第五章 何度も見る夢
第五章 何度も見る夢
一亀は、学校の校舎裏にある公園に立っていた。
目の前には、五人の女子。
見下ろすと、自分の手も身体も小さくなっている。
「……ほら。疲れていたから、悪夢を見るんだ」
呟いた声も、子供のものだった。
何度も見た光景である。
この後に何が起こるのかも、分かっていた。
「亀山くんのパパのせいで、愛美のお家、めちゃくちゃになった。絶対、許さないから」
五人の中央にいた猫田愛美が、泣きながら一亀を睨んでいた。
一亀が、密かに想いを寄せていた相手だった。
その両脇から、ほかの女子たちが口々に言う。
「そうだよ!」
「学校に来ないで!」
「愛美ちゃんが可哀想!」
「謝りなさいよ!」
一亀は、何も言わなかった。
愛美の言う父とは、亀山家の当主、万亀雄のことだった。
民の間では、冷酷な当主として知られている。
しかし、一亀は父がそうなった経緯も知っていた。
祖父の亀十郎が当主だった頃、亀山家は『仏の亀山』と呼ばれていた。
住を生業とする民を守り、困っている者がいれば、私財を投げ打ってでも助けた。
けれど、守られることに慣れ、自ら努力することをやめた者もいた。援助を受けながら、私腹を肥やす者まで現れた。
その結果、亀山家は一時、四方の座を退くことを考えるほど追い詰められたという。
それを見てきた万亀雄は、祖父とは違うやり方を選んだ。
支える相手を見極め、必要と判断すれば切り離す。
父には父の考えがある。
だが、切り離された者たちが、それを受け入れるとは限らなかった。
愛美は唇をきゅっと結ぶと、足元の石を拾った。
一亀に向かって投げる。
それを見たほかの女子も、次々に石を拾った。
一つが、一亀の目の横に当たった。
「痛っ!」
手で押さえ、しゃがみ込む。
石が当たったのを見て、投げた女子が一瞬、動きを止めた。
それから今度は地面の砂をつかみ、一亀へ投げつけた。
「愛美ちゃんは、もっと傷ついたの! あんたの親のせいで! 被害者みたいな顔しないでよ!」
ほかの女子も、砂を投げ始める。
髪にも、服にも、砂が降りかかった。
「……どっちが」
声は小さく、誰にも届かなかった。
一亀は十二歳だった。
好きだった相手の目に、憎しみが浮かんでいる。
それだけでも苦しかった。
周りから浴びせられる言葉が、さらに心を刺した。
父のしたことを理由に責められるのは、初めてではなかった。
説明したところで、聞いてもらえない。
今はただ、早く終わってほしかった。
一亀は歯を食いしばり、目を閉じた。
「何してんの、お前ら」
別の声がした。
女子たちが振り向く。
ランドセルを背負った蛇森が、公園の入り口に立っていた。
クラスでは、お調子者で通っている男子だった。
蛇森はそのまま近づき、女子たちと一亀の間に立った。
「石とか、駄目じゃね? 当たりどころ悪かったら、おだぶつってのもあるかもよ」
「蛇森くんは黙ってて!」
愛美が叫んだ。
「そんな奴、どうなったって構わない。愛美は絶対、許さないんだから!」
また泣き出した愛美をかばうように、ほかの女子が蛇森へ詰め寄った。
「愛美ちゃんのパパの会社、亀山のパパのせいで潰れちゃったんだよ!」
「大変なんだから! そこ、どきなよ!」
「あんた、亀山をかばうの?」
「私たちは注意してるだけ。退きなさいよ!」
蛇森は肩からランドセルを下ろした。
足元へ、勢いよく投げる。
大きな音に、女子たちの肩が跳ねた。
「何それ。亀山が、お前らに何かしたの?」
蛇森の声から、ふざけた調子が消えていた。
「石をぶつけられるようなこと、したのかよ」
「だから、さっきから言ってるじゃん! 亀の親が悪いことしたの! 止めなかった亀も同じでしょ!」
一亀は、目元を押さえたまま俯いていた。
そんなことができるわけがない。
けれど、彼女たちは本気で言っていた。
自分たちが正しいと、疑っていなかった。
「何それ。マジで意味分かんねぇんだけど」
蛇森が言った。
怒っているのが、一亀にも分かった。
女子たちは一瞬ひるんだが、一人が顎を上げて言い返した。
「蛇はバカだから分かんないんだよ! あんたには関係ないんだから、あっち行きなさいよ!」
蛇森は、いきなり両手で顔を覆った。
「あー! 今、バカって言われて、めちゃくちゃ傷ついた!」
女子たちが、呆気に取られる。
「あー、ひでぇ。泣いちゃう。お前の親に謝ってもらわなきゃ、立ち直れねぇ。いや、謝ってもらっても無理かも」
「何言ってんの!?」
バカと言った女子が、声を上げた。
「今、親とか関係ないじゃん! 何で親が謝らなきゃいけないのよ。ふざけないで!」
蛇森は顔から手を離した。
「同じだろ。お前らがやってることと」
真顔だった。
「文句があるなら、亀山の親父に言え。こいつに石、投げんなよ。こいつは関係ないだろうが」
女子たちは黙った。
愛美も、いつの間にか泣きやんでいた。
蛇森を見つめ、口元を固く結ぶ。
やがて、大きく息を吸った。
「……もう、いいよ。みんな、ありがとう。行こ」
愛美が踵を返す。
ほかの女子も、その後を追って公園を出ていった。
蛇森と一亀だけが残った。
一亀は、しゃがみ込んだまま地面を見ていた。
「……君に、助けてほしいなんて言ってない」
「言わなくても、助けてほしいと思ってたんだろ」
すぐに返事があった。
「なら、誰が助けてもいいんじゃね?」
一亀は唇を噛んだ。
「つーか、助けるとか、そういうんじゃねぇし。俺、ここで遊ぼうと思ったのに、お前らが何かしてて邪魔だっただけ」
「僕は、こんなの慣れてるんだ。だから、君の助けなんて……」
いらなかった。
そう続けるつもりだった。
目から涙が落ちた。
慌てて俯いたが、もう遅かった。
言葉を続けることも、立ち上がることもできない。
「はっ。慣れるとか、意味分かんねぇ」
「君は、バカだから……」
「うわ、ひでぇ。俺、そんなバカじゃねぇし」
蛇森は、帰らなかった。
悪態をつけば、怒ると思っていた。
助けてやったのに、と言って、自分を置いていくと思っていた。
けれど、蛇森はそばに立ったままだった。
「そんなこと分かるくらいなら、俺、バカでいいよ。めんどくせぇ」
一亀の目から、また涙が落ちた。
「亀山。お前の父ちゃんと、お前は別だから」
蛇森が言った。
「意味不明な八つ当たりに、慣れたとか言うなよ」
一亀は、声を出さないように息を止めた。
それでも涙は止まらなかった。
「……バカって言って、ごめ……」
それだけ言うのが、精一杯だった。
「マジで、それな」
蛇森の顔は見えなかった。
少し笑っているような、優しい声が聞こえた。
*
いつも、ここで目が覚める。
亀山はソファに横になったまま、薄暗い事務所を見ていた。
「……まったく。思い出したくないことを」
身体を起こすと、足元に毛布が落ちていた。
眠る前には、なかったはずだった。
拾い上げ、膝の上へ置く。
「僕は、あの時、確かに救われたんです」
誰もいない部屋で、呟いた。
「でも、君にとっては……ただの、子供の頃の思い出なのでしょうか」
毛布を畳み、ソファの端に置いた。
それから流しへ向かい、冷たい水で顔を洗う。
嫌な記憶も、胸に残る淡い想いも、洗い流せるものなら流してしまいたかった。
水を止めたところで、事務所の扉が開いた。
「おはよー。亀山、起きてるか? 朝飯、買ってきたぞ」
蛇森が紙袋を振っていた。
亀山は濡れた顔を拭き、その袋を見た。
「ひつじぱんですね。メロンパンはありますか?」
「ある。俺の分も買ってきたから、一緒に食おう」
蛇森は袋をテーブルに置き、キッチンへ向かった。
「今、紅茶入れる」
いつもの朝だった。
亀山は何も言わず、ソファへ戻った。
向かい合って朝食を食べながら、蛇森が尋ねる。
「兎月、上手くいったかな。親父さんとの交渉」
「まだ、連絡はありませんか?」
「ないな。そう簡単には認めないのかも」
「昨日の今日ですからね。少し待ちましょう」
亀山はメロンパンをちぎった。
「それより、そちらはどうでしたか?」
「所長様は、何でも知ってんなぁ。俺が友香さんの様子を見に行った時、寝てたろ?」
「君がいつ出ていったかは知りません。ですが、昨日の話から、そう動くことは想像できます」
亀山は蛇森の服へ視線を向けた。
「それに、昨日と同じ服装です。朝食を買ったついでに、報告へ来たのでしょう?」
「はあ。本当に、俺のことはよく分かってらっしゃる」
「君が分かりやすすぎるんです。それで?」
「昨日は、彼女の周りに不審な動きはなかった」
蛇森はパンを飲み込んだ。
「仕事が終わって帰って、それからは家にいた。弟も帰ってきたし、何も起きてない」
「そうですか」
「次にクラブへ行く日も、様子を見てくる。会えるなら、その時に声を掛けてみるよ」
「お願いします。彼女が何のために通っているのか、聞けるとよいのですが」
「まあ、知らない男に声を掛けられて、何でも話すとは思わねぇけどな」
その時、蛇森の携帯が鳴った。
画面を見て、片方の眉を上げる。
「兎月だ」
「何と?」
「まだ了承はもらえてない。引き続き説得する、だって」
亀山は紅茶を飲み、静かに湯呑みを置いた。
「頑張っていただきましょう」
蛇森は短い返事を送り、携帯をしまった。
「じゃ、俺は食ったら一度帰る。さすがに、着替えて寝たい」
「ええ。休んでください」
残っていたパンを口へ放り込み、蛇森は立ち上がった。
亀山は、その背中を見ていた。
「ああ、蛇森くん」
「ん?」
「毛布、ありがとうございました」
蛇森は一瞬、目を瞬かせた。
それから、いつものように笑った。
「どういたしまして。寝相悪くて落としたんだろ。風邪ひくなよ」
「……余計なお世話です」
「はいはい」
蛇森が出ていく。
亀山は、閉まった扉から目を離し、紅茶を手に取った。
まだ、温かかった。




