第十一章 約束
「隊長、おはようございます!」
「リコもおはよー!」
「おはようございます」
「おは~」
翌朝。
珍しくセレナまで寝坊した。
二人が細かな雨の中を急いで執務室へ辿り着く頃には、
隊員たちは既に揃っていた。
いつもの挨拶が飛んでくる。
リコは慣れた手付きでセレナのジャケットを掛ける。
佩剣を武器棚へ立て掛ける。
それからコーヒーを淹れに向かった。
その時。
フィナがこっそり近付いてきた。
「ねぇねぇ、リコちゃん」
「ん?」
リコが首を傾げる。
フィナは声を潜めた。
「昨日、隊長と何かあった?」
「なんで?」
「だってさ」
「なんか二人とも雰囲気違うんだもん」
「そう?」
リコは自覚がないらしい。
だが。
フィナが続きを口にする前に。
「フィナ」
隊長室から声が飛んできた。
「報告書は終わったんですか?」
「ひっ」
フィナが肩を跳ねさせる。
「い、今やってます!」
そう言い残し、
慌てて自分の席へ逃げ帰った。
――昼の女子会で聞けばいいか。
そんなことを考えながら。
----------------
結局。
その日の女子会は開かれなかった。
リコが書類を抱え。
隊長からの修正指示を、
隊員たちへ順番に伝えて回っていた時だった。
けたたましい警報音が鳴り響く。
管理局全体を揺らすような音だった。
「隊長!」
ユウトが通信端末を見ながら叫ぶ。
「特級第一種魔力反応です!」
「見えてます!」
隊長室から即座に返事が飛ぶ。
「全員、戦闘準備!」
「了解!」
隊員たちが一斉に武器棚へ走った。
そして。
全員の動きが止まる。
妙な沈黙が落ちた。
隊長室から出てきたセレナは違和感に眉をひそめた。
「……どうしました?」
「隊長、反応位置なんですけど……」
ユウトが戸惑った顔で言う。
「この座標確かに……」
ノエルの顔からも笑みが消えていた。
「管理局だ」
ガレスの顔にまで困惑が浮かんでいた。
確認するために扉を開ける必要はなかった。
執務室の扉が。
目の前で真っ二つになったからだ。
扉に描かれた『三』も、
綺麗に割れていた。
廊下には魔物がいた。
無数に。
鳥のようなもの。
蜘蛛のようなもの。
蛇のようなもの。
天井を飛び回り。
壁を這い回り。
金属の床を滑っている。
だが。
一匹も執務室へ入ってこない。
ただ廊下を徘徊しているだけだった。
向こうの隊舎。
こちらの隊舎。
隊員たちは廊下越しに互いの顔を見合わせていた。
「アルカードだ……」
不意にリコがしゃがみ込んだ。
片手で頭を押さえる。
「おい!」
「どうしました!?」
真っ先に駆け寄ったのはセレナだった。
「来た……」
「アルカードが来た……」
リコはもう片方の手も頭へ添える。
「そうじゃなくて、」
「君は大丈夫——」
セレナは肩へ手を伸ばした。
だが。
リコは反射的にその手を避ける。
少し離れた場所へ下がった。
セレナが追おうとしたその時。
廊下から声が響いた。
魔物の口を借りた声。
アルカードの声だった。
「管理局の諸君へ告げる」
廊下中の魔物が同時に口を開く。
「無為に命を散らしたくないのなら」
「各自の部屋に留まるといい」
「私は諸君と敵対する意思はない」
「私の使い魔もまた」
「無意味な殺生は行わない」
そこで一度言葉が切れる。
そして。
「ただし」
「平和を妨げる者を排除することに、
私は一切の躊躇を持たない」
「どうか自重されよ」
沈黙。
数秒後。
「どう聞いても宣戦布告ですよね」
ユウトが真顔で言った。
「同感だ」
既にガレスは盾を構えていた。
「隊長、どうします?」
ノエルが銃を持ち上げた。
だが。
返事はなかった。
「隊長?」
全員の視線が向く。
そこには。
壁際で何かを言い争っている、
セレナとリコの姿があった。
リコは壁へ片手をついた。
もう片方の手で頭を押さえている。
立っているのもやっとだった。
何かを言っているらしい。
だが上手く聞き取れない。
「だから何だって言うんですか!」
誰も聞いたことがなかった。
こんな声を出すセレナを。
リコがまた何か言う。
弱々しい声だった。
近付いてもよく聞こえない。
「さっきも言いましたよね!」
「それでも私は認めません!」
なぜそこまで感情的になっているのか。
誰にも分からなかった。
そして。
「だから……」
「まだ自分で抑えられるうちに」
「早く僕を殺してよ……」
その言葉で。
集まっていた全員が黙った。
「みんなも来たんだ……」
リコは助けを求めるように顔を上げた。
「ノエル君」
「ルシアちゃん」
「隊長ちゃんを説得してよ……」
だが。
誰も何も言わない。
沈黙を破ったのはユウトだった。
隊長を見る。
リコを見る。
それから手を挙げた。
「何が起きてるんですか?」
「セレナちゃん」
リコが弱々しく言う。
「説明してあげて……」
全員の視線がセレナへ集まった。
セレナは口を開く。
だが声にならない。
一度唾を飲み込む。
もう一度。
そしてようやく言葉を絞り出した。
「結論から言います」
「吸血種は全員」
「アルカードの使い魔です」
誰も動かなかった。
「アルカードが近付くほど」
「精神的な繋がりは強くなります」
「命令に従いたくなる衝動も」
感情を押し殺した声だった。
「リコは今」
「それと戦っています」
再び沈黙。
その沈黙を壊したのはリコだった。
「うんうん」
妙に納得したように頷く。
「今もさ」
「廊下に出たくてたまらない」
「本当に」
「すごく」
冗談みたいな口調だった。
なのに誰も笑えない。
「だからさ」
「僕がまだ僕のうちに」
「殺してよ」
「もし僕までアルカードの側に行っちゃったら」
「もう勝てないでしょ?」
沈黙。
そして。
セレナが爆発した。
「黙って!」
誰もが息を呑む。
「昨日!」
「誰が言ったんだよ!」
「長生きだから覚えていてあげるって」
「私のこと、ずっと覚えてるって言ったじゃないですか!」
「それは……!」
今度はリコが叫んだ。
「僕だって嫌だよ!」
「ずっとセレナちゃんの傍にいたいもん!」
声が震える。
「でも……」
「でもこのままだと」
「僕がみんなを傷付けるかもしれない」
「セレナちゃんを傷付けるかもしれない」
涙声だった。
「そんなの嫌だよ……」
涙が零れ落ちる。
その瞬間。
リコは抱き締められた。
強く。
本当に強く。
鼻先を掠めるのは、
セレナの匂いだけだった。
「え……」
リコは目を見開く。
「危ないよ……」
「少し離れて……」
そう言いながらも。
気付けばセレナの服の裾を握っていた
離せない。
「嫌です」
セレナは即答した。
少しだけ。
泣いているような声だった。
「傷付くよ……」
「みんなだって」
「隊長の指示を待ってるんだから……」
「嫌です」
今度は誰の耳にも分かった。
セレナも泣いていた。
「いいから……離れ——」
「嫌です」
「私はリコを信じています」
「だから嫌です」
リコは泣き笑いみたいな顔になった。
「何それ……」
「ずる過ぎるよ……」
----------------
結局。
廊下の向こうから絶えず戦闘音が響く中。
リコはセレナに抱えられるようにして、
執務室のソファへ寝かされた。
ユウトのジャケットも掛けられていた。
ルシアもやって来て、
黙ったまま頭を撫でていった。
フィナは今にも泣きそうな顔で近付いてきて。
なぜか一度だけ睨んだ。
なんで睨まれたんだろう。
リコにはよく分からなかった。
ノエルとガレスはソファの近くへ腰を下ろしていた。
黙々と装備を点検している。
もっとも。
銃ならまだ分かる。
でも盾って何を点検するんだろう。
しかも朝やったばかりなのに。
----------------
「ここで大人しくしていてください」
セレナの声だった。
「……うん」
ソファへ横になったまま頷く。
「他の者は戦闘準備」
もう振り返っているらしい。
姿は見えなかった。
「了解!」
全員の声が揃う。
「隊長命令だ、アルカードをこ」
そこで一瞬だけ言葉が詰まった。
まるで何かを飲み込んだみたいに。
それでも続ける。
「拘束します」
「了解!!」
今度の返事は、
さっきよりずっと力強かった。
「待ってよ……」
張り詰めた空気を破ったのはリコだった。
足音が近付いてくる。
「どうしました?」
セレナの声。
「今は精神接続が強いから……」
リコは息を整えながら言う。
「アルカードは今」
「地下にいる」
「管理局の一番下」
「分かりました」
セレナは静かに頷いた。
そこで。
リコは何かを思い出したように右手を持ち上げる。
指先から血が溢れた。
鮮やかな紅。
その一部はいつものようにセレナの細剣へ吸い込まれる。
残った血は空中へ舞い上がった。
だが。
いつもの旋刃ではない。
空中で形を変える。
紅い翼が開いた。
蝙蝠だった。
十数匹もの血色の蝙蝠。
羽ばたきながら、
セレナの周囲を旋回する。
「この子たちを連れて行って」
リコは小さく笑った。
「みんなセレナちゃんの言うこと聞くから」
「例え僕が――」
けれど。
途中で首を振った。
その続きを飲み込む。
蝙蝠たちを見上げる。
しばらく黙ってから。
もう一度だけ笑った。
「じゃあ」
「勝ってね」
そして。
少しだけ真面目な顔になる。
「それよりもっと大事なのは」
「ちゃんと生きて帰ってくること」
セレナは一瞬だけ目を見開いた。
それから。
強く頷く。
「約束します」
やがて。
遠ざかっていく足音。
同じ黒の戦闘服に身を包んだ六人は
戦場へ向かった。
先頭を進むガレスは盾を構え、重心を落としたまま警戒している。
ノエルとフィナが左右に展開し、銃口を絶えず死角へ向けていた。
そして隊列の中央。
セレナは右手に青と紅の光が交差する細剣を携え、左手で無言の戦術指示を送り続けている。
さらにその後方では、宝石の埋め込まれた杖を持つルシアとユウトが隊列の背後を警戒していた。
そして。
血色の蝙蝠たちも。
六人の後を追うように執務室を飛び出していく。
残されたのは。
ソファに横たわる銀髪の少女だけだった。
リコはそっと目を閉じる。
そして。
誰にも聞こえない声で呟いた。
「約束だからね……」




