の攻撃が振り下ろされる。

  セレナは紙一重で身をかわす。

  そしてほとんど同時に、蒼い細剣を暴走体の身体へ突き込んだ。


  次の瞬間。


  剣身の光が爆ぜる。

  まるで紙でも切るかのように刃が走り、巨大な裂傷を刻みつけた。

  細い刀身にも、

  刻印と呼応する魔術紋様が浮かび上がっていた。


  「君たちの隊長ちゃん、なかなか強いんだね」


  リコは少し意外そうに言った。


  「今の人間って、こんなに強いんだね」


  「隊長ちゃん」という呼び方に、ユウトは思わず眉をひそめた。

  突っ込むべきか迷ったが、その前にリコが続けた。


  「でも、まだ足りないよ」


  「え?」


  「もう一体来る」


  その言葉を証明するように。


  墓道の天井が轟音と共に崩れ落ちた。

  瓦礫を突き破り、同じような巨大な腕が振り下ろされる。

  盾役と他の隊員たちは、突然現れた二体目によって分断される。


  その結果、


  セレナは一人きりになっていた。


  しかも彼女は、ちょうど攻撃を放った直後だった。


  避けられない。


  巨大な掌が迫る。


  その瞬間だった。


  三条の紅い流光が墓道の奥から走った。


  ――ザシュッ。


  布を裂くような音。


  暴走体の腕が根元から切り落とされる。


  高速で回転する刃だった。


  その正体に気づけたのは、

  この場ではセレナだけだった。


  血の旋刃は優雅な弧を描きながら旋回し、

  そのまま蒼い細剣へと吸い込まれる。


  すると剣身の紋様が、

  壊れかけた画面のように蒼と紅を交互に明滅させた。


  セレナは一度だけ振り返る。


  そこには、手を下ろしたばかりのリコがいた。

  まるで挨拶でもするように首を傾げ、にこりと笑った。


  セレナは一瞬だけ目を細めた。

  だが何も言わない。

  再び前を向き、戦闘へ意識を戻した。


  融合した血刃の力は明らかだった。

  今度、

  二体の暴走体は、もはや完全に押さえ込まれていた。


  「ルシア!封印術式!」


  セレナの指示が飛ぶ。


  「了解!」


  もう一人の杖使いが前へ出た。


  詠唱が始まる。


  白銀の光が幾重もの鎖となって現れ、

  二体の暴走体を絡め取るように拘束していった。


  「セレナ、だったよね?」


  リコはまだわずかに息を整えているセレナへ歩み寄った。


  「さっきの話の続きをしようよ。よろしくね~」


  二人の距離が縮まるにつれ、


  剣身に混じっていた紅い光がゆっくりと分離していく。

  そしてリコの右手へ戻り、そのまま血管の中へ溶けるように消えていった。


  セレナも先ほどまでの露骨な警戒は解いていた。

  細剣を腰の鞘へ収め、改めて名乗る。


  「管理局行動部所属、第三隊隊長のセレナ・ベインです」


  そして一拍置いて続けた。


  「先ほどは助かりました。ありがとうございます」


  さらに。


  「ここは指定封印地十四号。立入禁止区域です」


  「だから聞きます。どうしてあなたがここにいるんですか?」


  リコは困ったように頭を掻いた。


  「えっと……」


  「指定封印地って何?」


  「管理局って何?」


  「僕、今起きたばっかりなんだけど」


  「……本当に何も知らないんですか?」


  セレナは呆れたようにリコを見る。


  「吸血種には長期間眠る習性があると聞いたことがありますが……」


  「あなた、一体どれくらい眠っていたんですか?」


  リコは真面目な顔で考え込んだ。


  そして一本指を立てる。


  「たぶん……百年くらい?」


  「…………え?」


  今度こそセレナは固まった。


  「嘘でしょ……」


  ユウトと同じくらいの年頃に見える女性隊員が思わず呟く。


  リコはぱちぱちと瞬きをした。


  「本当だよ?」


  墓道に沈黙が落ちた。


  百年前の未登録個体。

  しかも特一級の魔力反応。

  どちらも明らかに自分たちの権限を超えている。

  ――今夜の報告書は大変なことになりそうだった。


  そしてセレナは理解し始めていた。


  この土地が指定封印地になっている理由を。

  おそらくは。

  目の前にいるこの銀髪の少女――ひとまず少女と呼ぶべき存在こそが。


  セレナは小さくため息をついた。


  「一度、局まで来てもらいます。」


  「話を聞く必要がありますし、身分登録もしないといけません」


  「えぇ~」


  リコは露骨に嫌そうな顔をした。


  「行かなくちゃダメ?」


  周囲を見回す。

  隊員たちの表情を確認する。

  それからセレナへ視線を向ける。


  「……ダメ?」


  セレナは無言で頷いた。

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