第十三章 騎士と姫
管理局地下最深部。
そこにあったのは、
古代遺跡でもなければ、
吸血姫が眠っていそうな棺室でもなかった。
ただの部屋だった。
扉は半開きのまま。
まるで誰かが中で待っているみたいに。
「中だ」
グラントが一本のタバコへ火を点ける。
「全員、戦闘準備」
セレナは細剣を握り直した。
剣身を走る刻印が、
青と紅の光を交互に放っている。
その紅だけは、
ここにはいない、
銀髪の少女を思わせた。
「了解!」
ユウトは杖を握り締める。
手は震えていた。
さっきまで戦っていたから。
管理局の機密区画にいるから。
そしてこの先に、
真祖すら退けた相手がいるから。
それでも。
足は止まらない。
負けるわけにはいかない。
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室内に家具らしい家具はなかった。
いや。
この部屋そのものが、
術式だった。
床も。
壁も。
天井も。
すべてに溝が刻まれている。
無数の線は互いに繋がり、
一つの巨大な術式を形成していた。
その中心に。
一人の少年が立っている。
左手には本。
右手の指先は壁へ触れていた。
トン。
軽く叩くたびに波紋が広がる。
だが次の瞬間には、
天井側から流れ込む魔力によって掻き消されていた。
まるで。
二つの力が綱引きをしているみたいだった。
侵入者たちへ気付く。
少年は僅かに眉をひそめた。
そして。
青黒い短髪の少女を見付けると、
ふっと笑った。
「ああ、君か」
それから周囲を見回す。
「あの子は?」
セレナの瞳が冷たく細められる。
細剣を真っ直ぐ向けた。
「アルカード」
静かな声だった。
「不法侵入、傷害、強盗、公務執行妨害の容疑」
「ならびに大規模襲撃事件の現行犯として逮捕します」
特に。
傷害だけは、
他の罪状よりも重く響いた。
同時に。
第三隊が展開する。
包囲。
退路はない。
「抵抗するのであれば」
セレナは一歩前へ出た。
「その場で斬ります」
グラントは煙を吐く。
気のせいだろうか。
この部下。
本気でそれを期待しているように見えた。
だが。
アルカードは少しだけ目を見開いた。
それから目を閉じる。
隊員たちが互いに視線を交わした。
どうする。
行くか。
まだか。
そんな無言の確認。
だが。
次の瞬間。
アルカードは再び目を開いた。
「ああ、ごめんごめん」
申し訳なさそうに頭を掻く。
「別にあの子へ何かしたかったわけじゃないんだ」
「距離が近すぎてね」
「そのうえ使い魔も大量に動かしていたから」
セレナは数秒、
固まった。
「……は?」
思わず聞き返していた。
今、
何と言った?
謝った?
あの魔王が?
その上。
「うん」
アルカードは小さく頷く。
「君たちは、あの子を大事にしてくれているんだね」
「本当にありがとう」
穏やかに笑った。
セレナは言葉を失った。
謝罪だけでも理解が追いついていない。
そのうえ。
礼まで言われた。
意味が分からなかった。
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リコの脳裏に、
先日の休日、
セレナと観た映画を思い出した。
古い冒険譚だった。
魔王に攫われた姫を、
騎士が助けに行く物語。
『えぇ?』
『騎士が命懸けで戦ってるのに、
このお姫様ずっと祈ってるだけなの?』
『何かしようよ!』
映画を観ながら文句を言った自分の声が、
今でも耳に残っている。
まさか今日になって、
自分がその姫になるとは思わなかった。
ただ執務室で待つことしかできない。
いや。
祈る必要なんてない。
だって――
あれはセレナちゃんなのだから。
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「お礼代わりに、
僕が何をしようとしているのか教えてあげるよ」
アルカードは、
話し合いで解決できることだと言わんばかりの口調だった。
「話し合うつもりは――」
セレナが言いかけた瞬間。
肩を押さえられた。
グラントだった。
「別にいいじゃないか」
そう言いながら、
いつの間にかまたタバコに火を点けている。
「せっかくだ。
聞くだけ聞いてみよう」
アルカードは小さく頷いた。
「君たちは、
この国のエネルギーがどこから来ているか知っているかい?」
グラントが肩を竦める。
「六十年前、
局長たちのチームが開発した大地魔力抽出装置だろう」
アルカードは薄く笑った。
だが。
その説明を続けるより早く、
セレナが口を開いた。
「全国の指定封印地を利用した転送術式」
あまりにも不本意そうな声だった。
「ここでそんな話をするということは――」
剣先は微動だにしない。
真っ直ぐアルカードへ向けられたままだ。
「ここが術式の中枢ですね?」
「何をするつもりですか?」
推測を重ねるたびに、
アルカードの笑みが消えていく。
そして。
碧い瞳へ、
はっきりと怒りが宿った。
「……君は知っていたのか」
低い声だった。
「そこまでして」
「そこまで犠牲を払ってでも」
「君たちは、
それでもこの繁栄を守りたいのか?」
殺気が広がる。
空気そのものが重くなった。
誰も口を開けなかった。
グラントでさえ、
咥えていたタバコを吐き捨てた。
火の付いたままのタバコが、
床へ転がる。
「その子が、
あれほど君を信頼しているというのに……」
「それでも君は、そちらを選ぶのか。」
アルカードは本を開いた。
ページがめくられる。
その瞬間。
無数の使い魔が溢れ出した。
獣。
鳥。
虫。
そんな言葉では括れない。
百鬼夜行。
そう呼ぶしかない異形たち。
さらに。
アルカードの背後から血が湧き上がる。
空中で凝縮し。
五本の血槍となった。
その全てが。
青黒い短髪の少女を指している。
そして。
次の瞬間。
五本同時に放たれた。
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その時だった。
頭の奥へ、
突然何かが流れ込んできた。
殺意。
あまりにも純粋な殺意だった。
考えるより早く。
血刃が執務室へ展開される。
違う。
ここに敵はいない。
ここはセレナちゃんの執務室だ。
必死に押さえ込む。
頭の中で暴れ回る衝動を。
セレナちゃん。
そうだ。
今考えるべきなのは、
セレナちゃんだ。
カレーと。
パジャマと。
毎日の「おはよう」と「おやすみ」。
髪を撫でた時の感触。
そして、
自分を抱き締めてくれた、
あの震える腕も。
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最初に飛び出したのは、
血色の蝙蝠たちだった。
血槍へ触れた瞬間、
その身体は次々と砕け散る。
飛び散った血が、
雨のように降り注いだ。
続いて。
火打石の音と共に、
魔力の奔流が叩き付けられる。
だが。
それでも血槍は止まらない。
血の雨を貫き。
魔力の障壁を突き破り。
真っ直ぐセレナへ迫った。
考える時間はない。
青と紅の剣閃が走る。
一本。
わずかに軌道が揺れた。
血蝙蝠。
魔力障壁。
二重の干渉。
その一瞬だけ生まれたズレ。
――そこだ。
剣先が滑り込む。
次の瞬間。
セレナは血槍の間を擦り抜け、
アルカードへ肉薄していた。
アルカードの表情が険しくなる。
「君は」
低い声だった。
「一体あの子を、
どこまで誑かしたんだ?」
返答を遮ったのは銃声だった。
六発。
だが弾丸は壁へ突き刺さった。
いや。
正確には。
ほんの一瞬前まで、
アルカードがいた場所へ。
銃声と同時に。
彼は既にそこにいなかった。
「おい」
グラントがさらに六発撃ち込む。
「さっきのを、
もう一度やらせるなよ」
セレナは答えない。
その代わり。
剣光がさらに距離を詰めていた。
一方で。
他の隊員たちは使い魔への対処だけで手一杯だった。
アルカードは冷たく笑う。
再び血が湧き上がる。
今度は六本。
血槍が形を取り——
なかった。
槍は血へ戻り、
空中へ散る。
「チッ」
初めて。
アルカードの顔から笑みが消えたのは。
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殺意は、
少しだけ弱まった気がした。
強く握り締めていた上着から、
指の力が少し抜ける。
呼吸も、
ようやく落ち着いてきた。
リコはユウトの上着をソファへ戻した。
それから隊長室へ向かう。
衣紋掛けに掛かっていた上着を抱き寄せた。
そして。
そのまま顔を埋める。
……やっぱり。
こっちの方が落ち着く。
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アルカードは、
もう血槍を作ろうとはしなかった。
代わりに。
背後の血が収束していく。
一本の三間槍へと。
グラントは思わず考えた。
もう拳銃なんて捨てて、
今すぐタバコを吸いたい。
そんな気分だった。
この部屋は二十坪ほど。
縦も横も、
せいぜい数間しかない。
遮蔽物は皆無。
つまり。
この部屋全体が、
あの槍の間合いだった。
振らせるな。
そう判断したのだろう。
セレナは一切迷わず踏み込んでいる。
グラントは手の中のリボルバーを見た。
苦笑した。
まさか。
これで殴るわけにもいかないだろう。
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グラントは、
セレナの判断が間違っているとは思わなかった。
もう一度やり直したとしても。
彼女は同じ選択をするだろう。
踏み込む。
それが正解だった。
戦闘勘としては。
だが。
その正解を。
アルカードが裏切った。
剣先が届く。
その寸前。
三間槍が崩壊した。
無数の棘へ変わる。
そして。
真正面から襲い掛かった。
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まただ。
強烈な殺意が流れ込んでくる。
リコは上着へ顔を埋めた。
思い切り息を吸う。
セレナの匂い。
それだけを探すように。
「……僕」
小さく呟く。
「セレナちゃんが好きなんだもん」
「約束したんだもん」
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無数の棘が襲い掛かる。
だが。
その中の半分は、
まるで何かに逆らうように動きが鈍かった。
前へ進もうとして。
それでも進み切れない。
そんな不自然さ。
セレナは迷わず後方へ跳んだ。
距離を取る。
戦闘服は血で染まっていたが。
さっきの一撃も届いていた。
剣は確かに、
アルカードの肩を斬り裂いた。
魔王の血が床へ落ちる。
傷は塞がらない。
少なくとも。
リコのようには。
――通る。
その確信と共に。
初めてセレナが笑った。
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それ以降。
アルカードは派手な術を使わなかった。
ただ。
三間槍を振るう。
それだけだった。
もちろん。
誰もそれを普通の槍だとは思っていない。
退路はない。
グラントは何度も壁際まで追い込まれた。
だが。
槍先は蛇のように追ってくる。
前へ出るのも危険だ。
セレナが踏み込むたび。
槍は別の形へ変わる。
まるで生き物のように。
予想外の角度から襲い掛かる。
気付けば。
二人とも満身創痍だった。
それでも。
致命傷だけはなかった。
明らかな隙を晒した時。
槍は必ずそこを狙う。
だが。
本当に命を奪う寸前で。
必ず一瞬だけ遅れる。
そして。
そのたびに。
アルカードの表情は苛立ちを増していった。
まるで。
自分自身へ怒っているみたいに。
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何度も押し寄せる殺意。
それに耐え続けるうちに。
リコは気付いた。
この殺意は。
別に自分へ向けられているわけじゃない。
ただ。
溢れ出した感情が流れ込んできているだけだ。
湖の水が川へ流れ込むみたいに。
アルカードから。
こちらへ。
流れてきているだけ。
たぶん今頃。
僕の騎士は戦っている。
青黒い短髪。
凛々しい背中。
真っ直ぐ前を向く姿。
その姿を思い浮かべて。
リコは少し笑った。
だが次の瞬間。
三本の巨大な血槍が脳裏を過る。
笑顔が固まった。
さらに。
知らない記憶が流れ込む。
小さな村。
地面に倒れた女性。
その肩を揺すりながら叫ぶ少年。
リコは強く首を振った。
大丈夫。
きっと。
「だって」
「セレナちゃんは強いもん」
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ついに。
アルカードが最大の隙を晒した。
槍が変形する。
その途中。
三間槍が一瞬だけ崩れた。
血液へ戻る。
その刹那。
セレナの剣が走った。
刃は。
真っ直ぐアルカードの胸を貫く。
「部長!」
叫ぶ。
「封印を!」
言葉が届くより早く。
火打石が回る音が響いた。
白銀の鎖が現れる。
空間そのものから生まれたように。
一重。
二重。
三重。
少年の身体へ巻き付いていく。




