第十八章 選択
日記を閉じる。
地下室は静まり返った。
まるで時間まで止まってしまったみたいに。
----------------
どれくらい経っただろう。
最初に口を開いたのはルシアだった。
「隊長……」
少し言い淀む。
それから。
「局長の方が正しいような気もします」
フィナは今にも泣きそうな顔で頷いた。
「私もルシア隊長に賛成かも……」
「…………」
セレナは長い間黙っていた。
やがて。
小さく口を開く。
「局長の言いたいことは分かります」
「魔力転送術式が必要なのも」
そこまで言って。
また沈黙した。
「でも……」
その先が続かない。
「いや……」
ユウトが椅子へもたれ掛かる。
「やっぱり何か変だと思う」
「どこがって言われると上手く言えないんだけどさ」
その時。
ガレスがぽつりと呟いた。
「程度」
短い一言だった。
だが。
全員が意味を理解する。
自然と視線がリコへ集まった。
リコは肩を竦める。
「そういうの難しいんじゃないかなぁ」
「人間って大半は寿命で死ぬわけじゃないし」
「どういうこと?」
フィナが首を傾げる。
リコは少し考えた。
それから例を挙げる。
「例えばユウト君ね」
「六歳の時に風邪をひく」
「三十歳の時に車に轢かれる」
「六十歳で病気になる」
「生命力を吸われるっていうのは」
「そういう時に生き残れる確率が少しずつ下がる感じかな」
「だからね」
「六歳で死ぬかもしれないし」
「三十歳で死ぬかもしれないし」
「六十歳で死ぬかもしれない」
「いやいやいや」
ユウトが慌てて突っ込んだ。
「なんで僕絶対死ぬ前提なの?」
「例えだよ例え」
リコはけろりとしていた。
少しだけ空気が緩む。
だが。
すぐにまた重くなった。
その時。
ノエルが手を叩く。
「とりあえずさ」
「今ここで結論出ないんだし」
「一回帰ろうよ」
「せっかくの連休なんだから」
結局。
誰も反対しなかった。
----------------
もっとも。
その連休を楽しむことはできなかった。
帰り道の途中。
全員の通信端末へ同じ通知が届いたからだ。
「え……?」
フィナが目を見開く。
「嘘でしょ……」
ユウトも固まる。
そして。
セレナを見る。
「隊長」
「今から行きましょう」
セレナが答えるより早く。
ノエルは車の進路を変えていた。
----------------
グラント・レイヴン宅。
家の前には白い提灯が掛けられていた。
車が急ブレーキ気味に停まる。
全員が飛び降りた。
そして。
セレナが扉を叩く。
開く前から。
馴染みのタバコの匂いが漂ってきた。
「はいはい」
「今開ける」
聞き慣れた声。
扉が開く。
そこに立っていたのは。
右手にタバコを挟んだグラント本人だった。
「……お前ら」
一瞬固まる。
「全員休暇中か?」
「それとももう全員退職したのか?」
「休暇中です」
セレナが答える。
だが途中で視線を逸らした。
「その……」
「知らせを聞いて」
「ああ」
グラントは煙を吐く。
「通知にも書いてあっただろ」
「葬儀は一週間後だ」
少し間を置く。
そして。
三番隊の皆を見回した。
「それより」
「お前ら何かあったな?」
「何もなけりゃそんな顔で来ない」
「それは……」
セレナが言葉を探す。
だが上手く説明できない。
すると。
グラントは鼻を鳴らした。
「入れ」
「話す気があるのかないのか分からん」
「とりあえず中で聞いてやる」
----------------
孫の遺影へ線香を上げる。
そのあとで。
セレナは少し躊躇いながら口を開いた。
「部長」
「実はお聞きしたいことがありまして」
「だろうな」
グラントは霊前から離れる。
外へ出てからタバコへ火を点けた。
そして煙を吐く。
「こっちで話そう」
「孫はタバコの匂いが嫌いだったからな」
セレナは一瞬迷った。
それから。
意を決したように言う。
「大変失礼な質問になるのですが――」
「いいから聞け」
グラントは面倒そうに手を振った。
「今さら俺相手に前置きなんか要らん」
セレナは頷く。
そして。
真っ直ぐ見据えた。
「お孫さんは」
「どのように亡くなられたのですか」
その瞬間。
グラントの目が鋭くなった。
順番に。
一人ずつ。
皆の顔を見る。
やがて。
何かを確かめ終えたように視線を戻した。
「話してやる」
「だが条件がある」
タバコを指で挟む。
「お前らが知ったことが」
「うちの孫に関係してるなら」
「後で全部話せ」
「……分かりました」
セレナは即答した。
ルシアは何か言いたそうだったが。
止めなかった。
一本目のタバコがほとんど灰になる頃。
ようやくグラントは口を開いた。
「昔から身体が弱くてな」
「先天性の心臓病だった」
少しだけ笑う。
苦い笑みだった。
「六歳まで生きられないかもしれない」
「医者にはそう言われてたよ」
そして。
リコを見る。
「あの日」
「だからお嬢ちゃんの提案を断ったんだ」
「少しでも長く一緒にいたかったからな」
「退職して帰ってきた」
タバコの火が小さく揺れる。
「まあ」
「今日で終わりだったが」
誰も言葉を返せなかった。
グラントは新しいタバコへ火を移す。
そして聞いた。
「それで?」
「何を見つけた」
----------------
話を聞き終えたあと。
グラントはしばらく黙っていた。
タバコ一本分くらい。
ずっと。
そして。
小さく息を吐く。
「そうか」
「じゃああいつも」
「よくここまで生きたもんだな」
少しだけ笑う。
「俺に似て」
「しぶとかったらしい」
「部長!」
ユウトが思わず声を上げた。
「悔しくないんですか!?」
「あまりにもひどくないですか!?」
「ひどい?」
グラントは首を傾げた。
そして。
タバコの先でリコを指す。
「さっきお嬢ちゃんも言ってただろ」
「結局は確率の話だって」
「でも!」
フィナの声が震える。
目元も潤んでいた。
「術式がなければ」
「もっと長く――」
「どうかな」
グラントは静かに首を振った。
「術式がなくても」
「先天性心疾患だったことは変わらん」
少し間を置く。
それから。
空を見上げた。
「生きるも死ぬも運だ」
「俺はそう思ってる」
タバコを揉み消す。
「話は終わりだ」
「今日は帰れ」
その声は。
どこか疲れていた。
----------------
家へ戻ったあとも。
セレナはずっと考えていた。
今日聞いた話を。
今日見たものを。
そして。
答えの出ない問いを。
リコも何も言わない。
ただ隣にいた。
「ねえ」
不意にセレナが口を開く。
そして。
リコの肩へ頭を預けた。
「部長のお孫さん」
「本当に術式がなくても、
長生きできたとは限らないんですか?」
「うん」
リコは頷く。
「そうだよ」
「人間ってそういうものだもん」
セレナは目を閉じる。
そして。
次の問いを口にした。
「じゃあ」
「術式は正しかったんでしょうか」
身体が少しずつ沈む。
肩から。
膝へ。
頭が滑り落ちる。
「術式があったから」
「みんな豊かになれたんですよね」
リコは少し考えた。
それから首を傾げる。
「どうだろ」
「そんな難しいことは分かんないや」
「でも」
「良いこともあったし」
「悪いこともあったんじゃないかな」
セレナはリコの腰へ腕を回した。
まるで答えを探すみたいに。
「じゃあ私は」
「どうすればいいんでしょう」
声が震える。
「行動部長として」
「これからも術式を守るべきなんでしょうか」
「これからも誰かの人生を」
「運任せにし続けるんでしょうか」
「私には分からないんです」
「何も……」
リコはしばらく黙っていた。
それから。
膝の上の青黒い髪を優しく撫でる。
「ねえ」
「実はさ」
「今日みんなが何で悩んでるのか」
「僕にはよく分からなかったんだ」
「…………」
セレナは一瞬だけ。
本気でこの吸血鬼から寝室へ逃げ込みたくなった。
だが。
リコは続ける。
「なんでみんな」
「他の人の代わりに決めようとしてるの?」
セレナが顔を上げた。
「え?」
「セレナちゃんは確かにすごいけど」
「それでも、
神様じゃないでしょ?」
「僕は人間の政治とか分かんないけど」
「人間ってさ、偉い王様とか」
「そういう人にみんなを導いてもらうの好きだよね」
「でも」
「吸血鬼は違うよ」
リコは笑う。
穏やかに。
当たり前のことを言うみたいに。
「みんな自分のことは自分で決めるから」
セレナは考える。
しばらく。
本当にしばらく。
それから身体を横へ向けた。
リコと向き合う形になる。
「でも」
「人間は吸血鬼と違います」
「たくさんいるんです」
「立場も」
「欲しいものも」
「全部違う」
「みんなに聞いていたら」
「何も決まらないじゃないですか」
「そうかな?」
リコは首を傾げた。
そして聞く。
「じゃあ、セレナちゃん」
「どうしてセレナちゃんは管理局に入ったの?」
「それは……」
セレナは少し考える。
「自分で選んだからです」
「でしょ?」
リコは笑った。
「だったら別に」
「みんなの代わりに選ばなくてもいいんじゃない?」
「選べるようにしておけば」
「誰かは選ぶんじゃないかな」
「でも」
セレナは迷う。
「本当にいるんでしょうか」
「自分から生命力を差し出す人なんて」
すると。
リコは不思議そうな顔をした。
「セレナちゃんも」
「局長みたいに、人間は愚かだって思ってるの?」
セレナは首を振る。
即座に。
迷いなく。
「なら大丈夫だよ」
リコはそう言った。
「管理局だって同じでしょ?」
「怪我するかもしれない」
「死ぬかもしれない」
「それでも」
「選ぶ人っているでしょ?」
「だったらきっと」
「生命力だって同じだよ」
しばらく沈黙が続いた。
やがて。
セレナは腕に力を込める。
目の前の少女を。
ぎゅっと抱き締めた。
「……ありがとうございます」
そして、彼女は立ち上がる。
窓の外を見る。
夜の街を。
遠くまで続く灯りを。
「たぶん」
小さく呟く。
「何をするべきか分かりました」
「局長にとっては」
「残念な結末になると思います」
少しだけ笑う。
「国にとって残念かどうかは」
「まだ分かりませんけど」
「でも」
「私はこれが正しいと思います」
リコはその横顔を見つめる。
数秒ほど。
そして。
嬉しそうに笑った。
「うん」
「僕はずっと」
「セレナちゃんの味方だからね」




