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第十四章 煙草

  ――ここは……


  天守閣?


  数日前に訪れた天守閣ではない。


  おそらく。


  千年前。


  魔王城が最も栄えていた頃の天守閣だ。


  調度品はどれも新しい。


  だが豪華ではない。


  どこか農家の寝室を思わせる、

  素朴な空間だった。


  卓の上には竹籠が置かれている。


  そして。


  一人の少年が、

  それをじっと見つめていた。


  ----------------


  リコは右手を振った。


  「アルカード君」


  少年は視線を動かさない。


  竹籠を見つめたまま、

  静かに口を開く。


  「どうして」


  「君はずっと僕を邪魔するんだ?」


  リコは少しだけ考えた。


  言葉を選ぶように。


  慎重に。


  それから答える。


  「だってさ」


  「アルカード君にも、

  大切な人がいたんでしょ?」


  その瞬間。


  天守閣全体が震えた。


  アルカードが顔を上げる。


  碧い瞳が真っ直ぐリコを射抜いた。


  「……あの女を」


  「姉さんと比べるな」


  声は静かだった。


  だが。


  怒りだけは隠しきれていない。


  誰にでも分かるほどに。


  リコは小さく笑った。


  「アルカード君は知らないかもしれないけどさ」


  「セレナちゃんってね」


  「優しくて」


  「頑張り屋で」


  「すごく頼りになるんだよ?」


  「優しい?」


  アルカードは眉をひそめた。


  まるで理解できない評価を聞いたみたいに。


  「魔力転送術式の存在を認めている人間が」


  「どこが優しいんだ?」


  リコはぱちぱちと瞬きをした。


  「別にいいんじゃない?」


  首を傾げる。


  「眠ってるみんなから少しだけ魔力を借りて」


  「その代わりに」


  「たくさんの人が幸せになれるなら」


  「それって悪いことかな?」


  アルカードは固まった。


  本当に。


  完全に。


  言葉を失ったように。


  長い沈黙。


  やがて。


  ぽつりと呟く。


  「……そうか」


  「君たちは知らなかったんだな」


  「え?」


  リコが首を傾げる。


  その瞬間。


  アルカードの表情が変わった。


  焦りだった。


  初めて見るほど露骨な。


  「まずいな」


  彼はリコを見据える。


  「時間がない」


  そして。


  真剣な声で聞いた。


  「リコ」


  「最後に生きた人間の血を飲んだのは、

  いつだ?」


  「え?」


  答えるより早く。


  世界が崩れた。


  天守閣が。


  空が。


  アルカードが。


  全てが砂嵐へ変わっていく。


  そして。


  視界は白く弾けた。


  ----------------


  「よし」


  「封印は安定した」


  グラントがそう言って、

  タバコへ火を点ける。


  少し妙だった。


  途中から、

  アルカードが抵抗をやめたように感じたからだ。


  封印は拍子抜けするほど簡単だった。


  とにかく、

  一件落着。


  「隊長」


  床へ寝転がったまま、

  ルシアが口を開く。


  「ここじゃ医療班も呼べませんよね?」


  「ああ……」


  セレナは壁へ背中を預けていた。


  剣は足元。


  もう頷く力すら残っていない。


  「だから治療できるのは」


  「ルシアとユウト君だけですね」


  「無理ですー……」


  ユウトの死にそうな声が返ってくる。


  「僕もう立てません……」


  「まあ」


  グラントは煙を吐いた。


  「少し休め」


  「どうせ多少血が増えようが減ろうが死なん」


  そして。


  何か思い出したように。

  ルシアへ顔を向ける。


  「そういや」

  「タバコはまだあるか?」


  「ないです」


  即答だった。


  しかも寝たまま。


  「えっ」


  ユウトの声が響く。


  「ルシア姉ってタバコ吸うんですか?」


  「私も初耳なんだけど」


  フィナも床へ転がったまま言った。


  少し離れた場所から。


  ノエルの声が聞こえる。


  「まあまあ」


  「大人になると、

  たまには吸いたくなる日もあるんだよ」


  グラントの視線が向く。


  期待に満ちた視線だった。


  ノエルは慌てて付け加える。


  「いや」

  「僕は吸いませんし、持ってないけどね?」


  ----------------


  それから。


  リコの日常は執務室ではなく、

  医療部へ移った。


  「こんなに賑やかな場所だったか?」


  グラントはベッド脇で灰を落とす。


  「少なくとも」


  ノエルは窓の外を見ながら答えた。


  「廊下まで臨時ベッドが並んでるのは初めてですね」


  その時。


  フィナを支えながら、

  トイレから戻ってきたリコが立ち止まる。


  部屋の煙に気付いたからだ。


  眉が少し寄る。


  すると。


  セレナが口を開いた。


  「部長」


  「病室内は禁煙です」


  「別にいいだろ」


  グラントは平然としている。


  「ここは功労者専用病室だぞ」


  もう一口吸う。


  だが。


  「そういう問題じゃないでしょう」


  セレナの声は冷静だった。


  「換気も悪い共同病室で吸うこと自体が問題です」


  「いや」


  「地下ではお前も――」


  「部長」


  呼び方だけで遮られる。


  グラントはセレナを見る。


  それから。


  フィナをベッドへ寝かせているリコを見る。


  そして。


  小さく溜息を吐いた。


  「はいはい」


  「分かった分かった」


  残っていた半分のタバコを揉み消す。


  その結果。


  グラントは病室生活わずか三日で。


  杖を突きながら、

  さっさと職場復帰した。


  ----------------


  そんな日々が一か月ほど続いた。


  リコは当然のように、

  グラントが残していった空きベッドを使っていた。


  最初の頃の仕事といえば。


  みんなを順番にトイレへ連れて行くことだった。


  もっとも。


  ユウトは最初、

  かなり抵抗していた。


  「女の子にトイレまで付き添われるのは、

  さすがに変じゃない!?」


  「だって仕方ないじゃん」


  リコは肩を竦める。


  「医療部の人たち、

  全然手が回ってないんだもん」


  「それとも三時間くらい待つ?」


  「…………」


  ユウトは少し黙った。


  そして。


  無言でリコの肩を借りた。


  もっとも。


  数日も経てば、

  ユウトはすっかり慣れていた。


  本当に三時間待っていたガレスですら、

  いつの間にかリコの介助を受け入れていたのだから。


  ----------------


  もう一つの仕事は。


  医療部に見つからないよう、

  フィナの好きなケーキをこっそり持ち込むことだった。


  もっとも。


  これは簡単だった。


  医療部の人は病室を走り回るだけで精一杯で、

  リコ一人を気にしている余裕などなかったからだ。


  そのおかげで。


  女子会は無事存続した。


  病室の中で。


  ケーキ付きで。


  「お願いだからさぁ」


  ある日。


  ユウトが真顔で言った。


  「僕も参加させてよ」


  女子たちは顔を見合わせた。


  そして。


  最終的にフィナが頷く。


  「ふん」


  「入院中限定だからね」


  「やった!」


  その隙を突いて。


  ノエルまで参加するようになった。


  だから今では。


  女子会という名前は、

  あまり正確ではなくなっている。


  ----------------


  セレナだけは変わらなかった。


  静かだった。


  いつも通り。


  ただ。


  リコが何か手伝うたび。


  柔らかく笑って。


  「ありがとう」


  そう言うようになった。


  優しくて。


  少し優しすぎるくらいで。


  リコはたまに思う。


  もしかして。


  地下で魔王に頭でも殴られたのかな、と。


  まあ。


  毎日の「おはよう」と「おやすみ」は変わらない。


  だからたぶん大丈夫だろう。


  ----------------


  退院許可が下りたのは、

  三か月後だった。


  そして同時に。


  局長室への呼び出しも届いた。


  部屋の中では。


  グラントがソファへ座っていた。


  二本の杖は脇へ立て掛けられている。


  ミレイアは全員が揃ったのを確認すると、

  窓を閉めてから口を開いた。


  「皆さんは既に、

  あのエネルギー術式について知っていますね」


  三番隊は互いの顔を見る。


  そして。


  真っ先に手を挙げたのはグラントだった。


  「いや」


  「俺は知らん」


  「魔法陣は見たが、

  結局何だったのかは今でも分からん」


  ミレイアは少しだけ笑った。


  そして。


  セレナへ小さく頷く。


  それから。


  以前と同じ説明を始めた。


  全国指定封印地。


  転送術式。


  国家エネルギー網。


  その全てを。


  ----------------


  説明が終わる。


  ミレイアは満足そうに頷いた。


  「皆さんが軽率に地下での出来事を口外しなかったことを、

  私は嬉しく思います」


  そして。


  少しだけ言葉を選ぶ。


  「国家最高機密――」


  首を横へ振った。


  「いえ」


  「国民の幸福と国家の繁栄に関わる事項です」


  「どうか今後も胸の内へ留めておいてください」


  「了解!」


  三番隊だけではない。


  グラントまで真面目な顔で答えた。


  「さて」


  ミレイアが書類へ目を落とす。


  「アルカード事件における功績についてです」


  一瞬だけ間を置いた。


  「セレナ・ベイン」


  「本日付で行動部長へ任命します」


  「……え?」


  セレナは固まった。


  そして。


  ミレイアを見る。


  グラントを見る。


  グラントはポケットからタバコを取り出し。


  少し考えて。


  また戻した。


  そして苦笑する。


  ミレイアが説明した。


  「グラント・レイヴン前部長は」


  「戦闘時の負傷により、

  右脚の機能回復が困難と判断されました」


  「本日付で正式に退職となります」


  部屋が静まり返る。


  そんな中。


  リコが手を挙げた。


  「部長が僕の血を飲めば――」


  「誰が飲むか」


  即答だった。


  グラントはまたタバコへ手を伸ばす。


  「俺はね……」


  「先月、孫と約束したんだ」


  少しだけ笑う。


  「これからは毎日遊んでやるってな」


  そして肩を竦めた。


  「だからもう勘弁してくれ」


  「俺は大人しく退職金を貰って隠居する」


  しばらく沈黙が続いた。


  やがて。


  ミレイアは気持ちを切り替えるように、

  再び口を開いた。


  「ルシア・ベル」


  「本日付で第三隊隊長へ任命します」


  「はい!」


  ルシアが立ち上がる。


  ミレイアは続けた。


  「その他の功績についても、

  管理局は正当に評価します」


  「ひとまず今年は賞与倍額ということで」


  「納得してもらえると助かります」


  「了解!」


  特に。


  ユウトとフィナの返事だけやたら元気だった。


  そして最後に。


  ミレイアはリコを見る。


  「リコについてですが――」


  「僕はセレナちゃんの副官のままでいいよ」


  即答だった。


  ミレイアが沈黙する。


  「……自分がどういう存在か、

  理解した上で言っていますか?」


  「うん?」


  リコは首を傾げた。


  ミレイアは額を押さえる。


  「国家としては、

  真祖という戦力を個人の私兵扱いにはできません」


  「なんで?」


  リコは本気で不思議そうだった。


  「というか」


  「最初からセレナちゃんの私兵じゃない?」


  沈黙。


  長かった。


  グラントは思った。


  局長は今。


  本気で国家と真祖が全面衝突した場合の損得を計算しているのではないかと。


  そして。


  ミレイアは諦めた。


  「……分かりました」


  小さく溜息を吐く。


  「リコを行動部長補佐へ任命します」


  ----------------


  その後。


  リコはユウトとノエルを動員した。


  自分の机を、

  三番隊執務室から部長室へ運び込ませるために。


  そして。


  三日間かけて窓を開け続けた。


  部長室に染み付いたタバコの臭いを追い出すためだ。


  雨の日も。


  容赦なく。


  ずっと。

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