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第十七章 深層

  その日の管理局は大混乱だった。


  特に行動部は酷い。


  「部長まだ来てないのか?」


  「はい。まだ『留守中』の札が掛かったままです」


  「昨日から休暇だったよな?」


  「今日も来てないのか?」


  「いや……」


  「朝は補佐官と一緒にいるのを見たんだけど」


  「じゃあどこ行ったんだよ」


  「知らない……」


  沈黙。


  そして。


  「もう局長に聞きに行こうぜ」


  「局長もいないんだよ……」


  ----------------


  その頃。


  管理局地下最深部。


  絶対立入禁止区域。


  全国魔力転送術式の中枢。


  そこには。


  セレナ。


  リコ。


  そして第三隊の面々が集まっていた。


  傍らには。


  再び組み上げられた全国封印地の地図。


  リコは室内を見回す。


  刻まれた術式を。


  壁を。


  床を。


  天井を。


  じっくりと。


  「なるほどねぇ」


  小さく呟いた。


  「前から分からない部分があったんだけど」


  「一番大事なところが最初から抜けてたんだ」


  セレナは黙って聞いていた。


  いや。


  今さら説明されるまでもない。


  前回ここへ来た時は。


  アルカードばかり見ていた。


  だが。


  答えを知った今。


  改めて術式を見ると。


  見えてくるものがある。


  古代魔法には詳しくない。


  それでも分かった。


  これは。


  自分の刻印と同じ技術だ。


  記憶を魔力へ変換する刻印。


  その延長線上にあるもの。


  そして。


  リコが口を開いた。


  「この術式」


  「やっぱり生命力を集めて」


  「魔力に変換してるんだね」


  『正解です』


  その瞬間。


  部屋の外から声が響いた。


  ----------------


  「局長!?」


  全員が振り返る。


  セレナは反射的に剣へ手を掛けた。


  だが。


  ミレイアは落ち着き払っていた。


  まるで。


  最初からこうなると知っていたみたいに。


  「君たちが独力で術式へ辿り着いた時から」


  「いつかこの日が来るとは思っていました」


  ミレイアの視線がリコへ向く。


  ほんの一瞬だけ。


  「真祖さんがずっと皆さんの側にいなければ」


  「私はとっくに口封じを命じていたでしょう」


  空気が変わった。


  他の面々も思わず武器へ手を伸ばした。


  だが。


  ミレイアの声色だけは変わらない。


  「もっとも」


  「今でも真祖さんと敵対したいとは思っていません」


  「管理局の使命は変わりませんから」


  「国民の繁栄です」


  「これがですか!?」


  セレナの声には怒りが滲んでいた。


  ミレイアは微笑む。


  そして。


  迷いなく頷いた。


  「結論から言えば」


  「そうなります」


  そう言って。


  ミレイアは鍵束をリコへ投げ渡した。


  リコが反射的に受け取る。


  「そこへ行ってみてください」


  「今日は有給休暇ということにしておきましょう」


  ミレイアは背を向ける。


  そのまま部屋を出て行く。


  そして。


  最後に振り返りもせず言った。


  「それを見た上で」


  「なお管理局と敵対するというのであれば――」


  少しだけ間が空く。


  「残念です」


  その言葉に。


  冷たい殺意だけが宿っていた。


  ----------------


  車が停まった。


  古びた屋敷の前だった。


  あまりにも遠い。


  途中からユウトが、


  「局長の口封じって」


  「もしかして僕たちを一生ドライブさせること?」


  などと言い始めるくらいには。


  まず門を開ける。


  次に玄関。


  さらに地下室。


  そして最後に。


  一つの箱。


  鍵束の最後の一本が回る。


  ユウトが息を吐いた。


  「さて」


  「局長は何を見せたいんだ?」


  ----------------


  『長兄は父に等しい』


  その言葉の意味を。


  私は幼い頃から、

  誰よりも深く知っていたと思う。


  今になって振り返れば。


  私を産着のまま家の外へ追い出した両親にも、

  きっと悪意はなかったのだろう。


  私が女だったからというだけではない。


  兄たちのように十代で働きに出られるわけでもない子供を、

  養う余裕が本当になかったのだ。


  何事も損得で考える。


  それは人柄が卑しかったからではない。


  そうしなければ生きていけない暮らしを、

  ずっと続けてきたからだ。


  もし別の家に生まれていたなら。


  私はきっと、

  鍋の中の煮込み肉になっていた。


  自分の子供は食べられない。


  だから互いの子供を交換して食べる。


  そうやって人は、

  自分自身の感情を騙すのだ。


  そんな光景を。


  私はその後、

  嫌というほど目にすることになる。


  だが。


  あの頃の兄は若すぎた。


  まだその理屈を知らなかった。


  だからこそ。


  兄は迷いなく家を飛び出し。


  たった一人で私を育てる道を選んだのだ。


  そう。


  私は兄一人に育てられた。


  そして今でも。


  そのことを心から感謝している。


  けれど。


  夜更けにふと思うことがある。


  もし兄があの家に残っていたら。


  もし働き手がもう一人増えていたなら。


  あの家は何か違う結末があったのではないかと。


  もっとも。


  今となっては分からないけれど。


  ----------------


  物心がついた頃から。


  兄が何度も口にしていた言葉がある。


  『この国を変える』


  『ミレイアが何も心配せずに生きていける国にする』


  もう少し成長した後の私なら。


  きっと若者特有の理想論だと笑っていただろう。


  だが。


  あの頃の私は違った。


  兄が本当にこの国を変えてくれると信じていた。


  いや。


  結果だけを見れば。


  正しかったのは当時の私の方だった。


  今振り返っても分からない。


  十代の少年が。


  幼い妹を育てながら。


  どうやってあれほど多くの魔導書を読み込み。


  研究を続けていたのか。


  そして最後には。


  本当に成し遂げてしまった。


  いや。


  正確には半分だけ。


  兄は研究成果を携えて貴族の城へ赴き。


  一躍、王国随一の魔導士となった。


  魔力転送術式は。


  少しずつ世界へ広がっていく。


  私も飢えることはなくなった。


  最高の家庭教師が付き。


  衣食住に困ることもない。


  もはや私は。


  流浪する田舎娘ではなかった。


  ----------------


  だが。


  封印地から汲み上げられた魔力は、

  貴族たちの私有財産となった。


  戦争が始まる。


  版図は広がる。


  言い換えれば。


  戦火もまた広がった。


  以前より多くの人々が故郷を失い。


  以前より多くの人々が、

  我が子を見捨てた。


  兄の表情も変わっていった。


  毎日一緒に食事をしていても。


  その目に浮かぶ苦しみは、

  日に日に濃くなっていった。


  ある日。


  兄はぽつりと呟いた。


  「ミレイア」


  「僕は……とんでもない間違いを犯したのかもしれない。」


  「無限のエネルギーさえあれば」


  「こんな悲劇はなくなると思っていたんだ」


  私は頷いた。


  確かに兄は間違えた。


  けれど。


  間違っていなかったとも思う。


  この結果は。


  まだ修正できるものだった。


  私ももう。


  守られるだけの子供ではなかったのだから。


  ----------------


  あの日は、


  ある遠征軍の凱旋祝賀会だった。


  貴族たちは酒を飲み。


  自分たちが何人殺したかを語り。


  どれだけの村を踏み潰したかを誇り。


  奪った財宝と女の話で盛り上がっていた。


  そして。


  その夜。


  全てが変わった。


  彼らは愚かだった。


  あまりにも。


  兄のことを、


  金と美食を与えれば尻尾を振る。


  そんな野良犬の一匹だと思っていた。


  私のことも同じだった。


  兄の付属品。


  ただの十歳の子供。


  誰も気にしていなかった。


  まして。


  純粋な力だけなら。


  私が兄を遥かに上回っていたことなど。


  誰一人として気付いていなかった。


  血溜まりの中で。


  兄が震えながら私を見ていた。


  あの目だけは。


  今でも忘れられない。


  けれど。


  私は間違っていたとは思わない。


  あの連中は死んで当然だった。


  命を弄ぶことしか知らない連中だったのだから。


  何より。


  正しかったのは兄の理想だ。


  私はただ。


  世界をその理想へ近付けようとしただけだった。


  ----------------


  その年。


  管理局は誕生した。


  兄は初代局長となった。


  いつの間にか。


  兄と私の歩く道は少しずつ離れていた。


  それでも兄は。


  最後まで自分の理想を貫こうとしていた。


  優秀な局長だったと思う。


  その評価に迷いはない。


  だが。


  私はいつも思っていた。


  兄は少し優しすぎると。


  少し迷いすぎると。


  特に。


  怯えたような顔で毎日私と食事をしていた頃は。


  なおさらそう思っていた。


  もっとも。


  後になって知ることになる。


  兄もまた。


  決して譲らない人間だったのだと。


  今思えば当然だ。


  あの人は元々。


  幼い妹を連れて家を飛び出した人なのだから。


  ----------------


  やがて。


  管理局へ参加する地域が増えていった。


  すると問題が起きた。


  封印地から取り出せる魔力が。


  もはや無限ではなくなったのだ。


  再びエネルギー不足が始まる。


  飢餓。


  混乱。


  不安。


  かつてと同じ悲劇が。


  再びこの国を覆い始めた。


  私を含む管理局の幹部たちは。


  兄へ提案した。


  術式を改良するべきだと。


  国民から生命力を徴収し。


  魔力へ変換するべきだと。


  そうしなければ。


  この国は生き残れないと。


  私は信じていた。


  十歳のあの日以来。


  私を恐れていた兄なら。


  最後には賛成するだろうと。


  だが。


  私は兄を見誤っていた。


  折れたのは兄ではない。


  私の方だった。


  今でも兄の考えには賛成できない。


  あの時も。


  兄が間違っていると思っていた。


  それでも。


  あれは兄だった。


  私の兄だった。


  だから。


  最後には折れるしかなかった。


  ……もう少しだけ。


  私が押し切っていたら。


  違う未来もあったのだろうか。


  ----------------


  その後は。


  私の予想通りだった。


  飢餓。


  失業。


  抗議。


  暴動。


  全てが少しずつ広がっていく。


  やがて。


  全面的な混乱へ発展した。


  管理局は機能を失った。


  魔力転送術式も停止した。


  そして。


  混乱はさらに加速した。


  暴動は暴動を呼び。


  破壊は破壊を呼んだ。


  私が再び兄を見つけた時。


  兄は吊るされていた。


  自ら守ろうとした国民の手によって。


  傷だらけだった。


  身体にも。


  足元にも。


  ゴミが投げ付けられていた。


  だが。


  国民は悪くない。


  私はそう思っている。


  彼らはただ愚かだった。


  ただ短慮だった。


  だが。


  悪ではなかった。


  間違っていたのは兄の方だ。


  兄の信念は。


  結果として。


  世界を理想から遠ざけてしまったのだから。


  ----------------


  そして最後に。


  私たちは大きな犠牲を払った。


  ようやく。


  混乱を終わらせた。


  魔力転送術式も再稼働した。


  もう。


  一歩も譲らない局長はいない。


  だから改良案は速やかに可決された。


  管理局最高機密として。


  兄さん。


  もし今でも見ているのなら。


  どうか見ていてほしい。


  あなたの理想は。


  私たちが叶えた。


  国は豊かになった。


  人々は飢えなくなった。


  食べ物がないからと。


  家から追い出される子供もいない。


  子供たちは学び。


  笑い。


  未来を夢見ることができる。


  だから。


  ありがとう。


  兄さん。

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