第十九章 交替
局長室。
管理局最上階の部屋は、
今日も変わらず陽光に満ちていた。
ミレイアは執務机の向こう側で、
大きな椅子へ深く身体を預けている。
あの子なら大丈夫だろう。
兄とは違う。
あの子は必要な時に選べる子だ。
あの日のことを思い出す。
新技術の実験協力者を募集した時のことだ。
志願者は大勢いた。
だが。
記憶を代償にする技術だと知った瞬間。
ほとんど全員が辞退した。
最後まで残ったのは、
あの子一人だった。
少し驚いて理由を尋ねたことがある。
『妹が強盗事件に巻き込まれて亡くなったんです』
『だから私は頑張りたいんです』
『妹みたいな思いをする子を、もう出したくないんです』
まだ幼さの残る瞳だった。
それでも。
そこに宿っていた意志の強さは、
どこか懐かしかった。
私はもう年だ。
あの子なら。
真実を知ってもきっと正しい道を選ぶ。
後継者としても申し分ない。
ミレイアは小さく微笑んだ。
実力は十分。
最近では真祖まで傍にいる。
きっとあの子なら。
兄が夢見た理想に、
もっと近い世界を見せてくれるだろう。
その時だった。
扉がノックされる。
「局長!」
「入りなさい」
ミレイアは少しだけ姿勢を正した。
扉が開く。
セレナだった。
完璧な敬礼。
そのまま部屋へ入ってくる。
そして後ろにはリコ。
相変わらず七割くらいしか出来ていない敬礼だった。
思わず笑ってしまう。
「おはようございます」
「ベイン部長」
「リコ部長補佐」
「昨日はゆっくり休めましたか?」
「正直に申し上げるなら」
セレナは迷いなく答えた。
「よく眠れませんでした」
「ほう?」
「ずっと考えていたんです」
「あれを見たあと」
「何が正しいのかを」
ミレイアは紅茶を口へ運ぶ。
「それで?」
「今の顔を見る限り」
「答えは出たようですね」
「はい」
セレナは頷いた。
「国家にとって」
「魔力転送術式は必要だと思います」
ミレイアの表情が柔らかくなる。
だが。
次の言葉で止まった。
「それでも」
「国民には真実を知る権利があります」
「そして」
「自分で選ぶ権利も」
笑みが消える。
「誰であっても」
「何も知らないまま犠牲にされるべきではありません」
ミレイアは静かにカップを置いた。
「セレナ君」
「君も理解しているはずです」
「民衆は愚かで短慮なものです」
「だからこそ管理局が導かなければならない」
「導くことを放棄するなら」
「政府に存在意義などありません」
セレナは即座に返した。
「導くことと」
「代わりに決めることは違います」
「管理局職員になるのは名誉なことだと伝える」
「それは導きです」
「ですが」
「子供を攫って無理やり管理局へ入れるのは違うでしょう」
ミレイアは溜息を吐いた。
「では聞きます」
「もしある日」
「誰も管理局へ入りたがらなくなったら?」
「給料を上げますか?」
「予算だって無限じゃない」
「教育ですか?」
「子供が育つには時間が掛かる」
「セレナ君」
「誰だって他人の代わりに決めたいわけではありません」
「ですが」
「誰かが決断しなければならない場面は必ずある」
「その時」
「導いた結果が出るまで待つだけでは済まないのです」
初めてセレナが沈黙した。
しばらく考える。
そして。
静かに問い返した。
「ですが局長は」
「今でも術式の存在を最高機密にしていますよね」
ミレイアは小さく笑った。
「では逆に聞きましょう」
「悪意を持つ人たちのことは一旦置いておきましょう」
「仮に国民全員が善良だったとしても」
「君は想像できますか?」
「両親が」
「兄弟姉妹が」
「あるいは子供が」
「国家のために命を削られていると知った時」
「人々がどんな反応をするのかを」
セレナは迷わなかった。
まるで昨夜のうちに答えを決めていたかのように。
いや。
実際にそうだったのだろう。
リコは思い出す。
昨夜。
あの子の瞳に戻っていた光を。
「いいえ、局長」
「全てを公表する必要はありません」
セレナは真っ直ぐミレイアを見据える。
「封印地や魔力転送術式の詳細まで公開する必要はないと思います」
「ただ」
「現在エネルギー不足が発生していること」
「そして、その解決のために志願者を募ること」
「それだけ伝えれば十分です」
ミレイアは少し考え込んだ。
そして静かに問い返す。
「エネルギー危機を公表することで起きる混乱は考えましたか?」
「もちろんです」
セレナは頷いた。
「ですが今回は、問題と同時に解決策も提示できます」
そこで一度言葉を切る。
そして。
言い直した。
「それに――改革である以上、リスクは避けられません」
「リスクのない改革なんて存在しないと思います」
「だからこそ」
「私たちが考えるべきなのは」
「そのリスクによって何を得られるかです」
セレナは一歩前へ出る。
「今回の改革は」
「国を本来あるべき姿へ近付けるだけではありません」
「いつか秘密が暴かれる危険そのものも無くせます」
「違いますか?」
「局長」
長い沈黙が流れた。
「なるほど」
ミレイアはゆっくり立ち上がる。
「それが君の答えですか」
武器掛けから剣を取る。
そして扉へ向かった。
「ついて来なさい」
三人は管理局を歩く。
最上階の局長室から。
地下最深部へ。
零号封印地へ。
そこでミレイアは足を止めた。
「君たちはあの日記を読んだ」
「なら理解しているはずです」
言いかけて。
「君が否定しようとしているのは――」
少しだけ苦笑する。
「いや」
「君が改革しようとしているのは」
「私の人生そのものですね」
セレナは何も答えなかった。
ミレイアは続ける。
「私は既に遺命を残しています」
「私の死後」
「次の局長はセレナ・ベイン、君です」
「――え?」
セレナの目が見開かれた。
だが。
次の瞬間。
ミレイアは剣を抜く。
鋭い金属音が地下へ響いた。
「よって」
「この場において局長権限をもって宣告します」
剣先がセレナへ向く。
「セレナ・ベイン」
「管理局最高機密の漏洩を企てた罪により――」
「即時処刑」
「局長――」
言葉を発する暇はなかった。
剣がすでに目の前まで迫っていたからだ。
同時に。
六枚の血色の刃が空を裂く。
リコの旋刃だった。
セレナは辛うじて身を捻る。
肩が裂ける。
鮮血が飛んだ。
もし旋刃が割り込まなければ。
今ので終わっていた。
ミレイアとセレナが同時に口を開く。
「まだ剣を抜かないのですか?」
「リコ!」
「これは私の戦いです!」
「信じてください!」
一瞬。
旋刃が空中で揺れた。
迷うように。
ぐるりと一周して。
やがて主の元へ戻る。
その瞬間。
青い剣光が弾けた。
「まだ甘いですね」
ミレイアは言う。
セレナの細剣を受け流しながら。
余裕すら感じさせる声音で。
「なぜ手札を全て使わないのですか?」
一連の攻防を終え。
セレナは後方へ飛び退く。
「それでは意味がありません」
呼吸を整える。
「局長は私を試しているのでしょう?」
次の瞬間。
ミレイアの剣が再び目前へ迫る。
速い。
あまりにも速い。
「まだ分かっていませんね」
剣戟。
火花。
そして殺意。
「私なら、勝つためなら何でも使います」
再び生死の境界を往復する。
ようやく距離を取ったセレナは答えた。
「違います」
「私が局長と違うからこそ」
「この戦いがあるんです」
ミレイアの目が細くなる。
「セレナ君」
「綺麗事だけでは私には勝てませんよ」
その言葉と共に。
今まで以上に鋭い殺意が放たれた。
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リコの焦りは募る一方だった。
戦闘開始から十分近く。
セレナはずっと押され続けている。
魔力量。
経験。
剣技。
どれを取ってもミレイアが上だった。
若さによる体力だけが。
辛うじて勝っている部分かもしれない。
それがなければ。
何度も決着がついていた。
それでも。
剣を交えるたびに傷は増えていく。
一つ一つは浅い。
致命傷ではない。
だが。
確実に積み重なっていた。
そして――
リコが恐れていたのは別のことだった。
セレナの剣には代償がある。
振るうたびに。
何かが燃える。
何かが失われる。
今の一撃で。
何を失ったのか。
リコには分からない。
ユウトの馬鹿話かもしれない。
三番隊で誕生日を祝った夜かもしれない。
あるいは――
自分かもしれない。
いや。
分からないのは自分だけじゃない。
セレナ本人ですら分からないのだ。
あの夜。
妹のことを聞かれて。
当然のように、
「いませんよ」
と答えたセレナの姿が脳裏をよぎる。
だから。
血の打刀はずっと握ったままだった。
赤い旋刃もずっと傍らを漂っていた。
もし。
もしかしたら。
いや。
違う。
セレナちゃんは言った。
信じてほしいと。
再び距離が開く。
二人とも激しく息を吐いていた。
短い静寂。
その後。
ミレイアが剣を構える。
「まだ真祖さんを戦わせないのですか?」
「はい」
セレナは迷わなかった。
「これは私の戦いです」
ミレイアは目を細める。
「そうですか」
「なら見せてあげましょう」
「指導者に必要な覚悟というものを」
次の瞬間だった。
ミレイアの魔力が膨れ上がる。
いや。
膨れ上がるなどというものではない。
一段階。
そんな生易しい増加ではなかった。
「君が挑もうとしているのは」
「国家そのものです」
「ならば」
「全てを使う覚悟が必要です」
リコは気付いた。
国家。
その言葉の意味に。
今ミレイアから溢れている魔力は。
全国魔力転送術式から引き出されたものだ。
つまり。
本当に国そのものだった。
迷いは消える。
血色の旋刃が再び宙へ舞った。
「セレナちゃん」
小さく呟く。
「ごめんね」
「後でどれだけ怒られても」
「今だけは聞けないや」
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青。
赤。
白。
三色の光が地下空間を照らした。
剣が走る。
旋刃を弾く。
それでも勢いは止まらない。
続けて青い細剣を払い除ける。
さらに。
血の打刀を押し切る。
鋭い刃がリコの首筋を掠めた。
鮮血が舞う。
切り落とされた赤髪が宙を流れる。
その瞬間。
不意に思った。
勝てない。
自分は。
血族の力を限界まで振り絞っている。
それでも。
あの老人はなお立ちはだかっていた。
揺るがず。
圧倒的に。
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「君の負けです」
「セレナ君」
なぜだろう。
リコには。
その声が少しだけ寂しそうに聞こえた。
失望しているような。
悲しんでいるような。
だが。
そんなことはどうでもよかった。
戦いは終わっている。
局長の剣は再び全てを突破した。
赤い旋刃も越えた。
血の打刀も越えた。
リコの脇腹から胸元までを斬り裂く。
そして。
返す刃が。
セレナの胸を貫いた。
「これで」
「君の望んだ改革も」
「終わりです」
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ミレイアは背を向けた。
小さく息を吐く。
「これは二、三か月は医療部暮らしですね……」
「引き継ぎが面倒なことになりそうです」
肩を竦める。
そのまま歩き出そうとして――
不意に足を止めた。
そして。
振り返る。
「……どういうことですか」
その顔には。
初めて見る驚愕が浮かんでいた。
リコも思わず目を見開く。
なぜなら。
セレナが再び立ち上がっていたからだ。
首元のネックレスは砕け散っている。
砕けたルビーから。
血のような液体が溢れ出し。
傷口へ染み込んでいく。
裂けた肉が塞がる。
失われた血が戻る。
傷は見る間に癒えていった。
そして。
青い剣光の中に。
再び赤が灯る。
赤と青。
二つの光が重なり合う。
眩しいほどに。
鮮やかに。
セレナは剣を構えた。
真っ直ぐに。
ミレイアを見据えて。
「いいえ」
「まだ終わっていません」
静かな声だった。
だが。
決して揺らがない。
「これが」
「私の信じたいものです」
「局長」
再び剣がぶつかる。
鋭い金属音が地下へ響いた。
「信じるのは簡単です」
ミレイアが言う。
剣を振るいながら。
「ですが理解しなければならない」
火花が散る。
剣が交差する。
今度は。
どちらも押し負けなかった。
「世の中の人間が」
「そこの真祖さんみたいに単純だと思わないことです」
リコは瞬きをした。
たぶん。
今。
馬鹿にされた。
けれど。
なぜか笑ってしまう。
まあいい。
褒め言葉ということにしておこう。
セレナちゃん相手にまで駆け引きなんてしていたら。
きっと疲れる。
とても。
「リコだけじゃありません」
セレナが答える。
今はもう。
言葉を交わす余裕もあった。
「ルシアも」
「ノエルも」
「ユウトも」
「フィナも」
「みんな信じています」
剣が閃く。
再び激しくぶつかり合う。
それでも。
セレナは止まらない。
「それに」
「局長だって同じです」
ミレイアの眉が僅かに動いた。
「私たちを信じていたから」
「記録を見せた」
「私たちを信じていたから」
「ここで戦ってくれた」
「違いますか?」
ミレイアは答えない。
ただ。
剣だけが語っていた。
やがて。
決着の時が来る。
鋭い一撃。
ミレイアの剣が宙を舞った。
乾いた音を立てて遠くへ落ちる。
静寂。
二人はしばらく動かなかった。
長い沈黙の後。
ミレイアは小さく笑う。
そして。
壁際へ腰を下ろした。
目を閉じる。
「本当に」
「年を取りましたね」
少しだけ肩を竦める。
「魔力がどれだけあっても」
「体力までは若返らないらしい」
セレナは何も言わなかった。
ただ。
静かに立っていた。
ミレイアは目を閉じたまま続ける。
「最後に一つだけ」
「覚えておきなさい」
ゆっくりと。
言葉を選ぶように。
「選択には代償が伴います」
「時には」
「一生背負い続けなければならないほど重い代償が」
「それでも」
「君は選ぶのです」
セレナは前へ進む。
ミレイアの前で足を止めた。
そして。
深く。
敬礼する。
「肝に銘じます」
「局長」




